小学校5年生2学期の教科書に、独島に関する記述がありました。1ページを使って、3種類の古地図とともに説明されています。
初等学校社会5年2学期86ページ(2011年9月1日初版発行)
わが土地、独島
わが国の東海の端にある独島は、新羅の異斯夫(イサブ)が鬱陵島を征服して以来、わが国の国土だ。『世宗実録地理志』、『東国輿地勝覧』などにも、わが国の領土として記録されている。朝鮮肅宗時代、安龍福が鬱陵島と独島に来た日本の漁師たちを追い払い、日本に渡って、わが国の領土であることをあらためて確認したこともあった。1900年には、勅令によって鬱陵島に官吏を派遣し、独島まで管轄させた。しかし、日本は1905年、露日戦争中に秘密裏に独島を「竹島」と名付け、日本の島根県に一方的に編入した。これは明白な不法領土侵奪だった。翌年、大韓帝国政府は、独島がわが国の領土であることを再び明らかにした。このように独島は、新羅以後現在にいたるまで、厳然たるわが国の領土であり続けてきた。
地図
① 新撰朝鮮国全図(→リンク)
1894年、日本で発行されたこの日本地図にも、鬱陵島と独島が朝鮮領土と同じ色で塗られている。
② 大朝鮮国全図(東輿図)-江原道編(→リンク)
19世紀末、大朝鮮国全図の江原道部分。独島は鬱陵島の東側に「于山」として正確に表記されている。特に、鬱陵島と蔚津の間には「水路八百里」と記されており、往来が頻繁であったことを示している。
③ 金大建神父が制作した地図(→リンク)
金大建神父が1845~1846年の間に制作した朝鮮全図の中の鬱陵島と独島部分。鬱陵島が「Oulengto」、独島が昔の地名である「Ousan」として記録されている。
韓国が教科書に書いている内容が正しいかどうかを判断する資料を持ち合わせていませんが、①の色が同じだというのがどれほどの根拠になりうるのか。
なお、この資料は保坂祐二世宗大学教授が「発見」したものだそうです。保坂さんは数年前に韓国に帰化したという珍しい方です。
②と③は、「于山」が独島だという前提になっていますが、そもそもこれが議論になっているらしい、ということが以下のリンクでわかります。
于山島の形状比較
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まあ百歩譲って、朝鮮の一部の先人が竹島を知っていたとしても、そもそも大陸ばかりを気にしていた半島人が、鬱陵島から50km以上も離れた水も無く食べるものも無い、船さえも着けられない小さい岩場の島を、わざわざ地図に記していたとは思えない。
これから先、古書や古地図をどれだけ探しても出てくることは無いでしょう。
彼らが「我々の先人ならきっと先に見つけて地図に記しているに違いない」と思いこんでいるのは、「神話」ばかり教えられてきたから(?)なのでしょうか・・・・不思議でたまりません。
形状比較?
絵図なんだから、どんな島も似たような形になって当たり前だろ。
朝鮮人のレベルの低さがよくわかる。
大笑いしました。
コメントありがとうございました。
韓国の教科書に出てくる、どんな縮尺の地図にも、必ず独島が載っています。
東アジアのイラスト化された地図があって、そこにも独島がしっかり載っているのですが、佐渡島も沖縄も、そしてなんと台湾もない!
笑ってしまいました。