毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

ガザ、19日から停戦。合意発表後もイスラエルは攻撃

2025-01-16 22:40:11 | 反戦平和

⤴アルジャジーラより

15日ガザ南部のハン・ユニスで停戦合意を聞き、歓喜に湧く市民。

少年が叫んでいるある動画の字幕には、

「停戦が私たちの望みだ!」「停戦が望みだ!」とあった。

 

第一から第三までの段階で停戦を完了するそうだが、

取り合えず第一段階では、

ハマスがイスラエルの人質33人(女性や高齢者など)を解放し、

イスラエルは今まで何千人も逮捕拘留、囚人としていたパレスチナ人(子ども含む)

数百人を釈放する。イスラエル軍はガザの中心部から撤退する。

これを6週間の停戦期間内に履行し、次のステージに進むということだそうだ。

イスラエルがこれをきちんと守るか、世界中が監視しとかないと信用ならない。

 

⤴TBS NEWS DIG動画より 

停戦合意は、イスラエルの後押しをしてハマスと交渉させた自分の手柄だと自慢するバイデン。

イスラエルがやりたい放題人殺しができるように、武器や資金をバンバン贈って

ジェノサイドの後押しをした悪魔の民主党政権三羽烏。

何が民主主義の国だ、ジョークかよ。 

アメリカの良心的パレスチナ支持グループは

民主党を「戦争党(The Party of War)」、

ジョー・バイデンを「ジェノサイド・ジョー」と呼ぶ。

 

せっかく今まで戦禍をかい潜って何とか生き延びてきたのに、

合意発表後のイスラエル軍の爆撃で殺された人たちがいる。

「19日までは殺し放題だから、やってやろうぜ」という

イスラエル軍兵士の声が聞こえるようだ。

何しろゲーム感覚でパレスチナ人を標的にして殺すのだ。

完全に人間の思考が麻痺・停止している。

 

今まで生き延びてきた全てのパレスチナの皆さん、

どうか持ちこたえてください。

もう、あと少し、あと少しだから。

 

拙訳:13日、終なる停戦合意を望んで大喜びするガザの女の子。

「Eid(祝い?)の前の晩の雰囲気、分かる?大騒ぎの晩のこと。と。歓びの晩のことよ。今、ここガザの通りはみんな興奮してごった返しているの。みんな真実が知らされるのを待っているわ。私たちのために祈ってね。祈る人をどんどん増やしてね!」

 

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ガザ停戦間近?

2025-01-14 23:06:09 | 反戦平和

23時にシカゴトリビューンのネット号外がパソコン右下画面にパッと出たので

Xで確認したら、下の動画が飛び込んできました。

ガザの子どもたちが喜ぶ様子に涙が溢れます。

どうぞぬか喜びになりませんように!!

 

しかし、この情報が本当か疑う人もいました(下)。

私は動画が偽物かなど考えもしなかったのです(うーむ、まだまだだわ)。

でも、停戦はガザ市民みんなの願いのはず。

その日まで生き延びることだけを希望に、

毎日、毎時間を耐えてきたに違いないのです。

どうか、停戦が真実でありますように。

どうか、子どもも大人もこれ以上殺されませんように。

I don't believe a thing of this.
Palestinians are not celebrating, they're grieving. When and where was this video made?
訳:私はこれを信じない。パレスチナの人々は祝ってなんかいない。悲しんでいるんだ。いつ、どこでこの動画は撮られたものなの?
 
Sunday, attacking Israel 
Monday, crying about a "Genocide". 
Tuesday, celebrating. 
Hamas propaganda for Dummies.
日曜、イスラエルの攻撃
月曜、ジェノサイドへの嘆き
火曜、祝賀
ハマスのニセプロパガンダだよ
 
↓こんな記事が午後11時半に投稿されていました。
ということは、停戦ニュースはフェイクでしょうか?
This is Tasneem, the daughter of Palestinian journalist Ayman Al-Amraiti, who was murdered by an Israeli airstrike targeted the family's house in Gaza this morning. Al-Amraiti himself was injured alongside the rest of the family.
拙訳:この写真はタスネームちゃん(パレスチナ人ジャーナリスト、アイマン・アル・アムライチさんの娘)。今朝、ガザの家族の家がイスラエルに空爆されて殺された。アル・アムライチさん自身は死んだ家族の傍で負傷していた。
 

アルジャジーラは、アメリカの国家安全保障問題担当顧問が「停戦交渉は近い」と述べている、と伝えています。ああ、ぬか喜びか・・・・・・

 

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「川口市クルド人問題」その1:日本人の国際感覚を思う

2025-01-11 18:02:15 | 人権

2023年春から「川口市クルド人問題」がちょくちょくネットの話題に上っていました。

以前私が知っていたクルド人と言えば、

2015年、イスラム国(IS)がシリアのクルド人居住区に侵攻したけれど

勇猛なクルド民兵組織がそれを撃退した、という話題でした。

ISは西側諸国と対立していたので、クルド人の軍事的勝利は日本でも

(クルド人すごい!勇猛果敢ですばらしい民族だ)

