4月1日はエイプリル・フールの日と言っても、
今じゃ日本政府挙げて毎日国民に嘘ばかりついているので、
たまに嘘を楽しみたいなどという気持ちは全くなくなり、
心は(嘘つくな!)と怒りで煮えくり返っています。
しかし、4月1日は別のことで特別な日です。
この日は沖縄本島に米軍が上陸した日で、これ以後約3ヶ月間、
沖縄の民はこれ以上はないという地獄状況に晒され続けました。
沖縄戦はデジタル大辞泉によれば、
『第二次大戦末期、沖縄本島及びその周辺で行われた日米の激戦。
昭和20(1945)年4月の米軍上陸から約3ヶ月にわたる軍民混在の激しい地上戦の中、
集団自決強制、日本軍による住民虐殺なども起こり、県民約10万人が犠牲となった。』
とありますが、犠牲者数は10数万人と記載する事典もあります。
両親が沖縄出身だという友人がかつて私に、
「あの戦争で戸籍がメチャクチャになっちゃって、
親戚も何もごっちゃに一つの家族になっていたり、
死んだ人が生きて戸籍に書かれていたりして、
当時沖縄がどれほど混乱していたか、戸籍を見ただけで分かるわ。」
と語ったことがあります。
日本軍は本土上陸を遅らせるために、沖縄住民を巻き込んで持久戦に持ち込み、
それ故に被害も甚大なものになってしまいました。
はじめから、住民を守る気なんかさらさらない軍事計画だったのです。
下は、米軍占領下の沖縄生まれの写真家、石川真生さんの写真です。
石川真生さんは琉球の歴史を写真絵巻にして発表し続けています。
写真の出演者は琉球(沖縄)の民の子孫を中心に、
石川さんの作品の趣旨に賛同する人たちだそうです。
つまり、この写真は演技です。
「歴史を演技し、写真絵巻物にまとめる」という方法は
写真を見る人にとっても、
写真に出演する人にとっても、
いろいろ考えるものがあると思います。
その「大琉球写真絵巻」ですが、
もっと掲載できる写真が探せたらご紹介します。
取り合えず、
沖縄戦関係の2枚をネットからお借りしました。
↑日本軍は住民を守るどころか、
ガマに隠れている住民を追い出して自分たちの隠れ場所にしたり、
赤ん坊が泣いたら「敵に見つかるから殺せ」と言ったり、
住民の班長などに間接的に自殺用手榴弾を渡したり、
挙句に、米軍のスパイだと言って村民を虐殺するなど、
「軍隊は国民を守らない」手本を示しました。
その結果、死者数は軍人・兵士より住民のほうが多かったのです。
沖縄では住民の4人に1人が殺されました(集団自決強制も含め)。
↑6月、米軍から逃げ延びる途中で家族全員が殺され、
たった一人生き残った子ども。戦争孤児は約1000人いました。