写真:東亜日報より
尹大統領の戒厳令宣布と弾劾で政界の大混乱が続く韓国で、年末29日の朝、大きな航空機事故が起こりました。
タイ・バンコク発の済州(チェジュ)航空、ボーイング737が、全羅南道・務安(ムアン)国際空港で着陸に失敗し、乗客・乗員181のうち179人が死亡したとのことです。
韓国の新聞報道では、韓国で最大の犠牲者数となっていました。
(? 韓国ではこれまでも何回も墜落事故があったはずなのに…)
調べてみると、
・1983年、旧ソ連領空に侵入し、ソ連の戦闘機に撃墜された大韓航空機撃墜事件では、死者269人、
・1987年、大韓航空機が、インド洋・アンダマン海上空を飛行中に、機内の爆発物が爆発、死者115人、
・1997年、大韓航空機が、悪天候でグアム空港近くに墜落し、死者229人。
「韓国で」というのは、「韓国内で」という意味だったのですね。
韓国の航空会社の事故としては、3番目の犠牲者数でした。
今年の1月2日には、日本航空のエアバスが羽田空港に着陸時、滑走路上で海上保安庁の航空機と衝突した事故では、乗客・乗員合わせ379人が搭乗していましたが、乗務員の適切な誘導で全員が脱出したのと好対照です。(海保機は、搭乗者6人のうち5人が死亡)
原因は、鳥との衝突にともなう着陸装置の故障と伝えられていますが、ブラックボックスの分析がすむまで、詳しいことはわかりません。
1987年の大韓航空機爆破事件は、強く印象に残っています。
当時、私はある出版社で国際関係の単行本を出す部署にいました。
私の担当はソ連でしたが、同じ部署に韓国人もいました。
当時、アジア諸国では民主化の動きが活発化し、韓国も1988年のソウルオリンピックを控え、大統領には民主化運動の闘士、金泳三または金大中が当選するとみられていました。
しかし、11月29日の大韓航空機墜落のあと、金賢姫(キム・ヒョンヒ、事件当時、蜂谷真由美名義のパスポートを所持)が自殺に失敗して拘束され、正体が北朝鮮の工作員であることが明らかになったため、韓国内の世論が保守に傾きました。
事件の約3週間後の12月16日に行われた大統領選では、軍人出身の盧泰愚(ノ・テウ)が当選し、文民出身大統領の誕生は1992年の金泳三まで待たなくてはなりませんでした。
事件について、一時は「韓国の自作自演」などという謀略説が出回りました。
私がいた会社でも関連本を出しましたが、著者が左派の新聞記者で、「KCIAの仕業という説もある」なんて書いていました。
その後、死刑判決から恩赦で解放された金賢姫の著書が出るに及んで、謀略説は影を潜めました。
金賢姫の著書
彼女の『忘れられない女(ひと)-李恩恵先生との二十カ月』は、拉致被害者の田口八重子さんを実名で言及し、小泉首相が拉致問題解決に本腰を入れるきっかけになったわけです。
韓国の野党は2014年のセウォル号沈没事故を朴槿恵大統領批判に利用し、2022年の梨泰院圧死事故を尹大統領批判に利用しようとしました。
今回の航空機事故がまた政治的に利用されないといいのですが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます