東亜日報による朴裕河教授のインタビューが、日本語版の東亜日報では訳されていないようなので、以下に訳出します(→リンク)
【ホ・ムンミョン記者の人を語る】『帝国の慰安婦』で起訴された朴裕河世宗大教授
慰安婦問題、区切りをつけるべき…良心的な韓日の知識人で解決策を探ろう
《世宗大日本語日本文学科朴裕河教授が出した『帝国の慰安婦』は次のように始まる。「慰安婦の存在を早い時期に世の中に知らせたのは、韓国人ではなく日本人だった。千田夏光というジャーナリストで、1973年、『声なき8万人の告発-従軍慰安婦』という本を出した。…千田は1964年に毎日新聞社が写真集『日本の戦歴』を発行したとき、満州事変から敗戦まで、2万5千枚の写真を選別する仕事を任されたが、軍隊とともに行軍した、朝鮮人女性のみならず日本、中国の女性たちの姿が写った「変な」写真を見たという。どこにも「慰安婦」という説明はなかった。しかし千田はこの女性たちの実体を追い、初めて「慰安婦」の存在を知るようになる。」》
慰安婦を世の中に知らせた日本人
続けて朴教授は、千田が「慰安婦」を「軍人」と同じく戦争遂行のために自身の体を犠牲にして助けた「愛国」する存在として理解しており、軍人に対する補償はあるのに、なぜ慰安婦にはないかという主張をしている、と付け加えた。そして、次のような結論を出す。
「日本軍が長期間戦争という「非日常的」状況に置かれることになった兵士たちを「慰安」するという名目で「慰安婦」という存在を発想し、募集したことは事実だ。…日本はこの問題で責任を負わなければならない第一の主体だ。規制をしたとは言え、不法な募集が横行しているということを知りながらも、募集そのものを中止しなかったという点で、日本軍の責任は大きい。黙認とは、すなわち加担することでもあるからだ。」
少し読んだだけでも日本政府の責任を問うているこの本の著者、朴教授は最近、検察によって慰安婦被害者を貶め、傷つけたという名誉毀損の疑いで、在宅起訴され、議論の的になっている。
検察は、著者が日本軍による慰安婦強制動員もしくは強制連行の事実を否定して、「日本軍慰安婦は基本的に売春の枠の中にある女性」、「自発的売春婦」、「日本帝国の一員として日本国に対する愛国心もしくは矜持を持ち、日本軍と同志的関係にあった」などと表現したことなどを問題にした。
だが、朴教授は本で、「慰安婦に対する「強制性」を問うならば、目に見えない植民地主義と国家と家父長制の強制性を、まず問うべきだ。同時に、このような構造の実行と維持に加担した者たち(朝鮮人と日本人の業者)の強制性も、いっしょに追及すべき」と書いている。慰安婦を作り出した責任が日本政府を越え、当時貧しい朝鮮人女性たちを「金を儲けさせてやる」と誘い出して売り渡した朝鮮人と日本人の人身売買業者の責任まで問われているのだ。だが、検察は、このような主題を、筆者が日本軍の強制連行の事実を否定するものと解釈した。朴教授はまた、「自発的売春婦」という表現も、日本の右翼の言葉を批判するという文脈で使ったものだと述べた。
朴教授に会ったのは、彼女が自身の立場表明をした記者会見の二日後、12月4日、ソウルの自宅でのことであった。彼女はとても疲れているように見えた。物静かでやわらかい外見と声からは、記者会見を開いて検察という法執行機関に対抗する強い人という感じがしなかった。朴教授は、「何よりも、検察の調査の過程で受けた傷とショックがあまりに大きかった」と語る。
「昨年11月から今年の2月までに、検察による調査を5回受けました。捜査官による取り調べでしたが、インターネットで私を誹謗した、見たことも聞いたこともない資料を突きつけて、こちらが作った「犯罪リスト」だと言って、53項目の質問にイエスかノーかで答えろ、と言うのです。本当に辛い状況でした。」
学問を法で断罪しようとする検察
―具体的には、どんな質問でしたか
「「売春」という表現を使ったのか使わなかったのか、慰安婦ハルモニと日本軍人について「同志的関係」という表現を使ったのか使わなかったのか、というようなものでした。本の中でそのような表現を使ったのは、私の主張でなく、文献、資料、証言などを引用したものであり、前後の論理展開と文脈を読みさえすれば何故そのような表現が出てくるのかわかるのに、そんなふうに追及してくるので、本当に困りました。」
検察は朴教授に、彼女を告訴した「ナムヌの家」から、三つの条件を受け入れれば和解すると伝えたそうだ。一つは、ハルモニに謝罪すること。二つ目は、削除版を含めすべて絶版にすること。三つ目は、第三国で出した本、日本で出した日本語版まで(一部文言の)削除版を出せということだった。
「一つ目と二つ目は、なんとかなるかもしれないが、三つ目は、私がどうこうしろと言ってできる問題ではありませんでした。調停は失敗に終わり、検察は私を「公益に反する戦争犯罪を容認する人物」という原告側の主張を受け入れて、起訴に至ったのです。私の個人的立場や主張が正しいか間違っているかという問題ではなく、歴史と学問の領域をこのような形で裁くなら、他人と違う考えや主張を、誰が安心して語ることができるでしょうか。私が本を出すことによって真に望んだのは、できるだけ多くの資料と証言を通じて、慰安婦ハルモニをもう少しよく理解し、韓日間の協力を強調するための、多様な議論の場を作ろうということだったのに。」
記者は、彼女と会う前に、A4判で100枚以上におよぶ関連記事を読んだ。彼女の本が刊行されたのは2013年8月だった。当時、国内のメディアが紹介した書評に目を通せば、一部で「論旨が誤っている」という指摘もあったが、だいたい8対2の割合で、「別の声をあげた勇気ある観点」、「慰安婦問題解決を目指す真剣な試み」と、肯定的に評価する記事が多かった。だが、昨年6月、朴教授が告訴され、検察が起訴することになるとまもなく彼女の肩を持つ声はだんだんなくなった。
このような状況で重要なのは、学問研究に対する真摯さだろう。彼女に日本との縁を尋ねたのは、そのためだった。
「高校を卒業する頃、両親が仕事のために日本に行くことになり、ついて行きました。日本については、韓国人の多くが持っていた反日感情を抱く、平凡な「反日少女」でした。日本に住むことになって、日本のことをもっと知りたくなり、慶応大学に入学して日本文学を勉強することになりました。卒業後、早稲田大学の修士、博士課程では、当時、日本文学の最高峰だった夏目漱石の作品を専攻して学位をとりました。ところが勉強してみると、日本帝国主義に批判的だったと言われていた漱石の日本観や朝鮮観に問題があるということを、知るようになりました。」
―どういうことですか。
「漱石の著作物のあちこちに、朝鮮人に対する差別、帝国主義と日本人に対する優越的な視線、女性蔑視、国家主義に対する容認が、たくさん含まれていました。その後、日本近代文学会で「漱石と国家主義」という論文を発表し、学会誌に載せたこともあります。自慢するようで恥ずかしいのですが、外国人が書いた日本文学評論として、初めて掲載されたものです。」
―文学研究者が、どうして慰安婦問題に関心を持つようになったのですか。
「1993年、帰国の直前に、偶然、ボランティアで慰安婦ハルモニの通訳をすることになったのですが、それまで間接的にしか聞いたことがなかったハルモニの証言を直接聞いて、涙を流した経験があります。帰国して教職に就いたのですが、韓国人が日本のことをあまりにも知らないと、つくづく思いました。批判は、相手をよく知ってこと効果的なのに、民族感情だけをひたすら前面に出すだけで、合理的な批判の余地がないようにみえました。さらに、教え子が「日本語を勉強したいけれども罪悪感を感じる」と言うのを聞いて、深刻な問題だと思うようになりました。」
貧困層の女性たち、家父長的制度の犠牲になってきた女性たちに注目してきたフェミニズム問題をはじめとして、脱民族主義、脱植民地主義批評を同時に研究した朴教授にとって、慰安婦問題は、それらすべての矛盾が凝縮された問題に思われた。その後、粘り強い探求と証言の聞き取りを通じて、慰安婦問題についての幅広い資料調査を行ってきた。
「『帝国の慰安婦』という題名に関し、一部では「帝国を代弁した慰安婦」と受け取る人々がいますが、それとは反対に「帝国が動員した慰安婦」という言葉を縮めたものです。序文でも書きましたが、私が本を書いた出発点は、「なぜ慰安婦問題は、20年経とうとするのに、解決の兆しが見えないか」ということでした。周辺の国々から長い間批判されても日本が変わらないならば、あるいは変わらないように見えるならば、それは、批判をする側のやり方と内容にも問題があったのではないか、という自省も必要だという考えでした。」
理性的な議論、公の議論の場が必要
彼女は渇きをいやすためにコップの水を飲んでから話を続けた。
「慰安婦問題は、私たちが考える以上に複雑で、そうした複雑さを見るためには本格的な議論と公の議論の場が必要です。怒りと非難に満ちた「堅固な記憶」を取り払い、できるだけ多くの情報と知識に基づいて相手を説得できる合理的な道を探るための、理性的な努力をまずすべきと考えます。そのためには、慰安婦問題を、少数の当事者だけのものではなく、われわれ全員の問題にしていく試みをまずすべきであるという考えであり、この考えは今も変わりません。」
朴教授の起訴以降、多くの韓日学者は、朴教授の主張の是非とは別に、学者の主張を法の名の下に断罪してはならないという声明を出した。朴教授の主張に同調しない国内学者さえ、「研究者の指摘について、法廷で刑事責任を問うやり方で断罪するのは適切でない」として、「公開討論をしよう」と提案した。
日本の学界、文学界、政界の54人も、11月26日に記者会見を開いて抗議声明を出した。声明書に名前を連ねた人々には、若宮啓文前朝日新聞主筆、社会学者の上野千鶴子東大名誉教授をはじめ、1993年に談話を発表した河野洋平前官房長官、1995年に談話を発表した村山富市前総理、ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏まで含まれている。
朴教授は続けた。
「韓日両国だけでなく、東アジアの平和な時代を作るには、一日も早く慰安婦問題に区切りをつけなければなりません。むしろ慰安婦問題の解決過程は、韓日協力の基礎作りになり得ます。そうすれば、政府間の対話も重要ですが、慰安婦問題の実態と本質、責任と補償について、良心的知識人、学者、政治家たちが、さまざまな見解を出して、虚心坦壊に対話し、合意を形作るのが重要です。」
両国知識人に大きな共感を呼び起こした学者に対する検察の起訴は、取り返しのつかない誤りである。
ホ・ムンミョン記者
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