日清食品の安藤百福さんの追悼記事を読んでいたら,なんだか感動してしまいました。いくつかご紹介すると…。
まず日経新聞(→記事)
台湾生まれ。植民地支配という歴史の影を出生の時から背負い、波乱に満ちた現代史をそのまま身に体した人物だった。
当時台湾は日本の一部だから,国籍は日本ですね。
青年から壮年期にかけて、父の遺産を元手にメリヤス商社、軍用機の部品工場など手広く事業を起こしたが、根も葉もない部品の横流し疑惑が原因となって、憲兵から後遺症になるほどの拷問を受けている。
戦後、台湾出身者は日本か中華民国か、どちらかの国籍を選択しなければならなかった。後に日本国籍を取得するものの、その時の安藤氏は中華民国を選んだ。
この選択によって、当時の日本人が持っていた戦時所得を再配分するための「財産税」の対象からはずれ、新たな事業への足がかりを手にした。しかし、豊かな資産を使った氏の事業は発足したばかりの国税庁の目にとまり、脱税容疑で収監されてしまう。氏は「いけにえにされた」と怒りを隠さなかった。
やがて時代は味方に回る。無一文で失敗を重ねながら、どうにか開発にこぎ着けた「チキンラーメン」が発売されたのが1958年。高度成長の歯車が動き出し、テレビが普及し始め、大型スーパーの黎明期と重なった。大量生産の加工食品が売れる条件が整うのを狙ったかのようなタイミングだった。
1958年か。私が生まれる前のことでした。
次に開発した「カップヌードル」も思わぬ追い風に助けられる。72年の浅間山荘事件を中継する国民注視のテレビ映像が、厳寒の中で湯気の立つ「カップヌードル」を食べる機動隊員たちの姿を映すと爆発的に売れ出した。これを機に安藤氏とその会社は疾走する。
浅間山荘事件が起爆剤!
「いいものは必ず売れる」と信じ赤貧に耐えながら即席めんを世に出した一徹な開発者であり、日清食品を育てた起業家でもあった。戦後、信用組合の理事長に祭り上げられて失敗したように、自ら「おだてに弱い」と評する人間味ある一面も持っていた。
次は毎日新聞(→記事)
「食足世平(しょくそくせへい)」。世界中で年間857億食が消費される即席めんを創造した安藤百福さんは、自身が作ったこの四字熟語を好んだ。直訳すれば、「食が足りて初めて世の中は太平になる」だが、安藤さんが込めたのは、「食を通じて世の中の役に立つ」という決意だった。
「食を通じた世界平和」ですね。
安藤さんは4日午前9時から、大阪本社で開かれた同社の仕事始めであいさつ。「『企業は人にある』とよく言われるが、人とは単なる人ではない。世の中にない独創的なことを考え、計画し、達成できる人である。事が成らない時、人はいろいろと思い悩むが、それは『神様がだめだといっているのだ』と考えればよい」と語り、同日昼には、もちを入れたチキンラーメンを食べたという。しかし、5日昼過ぎに体調を崩し、午後3時過ぎに自宅から病院に運ばれた。
死の前日までチキンラーメンを…。
58年8月25日、世界初の即席めん「チキンラーメン」は1袋35円で売り出された。うどん玉1個6円の時代。流通関係者の評判は芳しくなかったが、「お湯をかけて2分間」とうたって有名百貨店で実施した試食キャンペーンが女性たちから支持された。「即席めんは主婦の解放に役立った」
「主婦の解放」かあ。
そういえば,大韓航空機爆破犯人の金賢姫が,韓国でもっとも感動したのがカップラーメンだと言っていたっけ。北では苦労して小麦粉を練らなければならないのに,こんな簡単に出来るなんて,と。
その一方で、「毎日、カップヌードルを食べ」(安藤さん)、自分が開発した商品を愛してきた。それだけに会見で私が「カップめん容器に熱湯を注ぐと、環境ホルモンが溶け出すと批判されているが」と質問した時、安藤さんは「当社製品は科学的に安全は証明されている。感情論で批判をしないでほしい」と怒りの表情を浮かべた。こよなく愛していたからだと思った。
毎日食べて96歳まで生きたという事実が,安全性を証明していますね。
「お湯をかけて3分」という即席めん文化を生んだ安藤さんは亡くなった。しかし、その偉業は、世界の食文化に溶け込んでいる。【瀬尾忠義】
世界に広がる即席めん……。
最後は産経新聞(→記事)
インスタントラーメン(即席めん)の生みの親で、5日亡くなった日清食品創業者会長、安藤百福さんが晩年に意欲を燃やしていたのは、平成20年に大阪で「世界ラーメンサミット」を開くことだった。「世界では今も飢えに苦しんでいる人は多い。インスタントラーメンで貢献したい」。即席めん誕生の地の大阪でサミットを開くねらいを、こう語り、被災地などに非常食を送る「災害援助ラーメン基金」の創設を目指していた。
協会は、3年前のインド洋大津波や一昨年の米国の超大型ハリケーンなど、世界で大規模災害や戦乱が起きるたびに非常食として即席めんを送っている。この活動を組織化した「災害援助ラーメン基金」はこの活動を組織化するもので、大阪サミットでの創設を目指して準備している。
一昨年の世界の即席めん消費量は857億食(世界ラーメン協会調べ)。世界中で1人当たり13食を食べた計算だ。国別の需要でみると中国・香港は442億食、インドネシアは124億食と54億食の日本をすでに追い抜いている。米国は39億食、韓国は34億食だ。
中国ではさらに需要が伸びており、昨年8月の記者会見で安藤さんは「(世界需要が)見通しより1年早い09年には1000億食の大台を超えそうだ」と期待を示していた。
即席めんの普及にかけた半生。サミットはその集大成になると考えていたのかもしれない。
自分の生誕百年の2010年に1000億食を目指していたんですね。すごい。
そういえば,どうでもいいことの続きですが,昨日のブログを書いたとき,ウィキペディアの「安藤百福」の項目を参照しました。今見たら,出自についての記述が変わっていた。私が見たときは
「1910年日本統治時代下の台湾に生を享ける。両親を幼少期に亡くし、繊維問屋を経営する祖父母のもと、台南市で育った。(中略)なお、この時国籍を中華民国としているが、これは在日華人であった方が何かと都合が良かったためであり、元々は台湾生まれであっただけで生粋の日本人である。(現在は正式に帰化。)」
となっていた。今,見てみると,
「1910年、日本統治時代の台湾嘉義市付近の樸仔脚(現・朴子市)に生を享ける。両親を幼少期に亡くし、繊維問屋を経営する祖父母のもと、台南市で育った。(中略)なお、この時の国籍は中華民国であるが、後に帰化する。」
となっていて,冒頭には「台湾生まれ。台湾名、呉百福。」と書いてある。
この一日の間に,記述が修正されたようです。両親が(血統的に)日本人であることの裏がとれなかったのでしょう。
それにしても,ウィキペディアの最初の執筆者は,ずいぶん肩に力が入っていたなあ。「生粋の」なんていう表現使っちゃって。
ソフトバンクの孫正義とか,ロッテの重光武雄とか,植民地出身の偉大な経営者はたくさんいます。血統にかかわらず,偉大な経営者であることにかわりはないのに。
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