みたいな論調で報じられていた気がします。

ところが、2023年春に唐突に勃発した「川口クルド人問題」では、

クルド人はいかに無法者で埼玉県川口市で市民に迷惑かけまくっているか、

はやく日本から出ていけ、みたいな論調で書かれているのです。

私は(あれ?どうなってるのかな?)と思いました。

その後イスラエルの冷酷無比なガザ侵攻-ジェノサイドが始まり、

私の頭からクルド人も他の事も全てぶっ飛んでしまったのですが、

先日、Xで「川口クルド問題」がいまも投稿されているのを発見しました。

自分の中で放置してきたその「問題」に目を向けないとなあ、と見てみると

まず、Xやインスタには

自称「川口市に住む中学生」や「平和な生活がしたい川口市民」などが、

読んだだけでは事実かどうか不確かな「クルド人こんなに酷い」内容を

訴えているのが目に付きます。

「何疑ってんねん」と思うかもしれませんが、

何しろこちらは斎藤元彦県知事問題で

意図的デマ・扇動のただ中にいる兵庫県民ですから、

誰が書いているのか、書いてあることが事実かどうかについて、

何でもすぐ信じてしまわず、と言うか取り合えず懐疑的目線で

一つ一つの記事の出どころや客観的証拠などに神経を使うクセがついているのです(;^ω^)。

まずマナーの悪さで「ゴミの出し方がめちゃくちゃだ」「公共の場で喧しい」

といった指摘がありますが、

これは決してクルド人だけではなく、

以前、日本に観光や留学で来た中国人に対しても非常によく言われていたことですよね。

私は中国で約10年間仕事に就いていましたが、初めの頃は、

朝6時に国歌を大音響で鳴らす大学放送局に怒りを禁じ得ませんでしたし、

家の中から道路に向かってごみを放り投げる現場に出くわして唖然としたものです。

朝7時に宿舎の台所の工事に来る無神経さ(私が修理に来てくれと頼みはしたけど7時とは)、

朝、学校に行く途中、カップ麺や饅頭を歩き食いし、汁もゴミ箱に捨てるマナーの悪さ、

バスが来るまで並んでいても、来た途端わらわらと我先に乗り込み、

満員で戸口に摑まったものの乗り込めないおばさんを

「後のバスに乗れ!」と発車して振り落とす運転手……、

書いたら切りがないほどです。

(宿舎工事は山東省、それ以外は江西省での体験です。

10年以上前のことなので今はずいぶん変わっているでしょう。)

しかし、一方、小さな声で静かに話す人や内気な中国人も大勢いたし、

道路の汚物をヤシの木箒で掃除する年配のお婆さんもいました。

バスで、小銭がないと誰かが言えば、

乗り合わせた見知らぬ人が代わりに出した場面も何度も見ました(つまりカンパね)。

バスの中が込み合って身動き取れない時は(南昌市ではほぼ常にそうです)、

後ろの人が前の人の肩をトントンと軽く叩いて

バス代(1元~2元)を渡します。前へ前へと料金は次々増えてパスされ、

運転手席横の料金入れにまとめてジャラ~と入れられます。

全てのスーパーには自分の持ち物を入れるコインロッカーがあるのですが、

一元コインを何回入れても転がり落ちるのを見かねたのか、

「来、来来来(ライ、ライライライ)」(=どれどれ、私がやったげるよ)と、

これまた見知らぬおじさんがやってくれた(バン、と叩いたら上手く収まった)こともあります。

・・・・・・

こういうふうにして、人々に慣れ、異文化を受け入れていくんだなと思います。

まず、「ここは日本だから日本の法律に従うのが当然だ」ということには賛同します。

しかし、それぞれの民族にはそれぞれの習慣・文化があり、

相手が日本に来るまでどのような生活をしていたのかを理解することで、

不可思議で受け入れがたいと固くなに思っていたことが融解することもあります。

相手にも丁寧に日本のやり方を示してあげる必要もあります。

互いに胸を開いて交流することがなかったのでしょうか。

「郷に入れば郷に従え。嫌なら出ていけ!」

今、クルド人を嫌がる人たちの口から発せられるのはこんな言葉ばかりです。

もし自分が相手の立場だったら?と置き換えて考えることもせず自分のことばかり…。

日本人って、昔からこんな狭量な人種だったんでしたっけ??

異文化理解は国際感覚の一丁目一番地なのに・・・。

 

実は国際感覚欠如だけでなく、川口クルド問題は政治絡みの匂いがプンプンします。

それについてはまた(その2)で書きますね。

 

↓ 散歩していて巨大な魚の骨のような枯れ枝を見ました。秋ニレでしょうか。

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『少年が来る』(ハン・ガン)を読み、パレスチナを思う

2025-01-07 21:02:21 | 反戦平和

——ハン・ガン(韓江)『少年が来る』より——

「つまり、人間は根本的に残忍な存在なのですか?

私たちはただ、普遍的な経験をしただけなのですか?

私たちは気高いのだという錯覚の中で生きているだけで、

いつでもどうでもいいもの、虫、獣、膿と粘液の塊に変わることができるのですか?

辱められ、壊され、殺されるもの、

それが歴史の中で証明された人間の本質なのですか?」

 

ハンガン(韓江)さんは、1970年に韓国の全羅道光州市で生まれました。

1980年5月18日から10日間、

戒厳軍が、抗議する学生・市民を何百人も殺害し、拷問し、

傷害を負わせて鎮圧した、あの光州です。

先月3日の尹錫悦大統領による戒厳令宣命の夜、

人びとは戒厳令下の光州大弾圧を想起し、即座に国会に駆けつけました。

あの血の歴史を再現させないために。

『少年が来る』は光州抗争を生きのびたハンガンさんによって書かれた

民主化の身代わりになった人々への鎮魂の書ですが、

私は、読んでいて何度もパレスチナの人々を思いました。

今日も、今も、光州事件のただ中にあるガザのみんなを。

「人間とは何なのか。

人間が何かでないために我々は何をしなければならないのか」(『少年が来る』)

 

——デモクラシー・ナウ(アメリカの独立系ニュース紙)より——

2025年1月1日、イスラエル軍は女性や子供を含む28人を殺害。

1月2日、夜明けからの攻撃でイスラエル軍は少なくとも52人のパレスチナ人を殺害。

攻撃されたのは、ガザ北部のジャバリヤ、中部ブレイジ難民キャンプ、ガザ市、南部ハン・ユニスのアル・マワシにある追い出された家族が避難していたテントなど、「人道ゾーン」と明示された場所。

ガザの死者数は公式発表でおよそ46,000人だが、専門家はもっと多いと述べている。

https://www.democracynow.org/2025/1/2/shrouq_aila_gaza?utm_source=Democracy+Now

(私が残った家族で一番年上なんだから)と、気丈にふるまおうとしている女の子。(X動画より)

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韓国のプロテスト文化にあるユーモア感覚

2025-01-06 14:16:39 | 反戦平和

昨年12月3日夜に尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が宣命した戒厳令は、

その後の野党議員と国民有志の迅速かつ勇敢な行動で翌日に取り下げられ、

大統領への弾劾訴追案が可決されるも内乱罪立証は撤回、と複雑に展開しつつ、

今も予断を許さない状況が続いている。

それにしてもこの間、

韓国国民の筋金入りの民主主義と抵抗の精神をまざまざと見せられている。

心底敬服するとともに、本当に羨ましいが、

その精神は日韓併合から、朴正煕、全斗煥など独裁政権との長きに渡る闘いの中で

培われてきたものという。半端じゃないのだ。

それに引き換え、日本は戦争で沖縄・ヒロシマ・ナガサキの犠牲があったといえ、

戦後は「平和憲法」「戦後民主主義」を苦労せず棚ぼたで得たために

その恩恵の対象外だった沖縄県民以外はさっぱり踏ん張りが効かない。

60年代後半の「戦後民主主義の解体」を叫んだ学園民主化闘争は、

似非民主主義を糾弾しながら、では本物の民主主義を実践していたのかといえば

大方は頭でっかちの革命を夢想するヒヨコだったし、

新左翼といわれるグループは労働者との連帯、広範な社会運動の実現を謳い、

社共とともに現実社会の中で地道な活動をする人たちもたくさんいたとは思うが、

あの凄惨な連合赤軍同志殺し事件(1971~1972年)で社会運動は百年後退した。

私は当時、新左翼運動にシンパシーを持つ大学生だったが、

連日報道される連合赤軍事件は、同時代に存在する一人の人間として本当に辛かった。

亡くなった人たちを思うと、自分は死んだように生きるしかないと思った。

今思えばあれはトラウマだったんだろう。

それは今少し形を変えて、私の胸底に沈殿し続けている。

私たちにはあの時代の人間として死ぬまで責任がある。

少なくとも、忘れないでいる責任が。

 

韓国の人々には、

たくさんの身内の血を流しながら築いてきた民主主義のための徹底した行動力と同時に、

ともに笑って前進する大らかさがある。

それも日本人の私は羨ましい。

 

ネットで見つけた下の写真は韓国のSNSで公開されたもの。

↓①朴槿恵が尹錫悦に先輩風を吹かせて解説している。

「あそこがソウル拘置所ですよ。」(あなたももうすぐ入るから)

↓②金正恩北朝鮮総書記「??こっちゃ、なんもしてないのに?」

また、10万人規模の弾劾訴追要求集会で林立していた旗にはこんなのが。

左上:日本アイドルの来韓講演が正常に行われますように同好会。

右上:歩く時に携帯電話を見ない運動本部。

左下:全国家で寝転がっている連合。(寝かしてくれよ)

右下:全国手足冷え性連合。

 

左上:全国あとまわしにする連合。

右上:韓国は正常営業中です。(心配しないで来てね)

左下:来週試験です。(こっちゃあ、忙しいのに。しっかりしてくれよ)かな?

