カムナムチプというのは柿の木の家という意味。
「○○ナムチプ」という屋号は,犬鍋のお店に多いようです。ポドゥナムチプ(柳の木の家),バムナムチプ(栗の木の家)…。
南大門のサムソン本館の裏手に,カムナムチプという老舗の犬鍋屋があり,ポンナル(伏の日)に食べに行ったことがありますが,食べたかったチョンゴルは駄目。今日は混んでいるからトマコギ(蒸し肉)だけだといわれ,不快な思いをしました。
それはともかく,今日は犬鍋屋の話ではなく,犬鍋の生家の話です。
私の生まれ育った家の庭には大きな柿の木があります。太平洋戦争が激しくなってきたとき,都心に居を構えていた祖父母が,疎開の意味もあったのでしょう,郊外(大田区)に建て売り住宅を購入し,そのときに幼木を植えたものだそうです。今では樹齢65年ぐらいでしょうか。
すでに甘柿を接ぎ木されていた苗木だったそうで,とても甘い柿がなります。私が物心ついたときは,すでに見上げるような大木になっており,兄と私はよく木登りをして遊んだものです。熟した実の採り入れはわれわれ兄弟の仕事。楽しい思い出として残っています。
柿の実は,毎年同じようになるわけではなく,300個とれた翌年は,50個しかとれないというように,「なり年」とそうではない年が一年おきに繰り返されるようです。
葉が落ちると,枯れ葉を焚き火にして焼き芋を焼いたり,木の周囲に穴を堀り肥料代わりに埋めたり。特に肥料をやるわけでもなく,「放置」状態だったので,樹齢が重なるにつれ収穫量は漸減してきました。
ところが今年は史上稀に見る大豊作。夏の異常な暑さが何か関係があるのでしょうか。
例年11月の半ばに収穫するのですが,11月に実家に寄ったとき,鈴なりの柿はまだ熟していないものが多く,収穫は断念しました。今は,母と叔母の二人暮らしでどちらも喜寿を超えているので自分たちでは手が出ない。結局,12月に入って植木屋を入れて採ってもらいました。我が家にも宅急便でダンボール箱が届いた。ぜんぶで400個以上とれたとのことで,近所に配っても配りきれないとのこと。
高齢の母と叔母にも,この柿の木のようにいつまでも元気でいてほしいものです。
「○○ナムチプ」という屋号は,犬鍋のお店に多いようです。ポドゥナムチプ(柳の木の家),バムナムチプ(栗の木の家)…。
南大門のサムソン本館の裏手に,カムナムチプという老舗の犬鍋屋があり,ポンナル(伏の日)に食べに行ったことがありますが,食べたかったチョンゴルは駄目。今日は混んでいるからトマコギ(蒸し肉)だけだといわれ,不快な思いをしました。
それはともかく,今日は犬鍋屋の話ではなく,犬鍋の生家の話です。
私の生まれ育った家の庭には大きな柿の木があります。太平洋戦争が激しくなってきたとき,都心に居を構えていた祖父母が,疎開の意味もあったのでしょう,郊外(大田区)に建て売り住宅を購入し,そのときに幼木を植えたものだそうです。今では樹齢65年ぐらいでしょうか。
すでに甘柿を接ぎ木されていた苗木だったそうで,とても甘い柿がなります。私が物心ついたときは,すでに見上げるような大木になっており,兄と私はよく木登りをして遊んだものです。熟した実の採り入れはわれわれ兄弟の仕事。楽しい思い出として残っています。
柿の実は,毎年同じようになるわけではなく,300個とれた翌年は,50個しかとれないというように,「なり年」とそうではない年が一年おきに繰り返されるようです。
葉が落ちると,枯れ葉を焚き火にして焼き芋を焼いたり,木の周囲に穴を堀り肥料代わりに埋めたり。特に肥料をやるわけでもなく,「放置」状態だったので,樹齢が重なるにつれ収穫量は漸減してきました。
ところが今年は史上稀に見る大豊作。夏の異常な暑さが何か関係があるのでしょうか。
例年11月の半ばに収穫するのですが,11月に実家に寄ったとき,鈴なりの柿はまだ熟していないものが多く,収穫は断念しました。今は,母と叔母の二人暮らしでどちらも喜寿を超えているので自分たちでは手が出ない。結局,12月に入って植木屋を入れて採ってもらいました。我が家にも宅急便でダンボール箱が届いた。ぜんぶで400個以上とれたとのことで,近所に配っても配りきれないとのこと。
高齢の母と叔母にも,この柿の木のようにいつまでも元気でいてほしいものです。
秋になるとやはり食べきれないほど実がなりました。木登りもしましたし、枝が折れて墜落したこともありました。
小学校を卒業して我が家は郊外へ引っ越しましたが、柿の木は大き過ぎたので残念ながら残置しました。
その後、ご近所のお話では柿の実はならなくなったと聞いており、不思議なことがあるものだと思いました。
今度、その柿の木がまだあるのか見に行こうと思います。