犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

末は博士か大臣か

2023-11-17 23:22:28 | 日々の暮らし(2021.2~)
写真:1963年公開の映画『末は博士か大臣か』のポスター

 テレビニュースで、知っている名前が流れました。

 自民党の神田財務副大臣が過去に税金を滞納していたことで更迭され、後任に赤澤亮正氏が起用されることになったというのです。

 赤澤亮正君は、私の中学・高校(筑波大駒場)の同期です。

 すでに衆議院(鳥取2区)から当選6回で、大臣になってもおかしくないのに、自民党の中で非主流派(石破派)だったので、不遇をかこっていたようです。

 「副大臣」という役職(以前の政務次官)は、前に内閣府副大臣を務めてから2つ目。いずれ大臣になるでしょう。

 末は博士か大臣か、という言葉がありますが、私の高校時代に博士(大学教授)を目指す人はいても、大臣を目指す人は少なかった。

 そんな中で、赤澤君(高校時は別の姓)は、高校の時から政界入りを目指すことを公言していた、珍しい存在です。

 理由は、母方の祖父が自治大臣をしていたから。

 大学(東大法学部)に入ると、早々と母方の祖父母と養子縁組し、赤沢姓を名乗りました。おじいさんの「地盤」を引き継ぐための布石です。

 その後、まず官僚(運輸省)になり、2005年に45歳で初当選。以来、6期連続で当選。

 ところで、「末は博士か大臣か」という言葉、子どもの頃に聞いたことがあります。どうも、そういう題名の映画があったからのようですね。

 調べてみると、明治生まれの小説家、実業家である菊池寛(文藝春秋創業者、大映初代社長)の伝記的な作品。

 菊池と、親友の綾部健太郎の立身出世物語をコミカルに描いたものだそうです(私は見ていません)。

 菊池寛は小説家、実業家になり、「博士」にはならなかったようですが、綾部健太郎のほうは戦前、戦後に衆議院議員となり、池田内閣で運輸大臣を務めたそうですから、文字通り、「大臣」になりました。

 明治時代には、「博士」と「大臣」が立身出世の目標と認知されていたんでしょう。

 軍事独裁政権時代の韓国では、小学生(男)に将来の夢を聞くと、「大統領」とか「軍人」を挙げる子が多かったそうです。

 日本の小学生が「総理大臣」を夢見る時代があったかどうか、よくわかりません。

 私の同期は、政界を目指すのは少数派で、医者、教授、官僚、法曹界(弁護士・裁判官)、銀行を目指す人が多かったと記憶します。それも今から40年前の話。

 今の子どもたちはきっと違うんでしょう。

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