右下:内気な人グループ。

 

深刻なときにこそ笑いが要る。

これを観て私は韓国の人々が大好きになった。

※旗の写真はデモクラシータイムス【徐台教の韓国通信】年末特番!映画とドラマで知る韓国近代史よりお借りしました。

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尼崎市園田の片隅の初春

2025-01-03 20:57:19 | 反戦平和

⤴藻川の川べりに自生する栴檀(センダン)の木。

私が今住んでいる園田は尼崎市の北東部に位置し、伊丹市に隣接している所です。

1947(昭和22)年に尼崎市に編入されるまでは「園田村」という地名で、

江戸時代には譜代大名の飛び地や旗本領、御三卿の領地だったそうです。

ここには藻川と猪名川という2つの川が流れていて、

それが地域の自然をがっちり支えてくれていますが、

八代将軍吉宗治世時の1740年には両河川の堤が切れ、南の尼崎城下まで被害が及んだことや、

1938(昭和13年)にも堤防決壊により、農地ばかりでなく

できたばかりの阪急園田駅まで浸水する被害があったという記録があります。

国や県に何度も治水要請を出したけれど、戦時中は戦いで忙しくてそれどころじゃなく、

国が改修工事を最終的に完成させたのは戦後も戦後、1969(昭和44)年だったそうです。

今の藻川はいかにものどかで、

洪水や氾濫の歴史があったことなど想像できませんが、

南海トラフ地震が来たらまたとんでもないことになるのでは、

と危惧しています。

危惧してはいるものの、これといった手立てもせず、

ただ、その河川敷に出かけてぶらぶら歩き、無為無策にときを過ごす日々です。

ふらふら、ぶらぶら歩いていると、命の興亡に出会うことがあります。

寒さで動けなくなった蜂(虻?)。

この季節に卵から孵ったバッタの子ども。

 

最近、散歩していて気になっているのは猫です。

以前から駅の傍の橋の下にテントを張って暮らしている人がいたのですが、

(私は一度も会ったことがありません。

ある人が、ごみが散乱しているので拾ってあげたところ、

「ほっとけや!自分でちゃんとするから!!」と怒鳴られたという…)

その人が最近、このテントと猫たちを捨てて引っ越したようなのです。

私が見るに見かねてごみ拾いをしていたら、

猫が可愛い声で「にゃあ、ご飯ないの?」と傍に来て問いかけるので、

ごみしか持っていない私は途方に暮れるしかありません。

 

餌を買って持って行ってあげるべきか否か、う~ん……

なんで猫を捨てて行くかなあ……。

一緒に生きてきた同志だったんじゃないのか。

 

最後になりましたが、新春のお慶びを申し上げます。

下は、藻川の川べりで採った葛・ピラカンサ・栴檀でこさえた正月飾りです。

墨も筆もなかったのでマジックインキでへたくそな祝文字を書きました。

まあ、気持ちね。

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いくら何でも遅すぎる能登復興・一年経ったのにこれか!

2024-12-31 22:36:48 | 中日(日中)交流

私は今年も曲がりなりにも自分の家、自分の空間で

年越しを迎えることができる。

掃除もいつもよりちょっと丁寧にし、

正月は息子の来訪が予測されるので、ゆず大根と鶏腿肉のうま煮などを作り、

川べりで採った草花を正月のリースや生花にした。

暖房をつけなくても室内温度は12℃~13℃にキープされている。

 

 

今年の1月1日に大地震に襲われた能登は今どうだろう。

⤴2024年12月30日ArcTimes尾形聡彦氏撮影の珠洲市大谷地区。尾形氏は7回現地入りしているが、この地区は3月と9か月後の現在がほとんど変わっていないと語る。

能登半島の北部、風光明媚な古里観光地だった珠洲市大谷地区の

地区長は「いろいろ事情はあるのでしょうが遅すぎると思います」

と能登の土地柄なのか、遠慮がちに語る。

これはもう、棄民政策のお手本だとしか私には思えない。

「国民を守るため」と言って

防衛予算は8兆円まで爆上げしている石破首相は、

「雪が降る前に何とかしてほしい。このまま年を越せって言うんですか。

年内に自宅に戻れるよう、自衛隊の出動をお願いしたい」

という山本太郎(れいわ新選組代表)の参議院予算委員会での

超強力な要請にもかかわらず、

「自衛隊出動の正式要請はない。3要件を満たさなければ自衛隊出動はしないというルールだ。」

としゃくし定規に突っぱねた(下の動画)。

国の防衛と防災は不可分だ。

一地方の能登に生きる人々は国民ではないというのか。

災害があったとき、日本の民草はボランティアに頼るか、

自分で何とかする以外方法はないのだろうか。

国の仕事って何なんだ。

石破首相がつんけんした冷たい態度と見えるのは、

山本太郎がズケズケ言うせいもあるのかも知れない。

しかし、そうだとしたら石破首相はあまりに子どもっぽ過ぎる。

そもそも山本太郎は能登の人々に代わって訴えているだけなのだ。

実は、この質疑をしたとき自民党席から「そうだ!」と

山本太郎の意見に賛同の声が上がった。

後でその自民党議員が太郎さんの傍に来て、自分は能登出身だと名乗り、

顔はニコニコしていたが、どうみても泣きそうだったという。

(自分も言いたくてたまらないのに、

自民党員だから制約があって言えないんだろうな)と思うと

胸にグッとくるものがあったと、太郎さんは後日記者会見で語った。

 

