国語教科書の翻訳を通した韓国語の勉強で,印象に残った部分をいくつか紹介します。
以下は、1989年版、韓国中学校1年国語教科書(国定)からの引用です。
7 次の文を読み、問いに答えなさい。
結果はすべて、努力したぶんだけ得られる。
ところが、最近、僥倖を願う人が多いようだ。努力せずに一攫千金を得ようとし、汗を流さずに高い地位を得ようする人々がいる。黙々と自分のすべきことをしながら、よりよい明日を夢見る人たちを見れば、僥倖を願って生きるこれらの人は、あまりにもずるいと思う。社会が不公平だと文句をいう人たちの多くの大部分が、むしろ努力しない人たちである。
いつか、両手が不自由な若者が印鑑を彫って一生懸命働いて貯めたお金で、故郷に学校を建てたという新聞記事を読んだことがある。客観的に見ると、この若者は、他の人よりずっと恵まれていない人だ。にもかかわらず、その若者は、「努力してください。努力しただけの結果が得られるのです。できないと不平をいうのは、努力不足なのです」と言っていた。
「豆を植えれば豆がとれ、小豆を植えれば小豆がとれる」という言葉は、当たり前すぎる言葉だ。しかし、同時にいちばん難しい言葉なのかもしれない。
(1) 事実と違うところをさがして、下線を引きなさい。
(2) 不要な言葉を一つ探して、下線を引きなさい。
これ読んだとき、なかなかいい文章だな、と思いました。
ただ、当時は韓国語がまだよくできなかったため、設問(1)の答えがいくら考えてもわからない。(2)のほうは「多くの大部分」の「多くの」。これはわかった。
で、(1)の答えを韓国人に聞いたところ
「両手が不自由な人が印鑑を彫れるわけがない」
と、こともなげに答えてくれました。
そのとき、なんだか背筋がぞっとしたのを覚えています。
内心,「いくらなんでもそりゃないだろう」と思いました。教科書には答えがついていないので,本当の正解がなんなのかわからないのですが,可能性としては、「印鑑を彫って得られるお金ぐらいで、学校なんか建つはずない」っていうのもありかもしれないけど、いずれにしても障害者を嘘つき扱いするわけだから、この設問がもつ差別性は否定しようがないと思います。韓国社会における身障者差別(→リンク)が、教育に起因するのではないかと思ったものです。
同じく中2の国語教科書
1 次の文を読み、問いに答えよ。
ヒキガエルに美しさとは何かを聞けば、ヒキガエルは、美しさとは、小さい頭に、飛び出た二つの丸くて大きい目玉、広くて大きい口、黄ばんだお腹、茶色などと答えるだろう。
ギニアの黒人に聞いてみよ。美しさとは、黒くて脂ぎった肌、深く窪んだ二つの目と獅子鼻だと答えるだろう。
悪魔に聞いてみよ。彼は、美しさとは、二つの角、四つの爪、一つの尻尾だと答えるだろう。
(1)上の文にでた素材を、あるだけ探せ。
(2)その素材はどんな主題を表すのに役立っているか?
(3)君たちが美しさについて話すとしたら、どんなものを挙げるか、考えよ。
「ヒキガエル」「ギニアの黒人」「悪魔」……。この並べ方っていったいどういう神経しているんだろう。
かのロス暴動が起こったとき、韓国の中学生はこんな教科書で勉強してたわけです。
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裁判、頑張ってください。
さて、事実と異なる点。
私も手が不自由でどうやって印鑑を彫るのだろう、と素朴な疑問を感じてしまいました。でも韓国の印鑑って機会彫りなんですね。これならあながちウソではない。
そこで、私の答えは。これ。
「結果はすべて、努力したぶんだけ得られる。」
人間には持って生まれたものがあるのだから、努力だけでは超えられない限界があります。どんなに努力したって100m走で国体はおろか足の速い小学生にも負けてしまうでしょう。
正しいけど、これを小学生に教えちゃいけないでしょう。
http://www.chosunonline.com/article/20031029000091
昭和10年代、日本にいた外国人労働者を子供が馬鹿にすると学校の先生に怒られたそうです。
私の小学生時代にアメリカンスクールと交流がありましたが、クラスメートの不適切な発言は、学級会で取り上げられ、先生から指導があったのを覚えています。
現在の若者の認識は、周囲の大人が作って来たはずですね。
この記事を読むとこの傾向はまだ続きそうな感じですね。
日本ではハーフも差別語とされて、ダブルと言えと。