先週土曜日からどうもノロ(ウイルス)に罹ってしまった。
と言っても私ではない。
1歳になったばかりの孫娘である。
何しろ、両親は慣れない新米母さん&新米父さん。
「ビユーッと吐いたときは、どうしようもなく見ているだけだったわ」
と、赤ちゃんが吐いた時の様子を語った。
「自分だって赤ちゃんの時そうやって吐いていたんやで」
と先輩ぶる私とて、
実を言えば、新米お祖母ちゃんなのである。
7月に中国から戻って見れば、もう孫娘は生後10か月近い赤ちゃんで、
(あなたはどなたですかね)といった風情でじっと私を見つめた。
その後、働く娘を少しでも助けようとして、
さらに言えば、
今まで会っていなかった分を取り戻し、一気に孫を手懐けようとして、
私は週に1,2度、娘夫婦宅を訪問して孫と共に数時間を過ごし始めた。
その間は、完全に私と孫だけの時間である。
初日、自分の家に戻った私は、
クタクタでブログの更新をするどころではなく、
茶の間にバッタリ倒れたきり何時間も動けなかった。
孫の一人や二人、チョチョイのチョイと思ったのは大間違いだった。
こんなにも体力を必要とすることを、
かつての私は苦も無く(かどうか、忘れ去ってしまったので)
やり遂げてきたのか、と自分の過去を自画自賛し始めたが、
テーマがスライドしてきているので、悪しきノロウイルスに冒された孫の話に戻る。
そもそも、今週から保育所に通う予定だったのに出鼻をくじかれた状態だが、
それどころでない。
とにかく小さい身体を性質の悪い菌がいたぶっているのである。
1歳になったばかりの子どもは、こんなとき、
どうしようもなく寄る辺ない存在だ。
それでも健気に、抱っこされた身体を大人の胸にあずけて、
泣きもせずぐったりしている。
(どんなことがあってもこの小さい命は守らなければならない)と、感じる。
自然が命を生み出し、それが何千年もつながってきた秘密が分かった気がする。
と言うか、忘れていた感覚を思い出した気がする。
これから何度も病気になったり、怪我をしたり、間違ったりしながら、
一人の子どもが一人前に育っていく。
一人の子どもが育つのに、周囲の何人もの大人たちの力がどうしても必要だ。
私たちも、そうやって育てられてきたのだ。