石破首相が「よく知っている友人」「無責任な人じゃない」と太鼓判を押しているのが

馳浩石川県知事だ。

この人は維新と自民に押されて知事になったらしい。

発災当日、彼は東京にいた。
 
一刻も早く国やボランティアに支援を要請しなければならないときに
 
「地震で道路が寸断されているから来たら混乱する。来ないでくれ」と言い、
 
ヘリコプターを使うなど他の方法だってあるのに、全くそれをしなかった。
馳知事が現地を初めて視察したのは何と1月14日(岸田首相も一緒に)。
 
彼の所為で復旧が大幅に遅れたと言っても過言ではない。

また、被災地域ではいくらお金があっても足りないはずなのに、

大阪万博に一千万円寄付したという(バカじゃなかろか)。

この無能な人は知事になってはいけなかった。

下は10月5日尾形聡彦氏に責任を追及されて

「最終的な責任は自分にあるが、地形が復旧に困難だった」

と言い訳した馳知事(いつまで地形のせいにしとんねん)。

一年かかってまだ「復旧」状態だ。

彼は「来年を復興元年にしよう」とのうのうと語っているという。

 

大谷地区の住民は先週26日にようやく全員仮設住宅に入れた。

本当に気の毒だ。

どうか来年こそ一刻も早く落ち着いた生活ができますように……。

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ベツレヘム発:キリストは未だ瓦礫の中に

2024-12-24 23:51:36 | 反戦平和

「エルサレム」を広辞苑で引くと、

パレスチナの中心都市。イスラエル国の首都(国際的には未承認)。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地。

1949年ヨルダン・イスラエルによって東西に分割、

1967年、イスラエルは東エルサレムを占領し併合を宣言

とあり、イスラエルの日本大使館もエルサレムではなくテルアビブにある。

アメリカのトランプ大統領だけが2017年にエルサレム首都承認をして

大使館もテルアビブから引っ越したので国連総会で非難決議が上がった。

下の右図のは停戦ラインを無視してイスラエルがヨルダン側に

入植し、占領している場所だ。

「入植」なんて聞こえはマイルドだが、侵略そのものだ。

誰でも知っている国語辞典「広辞苑」の短い説明を読んだだけでも、

イスラエルという国が

ごり押しの暴力でパレスチナを乗っ取ろうとしてきた歴史が分かる。

 

そのエルサレムから8㎞南下するとキリストの生誕地ベツレヘムがある。

そこでのキリスト教集会の様子が

Democracy Now!(アメリカの独立系グローバルニュース)に載っていたので

読んでみた。

(記事は拙訳)

https://www.democracynow.org/2024/12/23/rev_munther_isaac_christmas_2024

”キリストは未だ瓦礫の中に”

ベツレヘムのイサーク尊師、

アメリカにガザジェノサイドへの資金援助中止を要求”

西岸地区とベツレヘム(イエス・キリストの生誕地)では、イスラエルのガザに対するジェノサイド攻撃と占領するパレスチナ地域の民族浄化行為に抗議し、2年連続でクリスマス祝賀を中止した。

私たちはここに福音ルター派のベツレヘムクリスマス教会におけるイサーク尊師の説教を特筆する。タイトルは「キリストは未だ瓦礫の中に」。ちなみに昨年のこの時は「キリストは瓦礫の中に」と題して、イスラエルのガザに対する情け容赦ない攻撃によるパレスチナ人の命と生活の喪失を語った。

私たちはイサーク尊師と語り合うためにベツレヘムに出向き、尊師はアメリカや世界へのメッセージを分け与えてくれた。彼は言う。

「ここベツレヘムでの私たちの恐怖は、誰もイスラエルに対する責任を取らないことです。私たちはこの戦争に疲れ果てております。この戦争はアメリカ人の税金とアメリカ人の政治によって可能ならしめられているのです。」

