写真:韓国尹錫悦大統領(聯合ニュース)
Korea World Timesに寄稿した記事のリンクです。
安倍元首相殺害に韓国人歓声を上げる 安重根と重ねたり戒める報道も
記事中のオーマイニュースの記事を、拙訳で紹介します。
オーマイニュース2022年7月8日(リンク、韓国語)
Korea World Timesに寄稿した記事のリンクです。
安倍元首相殺害に韓国人歓声を上げる 安重根と重ねたり戒める報道も
記事中のオーマイニュースの記事を、拙訳で紹介します。
オーマイニュース2022年7月8日(リンク、韓国語)
安倍ニュースに歓呼するネットユーザー、これは違う
[主張] テロを排し対話で問題解決を図るのが民主主義.. われわれはそれができる
参議院選挙を2日後に控えた7月8日、日本で驚天動地の事件が起きた。午前11時30分頃、奈良県大和西大寺付近で安倍晋三元首相が銃撃に倒れ移送されたのだ。
TBSの速報によると、安倍晋三元首相は左胸部に銃弾を受け、首にも一発が当たったという。メディア報道によると、午後12時20分頃に地域の病院に移された安倍元首相は、心肺停止状態だったと伝えられている。日本の警察は安倍元首相を狙撃した自衛隊出身40代の容疑者を逮捕したという。
安倍元首相の銃撃事件が今後の日本にどのような影響を及ぼすのだろうか。安倍元首相が21世紀の日本を主導した大物政治家だったことは、支持する者も反対する者も首肯する事実だ。そうした人物が選挙を目前に控え「テロ」によって倒れた。日本では1930年代に新聞紙面を賑わわせた政治テロが2022年の現代に起きたのだ。これに驚いた日本社会が今後どんな方向に向かうか、今、推測するのは容易ではない。
ところで、この急迫した情勢を韓国の大衆がどのように向き合っているか、自問する必要がある。
日本の友人が送ってきたリンク…「いくら安倍が嫌いでも、どうしてこんなことができるのか」
▲日本の生中継のコメントで嘲弄する韓国のネットユーザーたち 安倍元首相銃撃事件に一部の韓国ネットユーザーが日本の実況放送で不適切な発言をしている。
安倍元首相銃撃事件が起きた直後、韓国語が流暢な日本の友人から連絡があった。彼は大きなショックを受けていて、何よりも怒っているようだった。彼は事件を伝える韓国のポータルニュースのリンクをいくつか送ってくれた。
受け取ったリンクに行くと、当該ニュースのコメント欄では驚くべきことに安倍元首相の銃撃事件に歓呼する韓国語の反応で熱く盛り上がっていた。「(韓国人が)いくら安倍さんが嫌いだからと言って、どうしてこんなことまでできるのか」という友人の嘆きに、私は口をつぐむしかなかった。
問題は韓国のニュースのコメント欄にとどまらなかった。一部の韓国人ネットユーザーがさらに日本の放送のコメント欄にまで行って悪態をつくのを見てとても驚いた。ショックと心配のコメントを書く日本人ネットユーザーたちに混じって、安倍元首相や日本の人々を嘲弄する韓国人ネットユーザーたちの存在が目立った。あるYouTube放送では、見かねた日本人ネットユーザーが「韓国の方々は嘲弄をやめてほしい」と韓国語で書き込んだが、韓国人ネットユーザーたちの悪態は止まらなかった。
暴力が紛争の解決手段として洗濯され、これにより人命に危害が加えられるまでになった状況で、テロを礼賛し、日本人全体を嘲弄する嫌日感情を赤裸々に表わす一部の韓国人ネットユーザーたちの姿。こうした言動がとても心配であり、憂慮される。
日韓の間の葛藤があるのは事実だが…それと安倍のニュースは別問題
現在、日韓の間で葛藤局面が続いているのは事実であり、安倍元首相がその現実に対する責任について批判するのも可能なことだ。しかし、自分と見解が異なるという理由で誰かを銃で撃ったり、さらにそうしたニュースに歓呼するというのはまったく別問題だ。
民主社会でテロは決して容認できない犯罪だ。こうした常識がたんに安倍元首相に対する好き嫌いや国家間の葛藤を理由に無視されれば、それはファシズムと変わらない。さらにいえば、これまで政治テロの恐ろしい弊害を体験してきた韓国社会は、常識を無視する感情と暴力がどのような結果をもたらしたのかを記憶している。
1945年の解放直後、政治的激動期にあった韓国社会では、白色/赤色テロが横行した。思想が違う、あるいはそれと疑われる相手に向かって、左翼右翼の双方が法はもちろん最小限の倫理さえ無視したまま無慈悲な暴力を振るった。主な政治家だけでなく一般民衆も政治テロの恐怖を避けられなかった。
当時、ヒョン・ジュンヒョク、ソン・ジンウ、ヨ・ウンヒョン、キム・グなどの著名な政治指導者たちさえ犠牲にした政治テロを、力のない一般民衆が避けることは不可能だった。政治テロが引き起こした不安と怒りは済州4・3事件をはじめとする大規模な流血事態と混乱につながった。これは同族相食む惨劇ともいわれる朝鮮戦争にも繋がった。
他者に対する暴力はどんな名分でも正当化できないことを、韓国社会はすでに解放後の政局から韓国戦争に至る政治テロの渦中で体験した。そうした韓国社会で、安倍元首相の銃撃を歓呼し、テロを礼賛する世論が感知されるのは、非常に警戒すべき現象だと考える。
「われわれ」の「敵」とされた相手を暴力で除去して「勝利」を勝ち取ることは、現実的に不可能なだけでなく、倫理的にも容認できないことだ。
このような動きは結局、相互の不信と葛藤を増幅させ、さまざまな懸案の解決をさらに困難にするだけだ。韓国の一部のネットユーザーたちが自らの嫌日感情を満足させるためにテロまで礼賛する現在の状況に対して、社会的省察がなされることを望む。
われわれは常識に基づいて断固としてテロを排しながらも、対話とコミュニケーションを通じて問題を提起して葛藤を解決することができる。われわれが志向する生産的な民主主義とはそのようなものだ。この枠組みの中で、両国の大衆が未来志向的な観点から韓日関係を検討できるようになることを望む。
[主張] テロを排し対話で問題解決を図るのが民主主義.. われわれはそれができる
参議院選挙を2日後に控えた7月8日、日本で驚天動地の事件が起きた。午前11時30分頃、奈良県大和西大寺付近で安倍晋三元首相が銃撃に倒れ移送されたのだ。
TBSの速報によると、安倍晋三元首相は左胸部に銃弾を受け、首にも一発が当たったという。メディア報道によると、午後12時20分頃に地域の病院に移された安倍元首相は、心肺停止状態だったと伝えられている。日本の警察は安倍元首相を狙撃した自衛隊出身40代の容疑者を逮捕したという。
安倍元首相の銃撃事件が今後の日本にどのような影響を及ぼすのだろうか。安倍元首相が21世紀の日本を主導した大物政治家だったことは、支持する者も反対する者も首肯する事実だ。そうした人物が選挙を目前に控え「テロ」によって倒れた。日本では1930年代に新聞紙面を賑わわせた政治テロが2022年の現代に起きたのだ。これに驚いた日本社会が今後どんな方向に向かうか、今、推測するのは容易ではない。
ところで、この急迫した情勢を韓国の大衆がどのように向き合っているか、自問する必要がある。
日本の友人が送ってきたリンク…「いくら安倍が嫌いでも、どうしてこんなことができるのか」
▲日本の生中継のコメントで嘲弄する韓国のネットユーザーたち 安倍元首相銃撃事件に一部の韓国ネットユーザーが日本の実況放送で不適切な発言をしている。
