犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

産経新聞言論弾圧事件判決と韓国マスコミの反応

2015-12-21 00:13:05 | 韓国雑学

 18日の夕方、産経新聞が号外を配っていました。加藤達也前ソウル支局長の無罪判決を伝える記事です。翌日の日本の新聞各社は、この判決を歓迎し、検察の起訴を批判する論陣をはりました。

 では、韓国はこれをどう伝えたか。多くの韓国紙は、この判決を社説で伝えています。

 たとえば中央日報は、

中央日報社説[抜粋](→リンク

政府・公職者関連報道に対して訴訟と検察の起訴が乱発される場合、言論の自由と批判機能が委縮する。今からでも政府と検察は言論の自由が持つ意味を銘記しなければならない。

 東亜日報の社説は、なぜか日本語に翻訳されていないので、訳出してみました。

東亜日報社説[全文](→リンク、韓国語)

[
社説]産経支局長一審無罪、検察起訴はやはり無理
 ソウル中央地方法院は昨日、名誉毀損の疑いで裁判になった加藤タツヤ前産経新聞ソウル支局長に無罪を宣告した。加藤前支局長は昨年8月3日、「朴槿恵大統領、旅客船沈没当日、行方不明…誰と会ったのだろうか」というタイトルの産経新聞インターネット版記事で、「朴大統領、消えた7時間の間にチョン・ユンフェ前補佐官秘密接触」疑惑を提起して、物議をかもした。

 加藤前支局長は証券街の噂について、事実確認さえしないまま記事を書いたが、裁判所は「朴大統領を誹謗する目的で記事を掲載したものではないので、名誉毀損罪は成立しない」と無罪理由を明らかにした。加藤の記事は虚偽の事実で、不適切だが、公的な関心事を扱い、言論の自由の保護対象だと判断したのだ。しかし、言論の自由は無制限ではないという裁判所の警告を、極右性向の産経新聞も、肝に銘じなければならない。

 検察は保守団体の告発事件であるにもかかわらず、大統領府が産経を非難すると直ちに捜査に着手した。加藤に対する政府の過剰対応は、国際社会の目に、わが国が言論の自由を弾圧しているかのように映らせた。検察が国益よりも大統領府の気持ちを推し量って、無理な起訴をしたという批判は免れ難い。しかし、産経が先にていねいに謝り、ネットから記事を削除したなら、そもそも加藤が裁判を受けることはなかっただろう。

 加藤事件は、外国のメディアの大統領に対する初めての名誉毀損裁判ということ以外に、韓日両国間の外交上の争点としても注目された。安倍晋三首相が先月、韓日首脳会談でこの問題に言及したほどであった。2012年李明博大統領の独島訪問と天皇発言を契機に、日本では嫌韓デモが続き、商業的で低質なメディアの嫌韓出版物があふれ、両国の友好関係に深刻な憂慮をもたらしている。今回の判決が韓日関係に肯定的な影響を及ぼすことになるならば幸いだ。

ハンギョレ新聞社説[抜粋](→リンク

 検察の無理な起訴が国内外に言論の自由の弾圧という激しい批判を招き、韓日関係にも悪影響を及ぼした点を考えると、いたずらに問題を起こした検察に重い責任を問うのが当然だ。名誉毀損罪は当事者が処罰を望まなければ起訴できない「反意思不罰罪」であることを考慮すると、意思に反すると表明してこなかった朴大統領にも相当の責任がある。
 裁判所の無罪の判断は法理や判例、国際的流れに照らしても適切だ。国連をはじめとする多くの国際機構が名誉毀損の刑事罰制度の廃止を勧告しており、最高裁も国家機関と公職者の業務に関連した疑惑の提起は名誉毀損に該当しないと判断してきた。政府は今回を機会に最初から国際的な基準に合うように名誉毀損の刑事罰制度の廃止を積極的に検討することを望みたい。


 朝鮮日報は、大手の中で唯一、社説でとりあげず、「万物相」というコラムで触れただけです。

「万物相」[抜粋](→リンク

 産経新聞は加藤前支局長の記事が事実でないことが明らかになったのにもかかわらず、謝罪はおろか訂正報道すらしていない。電子版の記事も削除せずにそのまま掲載されている。それどころか紙面を通じて「韓国は言論弾圧国だ」という主張ばかり繰り返した。朝日新聞が32年前の慰安婦関連記事について裏付ける証拠がないとして記事を取り消すと、「誤報に対する真摯(しんし)な謝罪がない」と批判したのは産経新聞だ。そう言いながら自分たちの誤報には目をつぶっている。記者にとって誤報は致命的なのにもかかわらず、恥とも思っていない。

