写真:昔の缶切り
言葉は生き物で、新しい言葉が生まれる一方で、使われなくなっていく言葉もある。用法が変わる場合もあります。
言葉が死語になる理由も、いろいろです。
もっともわかりやすいのは、モノそのものがなくなり、同時にそれを指す言葉も使われなくなるというもの。
ラジカセは、使われなくなって久しい。レコードとか、ポケベルも。
牛乳は紙パック入りが主流で、牛乳ビンは少なくなった。それに伴い、牛乳ビンのふたを開けるもの(栓抜き?)もなくなった。
缶詰(缶入り飲料を含む)は今もありますが、缶切りはなくなった。
缶切りがなくても開けられる方式(プルトップ?)が多くなったからです。
たまに缶切りで開けなければならない缶詰を買ってくると、4人の娘たち(今30歳前後)は、うまく開けられなかったりする。コツが要りますからね。
最近、なつかしい缶詰を買いました。
アスパラガスの缶詰(プルトップ式)。
私が子どもの頃(50年前)、アスパラガスといえば缶詰。
家族7人中、3人(祖父母、伯母)が入れ歯だったので、この歯ごたえのないアスパラガスを、ありがたがって食べていました。
その後、グリーンアスパラガスが出回るようになって、缶詰のやつはあまり食べなくなった。
グリーンアスパラガスのほうが栄養素が豊富そうだし、おいしいからです(これは主観か)。
今ではたんにアスパラガスといえばグリーンアスパラガスをさし、缶詰のほうを「ホワイトアスパラガス」などと言って、区別するらしい。
「これ、なんですか?」
「アスパラガスだよ」
フィリピン人のD(3女の夫、同居中)はグリーンアスパラガスしか知らないようでした。
「食べたことありません」
「マヨネーズかドレッシングをかけるといいよ」
「やわらかいですね。あまり味がないし…」
どうも、あまり好きじゃないようです。
それは私の妻も、娘も同じ。
結局、ひと缶すべて、私が食べる羽目になりました。
確かに、子供の頃はうまく使えませんでした。
ダイヤル式テレビが無くなってからずいぶん経ちますが、チャンネル回すは、今でもシニアでは思わず口から出てしまいます。意味が分かる若者もこれからは減るでしょうね。
電話のダイヤルも回すものでしたね。歌謡曲に出てきますね。
モノが無くなると、時間差で言葉もだんだん消滅して行きますが、ちょっと寂しい気もします。