安倍元首相銃撃事件が起きた直後、韓国語が流暢な日本の友人から連絡があった。彼は大きなショックを受けていて、何よりも怒っているようだった。彼は事件を伝える韓国のポータルニュースのリンクをいくつか送ってくれた。
受け取ったリンクに行くと、当該ニュースのコメント欄では驚くべきことに安倍元首相の銃撃事件に歓呼する韓国語の反応で熱く盛り上がっていた。「(韓国人が)いくら安倍さんが嫌いだからと言って、どうしてこんなことまでできるのか」という友人の嘆きに、私は口をつぐむしかなかった。
問題は韓国のニュースのコメント欄にとどまらなかった。一部の韓国人ネットユーザーがさらに日本の放送のコメント欄にまで行って悪態をつくのを見てとても驚いた。ショックと心配のコメントを書く日本人ネットユーザーたちに混じって、安倍元首相や日本の人々を嘲弄する韓国人ネットユーザーたちの存在が目立った。あるYouTube放送では、見かねた日本人ネットユーザーが「韓国の方々は嘲弄をやめてほしい」と韓国語で書き込んだが、韓国人ネットユーザーたちの悪態は止まらなかった。
暴力が紛争の解決手段として洗濯され、これにより人命に危害が加えられるまでになった状況で、テロを礼賛し、日本人全体を嘲弄する嫌日感情を赤裸々に表わす一部の韓国人ネットユーザーたちの姿。こうした言動がとても心配であり、憂慮される。
日韓の間の葛藤があるのは事実だが…それと安倍のニュースは別問題
現在、日韓の間で葛藤局面が続いているのは事実であり、安倍元首相がその現実に対する責任について批判するのも可能なことだ。しかし、自分と見解が異なるという理由で誰かを銃で撃ったり、さらにそうしたニュースに歓呼するというのはまったく別問題だ。
民主社会でテロは決して容認できない犯罪だ。こうした常識がたんに安倍元首相に対する好き嫌いや国家間の葛藤を理由に無視されれば、それはファシズムと変わらない。さらにいえば、これまで政治テロの恐ろしい弊害を体験してきた韓国社会は、常識を無視する感情と暴力がどのような結果をもたらしたのかを記憶している。
1945年の解放直後、政治的激動期にあった韓国社会では、白色/赤色テロが横行した。思想が違う、あるいはそれと疑われる相手に向かって、左翼右翼の双方が法はもちろん最小限の倫理さえ無視したまま無慈悲な暴力を振るった。主な政治家だけでなく一般民衆も政治テロの恐怖を避けられなかった。
当時、ヒョン・ジュンヒョク、ソン・ジンウ、ヨ・ウンヒョン、キム・グなどの著名な政治指導者たちさえ犠牲にした政治テロを、力のない一般民衆が避けることは不可能だった。政治テロが引き起こした不安と怒りは済州4・3事件をはじめとする大規模な流血事態と混乱につながった。これは同族相食む惨劇ともいわれる朝鮮戦争にも繋がった。
他者に対する暴力はどんな名分でも正当化できないことを、韓国社会はすでに解放後の政局から韓国戦争に至る政治テロの渦中で体験した。そうした韓国社会で、安倍元首相の銃撃を歓呼し、テロを礼賛する世論が感知されるのは、非常に警戒すべき現象だと考える。
「われわれ」の「敵」とされた相手を暴力で除去して「勝利」を勝ち取ることは、現実的に不可能なだけでなく、倫理的にも容認できないことだ。
このような動きは結局、相互の不信と葛藤を増幅させ、さまざまな懸案の解決をさらに困難にするだけだ。韓国の一部のネットユーザーたちが自らの嫌日感情を満足させるためにテロまで礼賛する現在の状況に対して、社会的省察がなされることを望む。
われわれは常識に基づいて断固としてテロを排しながらも、対話とコミュニケーションを通じて問題を提起して葛藤を解決することができる。われわれが志向する生産的な民主主義とはそのようなものだ。この枠組みの中で、両国の大衆が未来志向的な観点から韓日関係を検討できるようになることを望む。