6月24日(日)は、朝から大忙しでした。
まず、家の中を全部そうじ機をかけて
トイレそうじに玄関そうじと洗面所のそうじ。
それが終わって、お昼ご飯を食べて出発!!
今日は 『なにわの宮リレーウォーク』 の最終日。
しばらく前から楽しみにしていました。
集合場所は、JR環状線の 『森の宮駅』 です。
受け付けで名前を言ってたら 「6班です。」 と
報告されて、そのグループへ。
最初の見学は 『鵲(かささぎ)神社』 でした。
ここは、乳がん検診で乳がんと告知された帰り
お参りした神社で、思い入れのある所です。
(鵲神社、都会の真中にあります。)
(ビルに囲まれた神社なので、ビルの屋上に神殿の屋根が見えます。)
無事手術も終わり、元気になれたのも
ひょっとしたら、この神社さんのお蔭なのかも・・・。
と思ったりしながらお参りしました。
(まぁ~、歴史ウォークでしたので、お参りする人も少なく。)
(鳥居の横の碑には森ノ宮という文字も。)
推古天皇の時代に遣新羅使が新羅から鵲2羽を持ち帰り
天皇に献上したことにより 「鵲の杜」 と呼ばれ、さらに
「鵲の森の宮」 となり、地域も 「森の宮」 と呼ばれるように
なりました。
次は、『森の宮遺跡』 今から約6000~5000年前の縄文時代
中期に森の宮地域に人が住み着きました。当時河内平野はほとんど
海の中で、森ノ宮は半島状態になっていた上町台地の北端にあり
縄文時代、弥生時代、古代、近世を通して人が住み続けました。
(この遺跡からは18体の人骨や大きな貝塚が見つかりました。)
気候が温暖で、波静かな内海である河内湾では魚・貝・海草が、裏山の
上町台地では猪や鹿、木の実などの食料が豊富にあったからです。
そして、伝国府跡と北国府町へ。
江戸時代の初期、元和頃から国分町と称してきました。古代この地に摂津
の国府があったという伝えがあり、国府が訛って国分となったようです。
(北国府町と刻まれた碑)
『十兵衛屋敷跡』 へ。
人形浄瑠璃 「傾城阿波鳴門」 に出てくる十兵衛の屋敷がこの辺りに
あったようです。 現代の大阪板硝子販売会社の本社社屋とその周辺を
含むかなり広い場所に土塀に囲まれた屋敷があったそうです。
(この辺りに十兵衛の屋敷があったとか?)
次は 『玉造稲荷神社』 へ。
第11代垂仁天皇の18年秋に創祀されたという大阪でも有数の古社。
伏見稲荷大社よりもはるかに古い歴史を持つ神社で、本殿の前には
狐ではなくて狛犬がいます。
豊臣家や江戸の時代の歴代の大坂城代からも大坂城の守護神として
崇敬されていた。
(由緒のある玉造稲荷神社)
(阪神大震災の時に鳥居にひびが入り、このように上の部分が地中に埋められた形に。)
(この神社には、豊臣秀頼公の像も。秀頼公は立派な体格だったよう。)
(稲荷神社ですが、本殿横には狛犬がいます。)
この歴史ウォークの続きは、また後日に。
6月28日のアクセス数閲覧数:472PV 訪問者数:99IP順位: 19,828位 / 1,733,683ブログ中 (前日比 )
(昨日もブルグを更新しなかったのですが、順位が付きましたぁ~。明日は更新するぞぉー!!)
月27日のアクセス数閲覧数:601PV 訪問者数:106IP順位: 18,087位 / 1,733,353ブログ中 (前日比 )
この日は、ブログに順位が付いて、うれしいです。
急いでいたので、写真のUPもしていなかったのですが・・・。
下の日は、更新しなかったのですが不思議と順位がついちゃいましたぁ~。
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