「来月、〇〇さんが久しぶりに上京するんですけど、高田馬場でミャンマー料理はどうですか」
「いいね! でもその日は、ぼくは都合が悪いなあ」
「それは残念。じゃ、店の下見に付き合っていただけませんか」
韓国つながりの友人からの誘いです。ミャンマー料理というのは、やや唐突感がありますが、私が10年ほど前にミャンマー料理にはまっていたことを知っていての提案のようです。
土曜日に高田馬場で待ち合わせました。
最初に行ったのが、駅前にある「ノングインレイ」。少し前に、「孤独のグルメ」でも取り上げられたことがある、ミャンマー料理の老舗です。
「あれ、満員だ」
「テレビに出たからかな」
同じビルの2階にあるミャ・ミンモに行くと、閉まっていた。ドアには「二号店」の地図がありました。
「たしかこの路地にもう一軒、あったけど、つぶれたんだっけ」
行ってみると、ミャンマーレストランがありましたが、初めて見る店名(ハル)です。店の前で入るかどうか躊躇していると、中からミャンマー人のおばさんが出てきて、しきりに誘います。
「じゃ、一軒目はここにしよう」
とても狭い店内で、テーブル席には大学教授とその教え子たちという感じの日本人の団体と、ミャンマー語を話す男性3人連れがおり、私たちは、店のおばさんが伝票を整理していたテーブルが急遽片付けられて、そこに通されました。
「昔、ここ、マン・ミャンマーという名前でしたよね?」
「あら、マン・ミャンマーを知ってるの? 彼女は昨年、ミャンマーに帰って、そのあと私がやってるんです」
「そうなんですね。マン・ミャンマーにはよく行きました」
「あれ、先生! 先生じゃないですか? 私のこと覚えていませんか」
「ああ、あっちの4階でやってたお店? カラオケもありましたよね」
「そうです、そうです。なつかしい」
彼女は、別の場所でシュエー・オーというスナック兼レストランをやっていた女主人でした。そのときもそうですが、なぜか私のことを「先生」と呼びます。日本人男性は、彼女にとって「先生」か「社長」に2分類されるようです。
「ミャンマービールはありますか」
「ああ、今は入荷しないんですよ。クーデターがあってから」
日本の生ビールといっしょに出されたのが、冒頭の写真。
「食べられますか?」
ママさんが、(どうせ無理だろう)という顔で小皿を出します。
「おお、これは⁉」
「ポンテギですね」
韓国に長く住んでいた我々にとっては、馴染みの品です。
ただ、連れの日本人は私より韓国在住期間がずっと長いのに、ためらっていました。
「あれ? 食べないんですか」
「いや、甲殻類アレルギーなんで。ポンテギにも、ときどき反応するんですよ」
ということで、主に私が食べるはめに。韓国のポンテギは、醤油と砂糖で結構味がしっかりついていますが、ミャンマーのポンテギは薄味。その分、素材の味をダイレクトに味わうことができます。
ポンテギの話(2)
「あら、食べられるのね。日本人は苦手な人が多いけど」
「これ、なんですか」
「×〇△…。日本語はわからない」
「シルクを作る虫でしょう?」
「そう、それです!」
(やっぱりポンテギだ)
そこでは豚のモツの煮物を食べて、二軒目に。
次に向かったのは、「ルビー」でした。こちらも3回ほど行ったことがあるミャンマー料理。ご夫婦は、ミャンマーの民主化運動の活動家で、日本に亡命して活動をしながらレストランをやって生計を立てていました。その生きざまは、日本の映画監督によって映画化されたことがあります。
「ひさしぶりです!」
奥さんは、やはり私のことを覚えてくれていました。
「あれから一度、ミャンマーに帰ったんですけれど、またこんなことになっちゃって。次にいつ帰れるかわかりません」
高田馬場にコロニーを作っているミャンマー人の多くは、1988年の民主化運動弾圧で海外に難民として流出した知識人たちです。
その後ミャンマーでつかの間の「民主化」が実現したとき、祖国の復興のために帰国した人もいますが、すでに生活基盤が日本にあったり、数年前のクーデターで再び迫害されて戻ってきた人も多い。そのような人たちが高田馬場でレストランを開いているのが10軒ぐらいあります。
こちらの店では、豚のスペアリブと、ミャンマー伝統料理の一つ、「お茶の葉サラダ」をいただきました。
「まだ時間が早いですね。もう一軒行きましょうか」
もう一度駅近辺に戻り、「さかえ通り」に入ります。
「あ、ここだ」
先ほど閉まっていた店の二号店を偶然見つけました。
階段を下りていくと、店の前に若い男性グループがたむろしています。
「待っているんですか?」
どうも日本語があまりわからないらしい。
すると中から、煙草を吸うためでしょうか、別の若者が出てきました。こちらは日本語が少しできる。
「今、満員ですね」
「はい」
店内からは、ミャンマー語の歌が大音量で聞こえてきます。
「この店、駅前の店に二号店ですよね」
「ぼくは今日初めて来たので、わかりません」
「日本は長いんですか」
「はい、以前は高知県にいました」
「技能実習生?」
「そうです。災害などで崩れた道路の補修などをやっていました」
最近は、技能実習生としてくるミャンマー人の若者も多く、そういう人々が故郷の味を求めて、高田馬場のミャンマーレストランに集うようです。
面白そうな店でしたが満員なので別の店に。
最後に向かったのが、スィゥミャンマー。ここのご主人は、昔、朝日新聞夕刊の「顔」という欄で取り上げられ、私も2回ほど来たことがあります。残念ながら、ご夫婦ともに私のことは覚えていませんでした。
「前来た時、高校生の娘さんが店を手伝っていましたね」
「ああ、娘も今は25歳です。日本の会社で働いています」
「娘さんは、ミャンマー語が出来ますか」
「はい、私たちの言うことはわかりますが、しゃべったり、読み書きはできません」
「ずっと日本に住むんですか?」
「はい、そうなりそうです。いつ帰れるかわからないし」
店には、アウンサンスーチー女史の写真が何枚も貼られています。旦那さんは1988年当時、学校の先生をしていた知識人。
「ミャンマーにいる知り合いが、SNSで政府を批判したら逮捕されたって聞きました。こわくて帰れないです」
ここでは、ナマズスープの麺(モンヒンガー)と、ダンバウというチキンチャーハンをいただいて、「シメ」にしました。とてもおいしかったです。
結局、この日は三軒のミャンマーレストランを「下見」しました。
「今度来るお店、決まりましたか」
「いやー、迷っちゃいますね。どの店も味のある店なんで…」
残念ながら私は不参加ですが、本番もよい飲み会になればいいなあと思います。
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