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ワールドカップ決勝戦は、まれに見る名勝負でした。
前半はメッシのPKなどで、アルゼンチンが2点先制。
あとで聞いたら、友人の中にはこのままアルゼンチンが勝つだろうと思って、寝てしまった人もいたそうな。
ドラマは後半戦から始まりました。
後半80分過ぎに、フランスのエムバペがPKを含む2ゴールを挙げ同点。
延長戦後半にメッシがこの日2点目を決めて試合を決定づけたかに見えましたが、終了間際にエムバペがハットトリックとなるPKを決めて、3-3のまま終了。
PK戦では、メッシ、エムバペがともに決めるも、フランスの二人がはずして120分の激闘を制しました。
試合もそうですが、得点のたびに一喜一憂するサポーターの姿も面白かった。
アルゼンチンのほうは、選手もサポーターもほとんど白人。アルゼンチンが、白人移民による移民国家であることをはっきり示していました。
一方、フランスの選手にはアフリカにルーツを持つ黒人が多い。今回、ハットトリックを達成したエムバペは、父親がカメルーン出身、母親がアルジェリア系フランス人。
1998年にフランスを優勝に導いたジダンの両親は、アルジェリアから移民してきたベルベル人。フランスがアフリカに多くの植民地をもち、多くの移民を受け入れたことを物語っています。
メッシは、父方祖先がイタリアからの移民、母方祖先はスペインからの移民だそうです。アルゼンチン人のルーツはイタリアがいちばん多いとのこと。
ところでアルゼンチンは、これが3回目の優勝。前回、マラドーナが活躍した1986年の大会の記憶はあまりないのですが、その前の自国開催の1978年大会は少し覚えています。
当時、私は高校三年生。剣道部に所属し、サッカーに興味はなかったのですが、サッカー部の連中が騒いでいたので、テレビを見たりしていました。
大会のあと、高校時代最後の体育祭(運動会)では、クラス対抗のサッカーの試合があり、それぞれお気に入りの国の代表チームのイメージカラーでトレーナーの色を揃え、盛り上がりました。私のクラスはアルゼンチン風の水色のトレーナー。サッカー部の級友はゴールを決めたとき、ケンペスの真似をしてポーズをとっていました。
自国開催のアルゼンチンは、このケンペスの活躍で優勝。
こんな思い出話を、最近、ペルー系日本人にしたところ、
「ああ、あの八百長があった大会ですね」
というのです。
当時の大会は今とはゲームのやり方が違っていて、一次リーグを突破した8チームは、4チームずつのリーグ戦を行い、それぞれのグループの1位同士が決勝戦、2位同士が三位決定戦を戦う仕組み。
アルゼンチンは、二次リーグの最後の試合でペルーと対戦。直前の試合でブラジルが3-0でポーランドを破ったので、ペルーに4点以上の差をつけて勝たなければ1位通過できないという厳しい状況。
その試合でアルゼンチンは6-0でペルーを破り、みごと決勝進出。オランダとの決勝戦でも、延長戦で3-1で破って初優勝を遂げたのです。
アルゼンチンは、大会の2年前に軍部によるクーデターが起こっていた。ビデラ大統領は是が非でもアルゼンチンを優勝させたかった。
一方、ペルーもやはり1975年にクーデターで政権を握ったベルムデスが政権を握っていた。ビデラはベルムデスに「なんとかアルゼンチンに勝たせてほしい」と頼み、実際にペルーは大敗しました。
「今でこそ、ペルーはワールドカップに出るのも大変だけど、当時は強かったんですよ。アルゼンチンに0-6で負けるなんて、ありえないです」
「そんなこと、できるのかなあ」
「どっちも軍事独裁政権ですから。やろうと思えばなんでもできるんです」
そういえば、今回の決勝戦でも、フランスでは「決勝戦の審判はおかしかった。アルゼンチンに買収されていたに違いない」なんて騒いでいるそうです。
ありえないと思いますが。
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