リハビリ病院には、さまざまな患者さんがいます。
75歳以上の高齢者が多く、脳梗塞との因果関係は分かりませんが、そうとう認知症が進んでいる人もいて、そんな人は口数が少なかったり、一日中ボーっとしたりしています。
一方、おしゃべり好きで、やたらと周囲の患者さんに話しかけて、迷惑がられている人も。
一見して白人のおばあさんが、入院しているご主人(たぶん日本人)をドイツ語やら、日本語で叱咤する声が聞こえてきたりもする。
最近、面会に行って、ある元気なおじいさんと話すようになりました。
「あのおばあさん、ドイツ人かと思ったら、レバノン人だそうですよ。レバノンはフランス語圏だから、フランス語でしゃべってくれたら私もわかったのに」
「フランス語ができるんですか?」
「ええ、仕事でスイスに5年ほど住んでいたので。でも、ご主人みたいにちゃんと勉強したわけじゃないから、ブロークンですよ」
妻から、私が仏文科を出たことを聞いたようです。
「スイスでは、70のことをセッタントというんです」
「ああ、聞いたことがあります。80はユイタント」
本来のフランス語では、70は60、10を連続させて、スワサン(60)ディス(10)(60+10)、80は4と20を連続させて、キャトル(4)ヴァン(20)(=4×20)などと言いますが、スイスではこれを60までの規則に合わせて、セッタント、ユイタントという言葉が使われる。
「フランスの連中は、あんな言い方してるから計算が苦手なんですな。ハハハ」
聞いてみると、この方、別の持病で病院に薬をもらいに行ったとき、駐車場の精算機にお金を入れようとしたら突然腕が痙攣し始め、お金が入れられなくなった。あわてて病院に戻ろうとしたが玄関の前で倒れたそうです。
「脳出血だったんですよ。私の体を支えてくれたのは、よく覚えていないけど、たぶんそこの病院の看護師さん。すぐに救急車を呼んでくれて、一命を取り留めました。病院で倒れたおかげで、命拾いしたんですよ」
「そうですか。私の妻もテニスクラブで倒れたのがよかった。自宅だったら救急車を呼ばなかったでしょう」
「実は、私、命拾いしたのはこれが二度目なんです。御巣鷹山の事故、あったでしょう?」
「ああ、日航機が墜落したやつ?」
「そのころ出張で東京と大阪を行ったり来たりしてましてね。あの便に予約してあったんですけれど、乗る直前に、前の便の席が空いたので、変更したんです」
「もし、予定通りに乗っていたら死んでいた…」
「そうなんです」
「それは幸運ですね」
「その後は余生だと思ってたら、また命拾いしちゃって。ハハハ」
坂本九が亡くなったあの事故、あらためて検索すると、このおじいさんとまったく同じ状況で助かった有名人に、明石やさんまがいたそうです。
もちろん、前の便に乗って命拾いしたこの患者さんやさんまのような人がいる一方で、後の便に予約していてキャンセル待ちでJAL123便に乗り、亡くなった人もいるはずです。このおじいさんも、その後の人生を複雑な思いで過ごしてきたのでしょう。
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