犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

少年の日の思い出

2007-12-27 00:06:16 | 思い出

少年の日の思い出

 ドイツの文豪,ヘルマン・ヘッセの小品で,昔,よく中学の国語の教科書に載っていたので,ご存じの方も多いでしょう。韓国の教科書にも日本語から重訳されていたという話は以前,このブログでもとりあげました(→リンク)。


 今日の話は,私自身の「少年の日の思い出」です。クジャクヤママユの話ではなく,たこ焼きの話。

 大阪の家庭には,一家に一台たこ焼きセットがあるという話を聞きました。関東では,たこ焼きというのは家で作って食べるものではなく,またたこ焼き屋さんで昼食代わりに食べたりするものでもなく,年に数回,縁日や神社のお祭りのときなどに屋台で食べるものというイメージでした(少なくとも私の子どものころは)。

 金魚すくい,セルロイドのお面,ラムネ,タコせんべいにスモモなどの中で,子どもたちの一番人気はやはりたこ焼き。たこ焼き屋の露店の前には,いつも長い行列ができていたものでした。


 あれは40年近く前でしょうか。近所の神社の,一年に一回の夏祭に行ったときのことです。

 小学校2年生だった私は,6年生の兄が学校の友達と連れ立って行くのについていきました。
 夜の7時すぎ,神社の境内にはたくさんの露店が並び,賑わっていました。兄たちはたこ焼き屋の前の行列を見て

「ちぇっ,こりゃだめだ」

と舌打ちし,ほかの所へ行ってしまいました。

 でもぼくはたこ焼きが食べたかった。どうしても食べたかった。並んで,待ってでも食べたかった。
 それで,親から特別にもらったお小遣いの50円玉を握りしめ,列のいちばん後ろにつきました。

 たこ焼きは,3つずつ串刺しにして売っていた。一本いくらだったのかは覚えていませんが「お兄ちゃんの分も買ってあげよう」などと考えたところから見て,50円で2本買える値段だったようです。

 兄とは5歳離れていて,当然腕力ではかなわない。けんかすればいつも組み伏せられたり,泣かされたりしていました。決して仲のよい兄弟ではなかった。でも,そのときふと「買っていってあげれば喜ぶだろうな」などという殊勝なことを考えたのでした。そんな考えをしていなければ,あの悲劇は起こらなかったかもしれません。

 30分以上待ったと思います。順番が近づくにつれ,たこ焼きのおいしそうな匂いに唾をごくりと飲み込みます。テキ屋のお兄さんはヤクザ風ではなく,アルバイトでしょうか,メガネをかけた学生風でした。

 ついに自分の番が回ってきました。出来たてのたこ焼きにハケでソースを塗り,仕上げに青海苔を振りかけます(当時は,かつおぶしとかマヨネーズなんてかけなかった)。それを3個ずつ竹串に刺す。当時はプラスチックの皿なんてなく,そのかわりに木を紙のよう薄くけずったものを皿がわりにして,その上に2本のたこ焼きをのせます。

 片手で受け取り,片手で支払いをすませ,はやる気持ちを抑えてさっそく一本を持ち上げました。

 そのときでした。

 もう一本のたこ焼きが地面に落ちてしまったのです。

(あっ! お兄ちゃんの分が…)

 覆水盆に返らず。覆蛸焼皿に返らず。

 地面に落としたたこ焼きはもう食べられません。でも,そこは子ども。よせばいいのに未練がましく拾い上げようとしたんですね。そして,かがんだ瞬間,なんともう一本のたこ焼きも落としてしまったのでした。

 周りにいた人のだれもが息をのみました。

(かわいそうに…)

 浴衣姿のお姉さんたちの同情のまなざし。テキ屋のお兄さんは一瞬迷ったそぶりを見せましたが,すぐに下を向いて次の仕事にかかる。

 泥のついた二本のたこ焼き…。

 もはやどうすることもできません。拾い上げてその場に立ち尽くした数秒の間,私の頭の中であらゆる思いが交錯しました。

(せっかく買ったのに…)

(あんなに待ったのに…)
 
(お兄ちゃんのためだったのに…)

(50円もしたのに…)

 必死に涙をこらえましたが,きっと顔はくしゃくしゃにゆがんでいたことでしょう。

 いたたまれなくなった私は,泥まみれのたこ焼きとお皿をほうり出して,方向も定まらずにかけ出しました。

 そのときです。

 さきほどからゴロゴロいっていた夏の夜の空に一閃,稲妻が走ったかと思うと,すさまじい雷鳴がとどろきました。それと同時にお祭りの会場が真っ暗になったのです。きっと近くに落雷したのでしょう。
 そして,はじめはぽつぽつ落ちてきた大粒の雨が,あっと言う間に土砂降りになりました。

「キャーッ」

 境内は突然の停電と雷雨で大混乱に陥ります。暗闇の中,先を争って家に帰ろうとする人々がぶつかりあいます。

 私はパニック状態の神社を抜け出し,激しい雨の中,街灯の消えた暗い道を家に向かって走ります。我慢していた涙がどっとあふれました。とめどなく頬を伝わる悔し涙は雨に洗い流されます。

 そのおかげで泣き腫らした私の顔は家族に気づかれることもなく,このみじめで悔しい「少年の日の想い出」は,私の心の中にそっとしまわれました。

 この逸話を,家族の間で笑い話のように語れるようになったのは,大人になってからですね。

 なんか,チョウンセンガクの投稿記事みたいになっちゃったなあ。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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ちょうんせんがく (misuk)
2007-12-29 16:53:23
純で可愛い少年だったんですねぇ^^

同世代には懐かしい話です。
今ならソフトクリーム丸ごと落とした子には
すぐ新しいものがもらえたりします。
それでは何も記憶に残らないし、いい思い出
にはなりませんからね。
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アルバム (犬鍋)
2007-12-29 18:36:28
昨日実家に帰って,久しぶりに幼稚園や小学校のアルバムをなつかしく眺めました。

そのころ集めた牛乳ビンのふたが,まだ残っていた!!
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あの頃 (misuk)
2007-12-29 22:28:29
残ってましたか~^^
ずっと疑問だったんですけれど・・・
あの頃、男の子達はなぜあんなに熱心に
ふた集めてたんですか?
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蒐集癖 (犬鍋)
2007-12-29 23:59:00
実用性のないものを集めるのは,男性特有なのかもしれません。

女性はアクセサリーとか靴とか実用的ですね。

そういえば,明洞の地下街に「イメルダ」という靴屋がありました(笑
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