犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

墓碑銘~Tさんのこと

2007-12-28 00:02:46 | 思い出
 人には誰も人生の師と呼べるような人がいると思います。

「師」というのは大袈裟だけれども,その人に出会ったことで,自分の人生観に大きな影響を受けたというような人がいるのではないでしょうか。

 先日,前に勤めていた会社の同窓会のとき,Tさんが亡くなったという消息を耳にしました。今年の夏だということですから,ちょうど私が韓国から帰任した頃です。

 Tさんは私にとって,「師」にあたるような人でした。

 私が大学でソシュールの言語学などをかじり,「世界についてだいたいわかった」というような頭でっかちな,今考えるときわめて幼稚な思い上がりをもって,出版社に入社したとき,配属された雑誌編集部の校正責任者がTさんでした。

 そこで私は,締め切りに追われる激務のかたわら,毎晩のようにTさんとお酒を飲みながら,編集・校正のイロハを習い,アカデミックな世界とは別の実社会について,ひいては人生について多くを学びました。

 Tさんは,もともと理科の教科書の編集者。

 教科書というミスの許されない書籍の編集に携わることで編集実務を身につけた。
 一方で,当時激しかった労働組合運動に身を投じ,労組の闘士として会社と闘った。
 その後,教科書会社を辞め,フリー編集者として,当時一種のブームになっていた「百科事典編纂」のプロジェクトを渡り歩いて,生物分野の編集をしていたとのことです。

 そのプロジェクトが終わったころ,新しい科学雑誌の創刊メンバーとして声がかかり,最初は編集者として,後に校正チームの責任者として活躍していました。

 私が新入社員として担当した記事を校正チームにもっていくと,何度も突き返されたものです。
 当時,原稿はワープロで作成する時代になっていました。「節約」のつもりで「裏紙」に印刷してもっていくと,「大事なゲラに,裏紙を使ってはいけない。裏映りして読みにくいし,ミスの原因になる」「赤は簡潔明瞭に入れ,だれが見ても読み誤らないようなきれいな字で書くこと」「よけいな落書きをしてはいけない」「データの裏付けになる資料を2つ以上添付すること。どんな高名な学者が書いたものでも,信じてはいけない」…。
「編集」の厳しさを教えられました。

 私の会社は創業者オーナーによるワンマン経営で,人事も給与もオーナーの一存で決められていた。私が入社する前に,激しい組合闘争があり,ときに新聞の社会面を賑わわせることもあった。先鋭化した組合員は多くが解雇,残った人たちは隔離就労施設で不要不急の仕事をさせられていた。入社時には,組合は解散,組合もどきの御用団体があるだけでした。
 Tさんはよく酒の席で,「なんで君たちは組合を作って闘わないんだ」と私たち若者をけしかけました。

(いまどき組合闘争なんて…)

 80年代後半は,労働運動もすっかり下火になっていましたから,この部分では,Tさんの感覚はちょっと古かった。

 一方Tさんは「虫屋」でもありました。専門は「クモ」。
 虫についての蘊蓄を開陳するときの顔の輝きが今も忘れられません。

 一度,休日に狭山にハイキングに行ったことがあります。
 今は早稲田大学の敷地になっている自然林。トトロの里としても有名です。その自然を守ることを条件に,早稲田大学に管理が任されているもののようです。Tさんと私を含め4人で,手つかずの自然の中を一日歩き回りました。
 湿地にはさまざまなトンボが飛び交います。子どもの頃に見て以来,久しく目にすることのなかったオニヤンマやギンヤンマ。羽根の黒い,珍しいトンボもいました。木の枝そっくりに擬態するナナフシや,図鑑でしか見たことのなかったカワセミを,初めて見たのもこのときです。

 その後,私は別の編集部に人事異動になり,さらに転職しました。

 転職後は,以前にも増しての残業続きで,Tさんと飲む機会も少なくなりましたが,私の韓国赴任が決まったとき,一升瓶片手に家を訪ねました。そのときに定年で嘱託社員になってから給料が半減したなどといっていましたから,今年亡くなったときは70代半ばだったのでしょう。

「生涯一編集者」を貫いた人でした。

 今,私の実家に,エビネの鉢植えがあります。

 野生種に近いもので,毎年春になると,白と緑の中間の色の,清楚な花を咲かせます。20年以上前,Tさんが,家で栽培していたものを株分けしてくれたものです。
 多年生のランで,ほっておいてもたくましく育ちます。結婚して家を出て以来,手入れは母まかせ。

 先日,実家に帰ったとき,

「あっ,まだ元気に生きているんだ」

と感慨を新たにしました。

 Tさんのご冥福をお祈りします。

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