「もし、キリストが今のベツレヘムに生誕したなら、彼はイスラエルの砲弾によって瓦礫の下に生まれたでしょう。」

Merry Christmas for the world and Merry Genocide for Palestine🎄

 ――インスタグラムで見つけた誰かの言葉

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12月22日の兵庫:神戸の真相究明集会&尼崎の食糧支援

2024-12-23 12:53:10 | 民主主義について

昨日は兵庫県で2つのイベントと集会がありました。

1つは「兵庫の躍動を止めるな」転じて

「兵庫の騒動が止まらない」となっている

斎藤知事問題の真相究明を求める県民集会(於神戸)です。

集会には主催者発表で1200人以上が集まり、

会場に入り切れなくて別の会場を用意したけど

そこからも溢れた人たちがたくさんいたそうです。

さっきニコニコ動画をちらっと見たのですが、

画面上に斎藤支持派のテロップばかりが延々続き、

コメント欄もほぼ同様でした。

彼らは非常にアクティブ且つ攻撃的です。

きっと「正義」の心に燃えているのでしょう。

「美味しい嘘(特に下世話なもの)は真実に比べ、百倍速で巷に広がる。

その後真実が明らかになっても、人々は容易にそれを受け入れない」

とはよく言われますが、

実に今の斎藤支持派に当てはまっているなあ、と思います。

私はこの事態をもたらした原因と

あっという間に味噌も糞も一緒くたに信じてしまう人々の有様を

続けて視ていくしかないと悲しいけれど思います。

私だってエラそうなことは言えません。

あの松本サリン事件(1994年)で河野義行さんが容疑者として逮捕された時、

私はてっきり犯人が逮捕されたと頭から信じたのです。

しばらくして彼が無実だったと報道されたときは、

自分がどれほど信じやすく騙され易いかを、つくづく思い知りました。

それから後は、

(自分を信じてはいけない、まず、決めつける前に

できる限り多面的に物事を調べよう、

そのためには、適当な報道ではなくできるだけオリジナルの

一次資料を見ていくことに留意しなければならない)

と肝に銘じました。

SNSは嘘と煽りに塗れて怖いと言われますが、

それはテレビや新聞でも同じです。

松本サリン事件の河野さん犯人説は

マスコミ各社が大々的に報じたものじゃないですか。

大切なのは、

「すぐ信じてしまう自分を信じないこと」

「できるだけ、客観的・多面的に事実を集め、分析すること」

だと思います。自戒をこめて。

 

昨日22日には、もう1つ、20回目の食糧支援が息子の店でありました。

3年前12月から尼崎市園田の小さな女性グループが始めた活動です。

いつも私は厨房にいて外の様子は後で聞きます。

お弁当50食(↑息子が早朝5時から作った)

贈り物の食品(米、インスタントラーメンなど)を

配るのですが、これまで(なんだ、米か)という表情が普通だったけれど、

今回は何人もが「わあ、助かります」と言って受け取ってくれたそうです。

まだ配布が始まる前に青年が一人「米ください」と店に入ってきたのも

世相を表しまくりでした。

食糧支援は、冷酷な日本政府が国民の苦境を顧みず、

「自己責任で賄え」と政治の責任を放置しているせいで、

僅かな力しか持たない庶民が、

自分と隣人が何とか生き延びるために精一杯の力を出し合っているものです。

基本的解決策は、もちろん政府が困窮を余儀なくされている国民のために

消費税を廃止し、生活経済を活性化させることです。

・・・・・・・・・

駅前でビラを配ろうとするとゾンビのような無表情で通過する人々が、

支援食糧の前では違う顔になります。

この落差はどうしたら埋められるか・・・。

まとまりませんが、またいつか続きを書きたいと思います。

 

 

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山下達郎のクリスマスソングおことわり

2024-12-20 12:51:38 | 人権

今年もクリスマスが近づいてきました。

そこで、前もってお願いしたいことがあります。

山下達郎の如何なる曲も私に贈らないでください。

昨年12月24日に、クリスマスソングがいくつか送られてきた中に

何と、山下達郎のが複数件ありました。

「何と」と私が愕然とした原因は、

そもそもジャニーズ問題での彼の発言にあります。

山下達郎は自分がジャニー喜多川に恩があることや

喜多川が有する類まれなマネージメントの才能などを拠り所に

彼を全面的に擁護し、さらに

自分(山下)の姿勢を批判する人々には私の音楽は不要だろう」、

つまり、「私の考えがイヤなら私の曲を聴くな」と述べたのであります。

私に山下達郎のクリスマスソングを送ってきた人たちは、

次のいずれかでしょう。

①彼の発言を知らなかった。

②あるいは、達郎自身と彼の音楽を切り離して考えた。

後者の立場の代表としてカウアンオカモトさんがいます。

ジャニー喜多川からの性被害を実名告発し、世界に広めたカウアンさんは

彼自身もミュージシャンです。

カウアンさんは、山下氏の発言は全く相容れないものだが、

彼の音楽は彼を離れて独立的に評価されるべきだとして、

わざわざSNSで達郎ソングを選んで流したそうです。

しかし、山下達郎自身は自分の考えと自分の作品をいっしょくたにして

「私の考えが嫌なら私の曲を聴くな」と言っているのです。

(ああ、そうですか。もちろん聴きませんよ。

もともと、あんたの歌なんか好きでも何でもないからね。)

これが、私の結論です。

①②どちらかで、私にクリスマスソングを贈ってやろうかという方が

もし、いらっしゃったら、

山下達郎の自分のことだけグチグチ言ってるしみったれた歌より

愛に溢れた曲を贈ってくださいませんか。

私からは下の名曲を皆さんに贈ります。

   

 

 

 

 

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冬の始まりに

2024-12-13 20:09:45 | 反戦平和

シリアのアサド政権の崩壊による中東情勢の深刻な変化、

ハマス、イスラエル軍のガザ駐留を譲歩?

