どうも自分がストレートな言葉を連ねることが多すぎる気がする。
毎週木曜日に届く朝日新聞の夕刊は、舞台や演芸の批評が多く、
その批評を試みる文章には毎度果てしなき思いに駆られます。
殊勝に言えば「意趣を凝らした文言のレトリックに感服する」
美しくいえば「真髄を掴み取るための言葉の運動」
投げやりにいえば「ついては行けません」
演劇ジャーナリストによる、こまばアゴラ劇場での舞台評。
「過剰な自意識によってがんじがらめになった人々の、真剣だからこそ滑稽な、
そして滑稽ゆえに切ない姿を、滑稽にも切なさにも等しい距離をとりながら扱ってきた。
水面に石を投げて笑いや驚きを生むのではなく、水底を揺すっておかしさや悲しみを伝える
〇〇の作劇は、さりげなさと凄みを増し、明るさと暗さの絶妙の合わせ技を成功させた。」
1時過ぎに帰宅して読む文章としてはつらくもあります。
ですが、こうして幼児が砂糖水を飲むように、私は求め焦がれます。
言葉が跳躍し、対象を照らし出す、把握し理解するための技を、
自分の手に入れることを。
しかしすぐ、現実に落とし込みたくなるのも、私の西側的直截さのシナプス。
あんこあられに幸あれ。