 言論弾圧をした韓国政府、検察に対する批判はなく、産経新聞批判に終始している。異彩を放っていますね。そもそも産経の記事は、朝鮮日報の記事をもとにしたもの。「自分たちに非はない。すべては産経が悪い」と言ってきたのが朝鮮日報です。きっと、国家権力による言論統制なんかそっちのけで、産経憎しの気持ちでいっぱいなんでしょう。

 この判決を最も大きく受け止め、政府に矛先を向けているのが、京郷新聞の社説でした。

京郷新聞社説[全文](→リンク

[
社説]加藤前支局長無罪判決、朴大統領は言論統制を反省するのか

 朴槿恵
大統領の名誉を傷つけた疑で起訴された加藤達也前産経新聞ソウル支局長に対してソウル中央地が昨日無罪を宣告した。いくら大統領の名誉が重要でも民主主義の基本である報道機関と表現の自由優先させることはできないということを確認した判決という点で、意義が大きい。

裁判所は
、セウォル号惨事当日、朴大統領の時間の行方についての加藤前支局長のコラムが大韓民国国民として同意しにくい虚偽事実を書き、大統領個人の名誉を深傷つけたと判断した。それでも有罪を認めなかった理由は明確だ。コラムが韓国の政治的状況を伝えるために作成されており、誹謗の目的がない限り処罰できないということだ。メディア報道に対する処罰は、たんに虚偽事実だけ判断してはならず、権力に対する批判監視というメディア本来の使命に照らし報道目的が言論の自由の範囲を越えているかを基準として判断するべきだとたのだ。裁判所は、「わが国が民主主義制度を取っている以上制度の存立と発展のための言論の自由を重視しなければならない」、「言論の自由は根本的に少数者の意見を保護するためのもの判決を下した。

 もちろん裁判所も認めたようにコラムは確認されていない噂を根拠に大統領を嘲弄し、からかう内容を入れ事実関係をきちんと把握しなかったという点で無責任な報道だったと言える。だが、加藤前支局長があたかも迫害を受けたジャーナリストというイメージで国内だけでなく海外にまで印象づけられ、逆に韓国政府が攻撃されたことは、全面的に大統領と検察の誤りだ。報道機関と市民の自律的批判に任せなければならない事柄を、大統領が直接出て侮辱的発言が度を越していると公不満を表し、検察が無理に起訴したのが禍根になったのだ。

 検察の自ら失敗を招くやり方で、韓国は自国の大統領を批判した外信記者を裁判にかけた「言論後進国という汚名とともに、日米からの外交的孤立を招いた。裁判所の判決直前外交部が韓・日関係に及ぼす影響を考慮して善処を訴える公文書を送ったとのことだが、これも適切ではなかっこように思う。検察の無理な起訴がもたらす波紋予想されたならば、外交部はその前に大統領を説得するべきだった。また、外交部が無罪にしてほしいとの嘆願をしたのが事実ならば、朴大統領の失策を認めたことになり、司法府の独立を否定したものといえる。

 いずれにしろ加藤前支局長の起訴は、名分も実利もなく、外交的な恥さらしになっただけの事件だった。これらはすべて検察をはじめとして政府当局者が、国民の基本権や外交的な国益は眼中になく、ひたすら大統領一人の口だけを眺め、大統領のご機嫌とりに汲々とした結果だといえる。特に今回の判決は、公人、中でも大統領は、批判的なメディア報道について、一般人よりはるかに寛容である義務があることを明確にしたのだ。朴槿恵政権が判決を尊重するなら、気に入らない報道が多いと言って、放送とポータルサイトをてなずけ、サイバー名誉毀損に対し公権力を動員して表現の自由を抑圧する、時代錯誤のやり方は直ちに中断しなければならない。

 放送通信審議委は、公人に対する批判を封じる意図と疑われている「情報通信に関する審議規定」を、直ちに全面的に再検討する必要がある。裁判所で、加藤前支局長のコラムを虚偽の事実と判断したという理由で、放審委が「大統領の7時間」に対する正当な問題提起の文まで削除しようとするならば、判決趣旨に逆行することになる。特にセウォル号特別調査委員会の朴大統領に対する調査を、これ以上、政治的な論理で妨害してはいけない。無責任な報道と公然たる疑惑を防ぐためにも、セウォル号惨事当時の大統領の7時間は、特調委の調査とメディアの自由な取材の対象にならなければならない。朴大統領と検察は、言論の公的責務を否定して、民主主義を萎縮させた行為に対して反省する姿勢を持たなければならない。

 韓国の新聞にもいろいろあって、読み比べると面白いです。


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