韓国ユ・ソンニョル大統領の弾劾採決の行方などなど、

ハラハラ時計ならぬハラハラドキドキが収まらない恐怖の世界情勢。

・・・・・・・・・

こういう時は川に行くのがいい。

折しも昨日12日は私たちの読書会(その名も「玄冬会」)の藻川(もがわ)探索日だった。

藻川は淀川水系猪名川(いながわ)の分流で兵庫県伊丹市から尼崎市へと流れ、

尼崎市戸ノ内近辺で猪名川と再び合流する一級河川だとウィキペディアに書いてあった。

ウィキペディアに載るほど有名な川だったのを先ほど初めて知り、

(いや~、それほどでも~)と、自分の川でもないのに照れる私であった。

 

↓12月10日、家の近くの藻川で泳ぐカモたち。

5、6年前まで園田付近の藻川河川敷は藪が茫々と生い茂り、

人が散歩するのも困難だったようだ。

それを数年かけて切り開き、人々がのんびり散歩できるまでにした人がいる。

ニックネーム「植物博士」のKさんだ。

昨日はそのKさんに案内していただき、阪急園田駅から直近の河川敷を散策した。

野生の草木が冬姿容に変わりつつある中、駅の傍の土手から降りて数分のところで

一群の菊花が目に飛び込んできた。

ノジギクとのこと。近づくと好い香りが漂う。

Kさんによれば、1924年牧野富太郎博士が兵庫県で日本一の大群落を発見し、

1954年に兵庫県の県花になった花だそうだ。

Kさんはこの周辺を藪払いして、ノジギクの生育を何年も守ってきたという。

(知りませんでした。そして、本当にありがとうございます。)

 

↓こちらはコセンダングサの花と実。

この実が服のあちこちに執拗に付くので、この辺りの引っ付き虫ナンバー1だ。

忌々しい。

 

でも、壁にぶら下げると一気に魅惑の壁になるのです。

また冬が来る。

昆虫の命も尽きる。

↓羽がボロボロのモンシロチョウ。

近づいても、数分間見ていても動かなかった。

↓ショウリョウバッタ。色が褪め、尻尾の部分が傷んでいる。

容易に捕まえられるが、

それでも少しずつ跳ねてどこかへ行こうとしていたので草むらに放した。

↓私の好きなセイタカアワダチソウ。

花も鮮やかな黄色が美しいが、いつも冬の始まりには白い綿毛の群れになり、

心惹かれる。

↓実は、このセンダン(ビャクダン)の木の根元に我が裏庭でなよなよと生きていた

レモン苗を5本植えた。1か月半前のこと。

昨日、生存が確認された。

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「斎藤さんはパワハラしてました。スイマセン」(立花孝志)って、はあ?

2024-12-09 13:56:01 | 中日(日中)交流

兵庫県をめちゃくちゃにして、今さらどうすんねん!!!

周りも笑ってんなよ!クソ野郎ども!!!

もう、言葉が出ない・・・・・・

 

下は私の住む尼崎市内の選挙ポスター掲示板です。

忌々しすぎるので、写真撮影した後は見てもいませんでしたが、

先週、ようやく心を鎮めてパソコンに保存したのです。

赤丸部分の立花孝志のポスター?も吐き気をもよおしながら読みました。

書いてある内容の中で「元県民局長は10年で10人と不倫していた」

というのは、立花自身も嘘だとはっきり言っています。

この嘘つきは嘘しか言わん。

それを信じて斎藤に投票した人にも心底腹が立ちます。

 

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久しぶりの日本語レッスンを終えて

2024-12-07 13:58:31 | 中日(日中)交流

9月後半から週に二日、日本語を教えていました。

一昨年の末、中国の大学のオンライン授業を終えたあとは、

もうこの仕事とは縁が切れたかと思い、

息子の店の手伝いをちょろっとするくらいで

あとは本を読んだり、

裏庭の草木を眺めたり、

暑さ・寒さのしのぎ方研究をしたりと、

好き勝手暮らしていたのです。

それが、ひょんなことから大阪のインターナショナル・スクールに通う高校生に

日本語能力試験3級(N3)対策の個人授業をすることになりました。

試験は去る12月1日に終わり、私も元の暮らしに戻ったところです。

この2カ月半の体験で(そうだ、仕事をするとはこういうことだったんだ)と

思い出したことがあります。

1. 自由時間がなくなる。

毎日、次のレッスンや全体計画を意識して時間を使わなければならない。

「ひねもすのたり」が不可能。

2.のんびり本を選んで読めない。

読む本は日本語関連に集中する。

以前はのびのびと、書かれた行間の空想を楽しめたのに、

自分の興味関心が、教える内容に沿った限定的なものになってしまう。

3.夜中も安眠できない。

昔、学校の教員をしていた時、

夜、眠りながらも夢で教案を練ったり、授業をしていたり、

たいへん生真面目な(笑)人間だった。

多分、日頃から自分の授業に自信がなかったためだろう。

しばらく忘れていたこの感覚が9月から11月末まで蘇ってきた

・・・・・・・・・

今、自由とは何かがちょっと分かります。

仕事をしないことです!

ああ、何もしなくていいことはなんて気分がいいんだろう~~

2カ月半の間の生徒が日本語能力試験に合格するよう願ってはいますけどね。

 

〈付録〉裏庭で多分今年最後のトカゲとの遭遇(11月27日)

このくねくねがなんとも可愛いじゃないですか。

  

こんな裏庭でもちゃんと育ってくれて嬉しいです。

来年の春、また会えるかな。

 

 

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韓国人民「死ぬ覚悟で来た」と国会前へ

2024-12-05 12:21:47 | 民主主義について

なんだ、どうした?!

一昨日12月3日夜に突然、

尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「戒厳令」を発令したというのには心底驚いた。

日本の与党自民・公明、そしてかばん持ち維新・国民民主が

何年もかけて緊急事態条項成立・憲法改正・独裁権力強化に向けて

ジリジリじわじわ真綿で首を絞めるがごとくやってきているのも恐ろしいが、

日本人で韓国事情に疎い私だけでなく、

当の韓国国民もあまりにいきなりのことに吃驚仰天したという。

「昨夜は知らなかったが、一晩のうちに社会が一転、二転した。

国民として事態の推移を知らなかった自分が恥ずかしい。」

と、平穏な朝の市内でインタビューに応じたソウル市民もいた。

わたしが何よりも感銘を受けたのは

戒厳令を聞いた韓国市民と国会議員たちが、

尹大統領が国会封鎖をする前に国会を開いて戒厳令解除決議を挙げるため

ものすごい勢いで国会に駆けつけたことである。

「国会議員たちを応援するために、彼らの言葉を支えるために来ました。ニュースを聞いてすぐ車で1時間以上かけて駆けつけました」(キム・テヒョン、京畿道[キョンギド]水原[スウォン]市、45歳男性)

「国会議員を守るために来ました。私たち市民が出てきて私たちの力を見せてこそ、国会議員たちが私たち国民を信じて正義の道を進めるのではないでしょうか」(キム・ソヨン、ソウル市、56歳女性)

「議員たちも怖かったはずです。周囲を武装した軍人が取り囲んでいるのですから」(カンさん[仮名]、ソウル市、50代女性)

「まず国会を封鎖すると考え国会に来ました。こうやって国民が抵抗しなかったら、そして国会議員や記者が抵抗しなかったら、ここ(国会前)は既に戦車や装甲車、空挺部隊が掌握していたかもしれません。

ここに来ながら最悪の状況が起きるとも考えました。だが、それを知った上で国民たちが動きました。実際に兵士の国会進入を防いだ市民もいます」(パク・コニョン、京畿道安陽[アニャン]、55歳男性)

戒厳令を解除させられるのは唯一国会だけ。

しかし、大統領が国会封鎖をしてしまったらその手段も断たれる。

1979年全斗煥による戒厳令の時がそうだった。

そして、あの光州事件が起きた。

一昨日の戒厳令発令で、韓国国民の多くが軍隊による光州虐殺を想起したという。

ことは一刻を争い、車でソウル国会前に駆けつけた地方の人々もいる。

この二日間は韓国の民主主義が遥か深くまで国民に浸透しているのを思い出させた。

緊急事態条項が法制化されたら、

日本でも戒厳令が現実のものとなる。杞憂でもなんでもなく。

今回の隣の国の人々の行動が、

麻酔注射されているような日本国民の意識を呼び覚ましてくれたらいいんだが・・・。

【参考にしたジャーナリスト徐台教(ソ・テギョ)さんの記事】

 ↓    ↓    ↓    ↓    ↓

「死ぬ覚悟で来た」…尹錫悦大統領の‘非常戒厳宣布’に抗った韓国市民、背景に民主主義の歴史(徐台教) - エキスパート - Yahoo!ニュース

「死ぬ覚悟で来た」…尹錫悦大統領の‘非常戒厳宣布’に抗った韓国市民、背景に民主主義の歴史(徐台教) - エキスパート - Yahoo!ニュース

 3日22時半頃、野党を「反国家勢力」と見なす尹錫悦大統領による突然の‘宣布’で始まった、45年ぶりの韓国「非常戒厳」事態。 明くる4日午前1時頃に国会で可決された「非常...

Yahoo!ニュース

 

 

 

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12月2日から健康保険証は発行しないという。私は何もしない

2024-12-01 14:15:01 | 民主主義について

12月から健康保険証の新たな発行はしませんよ、と日本政府は決めました。

(だから何?)と私は心で呟きます。

今持っている保険証は来年の使用期限まで使えるし、

期限までには資格確認書が送られてくるので、

それ以後は資格確認書を使って医療機関で診察を受けられるのであります。

つまり、何もしなくても心配することはないのであります。

見た目も両者はほぼ同じ。

↓ 資格確認書の見本

↓ 健康保険証の見本

むりくりマイナ保険証を作らせようとして、

「12月から保険証の新規発行はしないぞ」と危機感を煽る政府の意図を

汲んでやる義理も人情も、国民の一人である私には全くないのです。

法律違反でもありません。

石破首相が総理大臣になる前(9月8日)に記者会見で述べた言葉、

「マイナ保険証と今までの保険証は併用する選択肢があって当然」

日本全国津々浦々まで知れ渡っております。

(こういうことやってるから政治不信が加速するのだ。馬鹿野郎)

と私は心で呟くのであります。

 

 

 

 

 

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