「しゃべる」というのがヒトの特徴かどうかは「しゃべる」の定義によるでしょう。「しゃべる」とは「ことばを口に出すこと」(三省堂国語辞典)。鳴き声を出す動物は多いですが,それは「ことばを口に出している」といえるのか。
「ことば」の定義は「しゃべる」の定義よりも複雑です。
ことば:音(オン)が一定の意味と結びつき,自分の考えや気持ちをあらわし,人に伝えるための,また,相手のそれを理解するための,手段として使われるもの。(三省堂国語)
ことば:その社会のメンバーが思想・意志・感情などを伝え合うために伝統的に用いる音声,また,その音声による表現行為。(新明解)
ことばは,まず,
①意味と結びついた音声であって,
②考えや気持ちを表現するもので,
③それを仲間に伝えるもので,さらに
④伝統的に用いられるもの
であるようです。
動物はさまざまな手段で,コミュニケーションをしているようです。たとえば匂い。犬がマーキングをしてなわばりを示したり,昆虫がフェロモンによって異性をひきつけたりするのも,コミュニケーションでしょうけれど,「音声」ではないので「ことば」とはいえない。
犬が猫に向かってほえるのはどうか。「威嚇」の気持ち(?)の伝達ではあるでしょうが,「仲間に向かって」発せられたものではないから「ことば」ではない。
じゃ,仲間同士で発せられる音声はことばか。
鳴き声の役割には,まず「存在」を知らせるという役割があるでしょう。これは,「考え」や「気持ち」といえないので,ことばではない。でも,動物たちの「鳴き声」には,たんに存在を知らせあうだけではなくて,何かしらの情報を交換しているように思えるものがあります。たとえば,危険だったり,空腹だったり,怒りだったり,喜びだったり,悲しみだったり,親愛だったり…。
ここで「伝統的に用いられる」という定義がひっかかってきます。「伝統的に用いられる」というのはどういうことかというと,「その社会の中で古くから使われている」といったことでしょう。そして,ことばは社会によって異なり,その社会のメンバーは,生まれてから成長する過程でことばを身につけていく。
ことばのこの側面が,動物たちが使っていることばらしきものと,ヒトのことばの決定的な違いと思われます。動物の音声(意味を担った鳴き声)は,その種において共通で,生得的に決まっており,成長する過程で習得する必要のない本能的なものでしょう。
ところがヒトの言葉は,ヒトという種に共通なものではなく,それぞれの社会集団ごとに異なっており,社会を異にするメンバー間では通じないというところが特徴的です。
さらに言えば,動物の鳴き声は「気持ち(感情)」を表すことはできても,「考え(思想)」を表せるかは疑問です。
動物のことばは,「コミュニケーションの手段」にはなり得ても,「思考の道具」ではないように思います。
ヒト固有の特徴はいろいろありますが,「思考の道具」としてのことばをもつことこそ,ヒトをその他の動物から区別する,最も重要な特徴でしょう。
で,ヒトがいつからしゃべり始めたのかというと,これがよくわからない。化石に残らないからですね。
ことばは音声である,というところから,発声器官の発達に目をつけた研究によれば,猿人はいうに及ばず,原人段階でも,今の人間のような発声は難しかったということです。現世人類と従兄弟関係にあるネアンデルタール人でさえ,複雑な発声ができたことは疑問視されている。
ただ,ことばの本質を「思考の道具」と考えたとき,論理的・計画的な思考が必要な作業,たとえば工程が複数にわたる複雑な石器の製作などは,はたしてことばなしに可能なのか。私の考えでは,少なくとも原人段階では,ある程度抽象的な思考ができていた,つまりことばをもっていたのではないかと思います。
ことばの発生として,仲間同士の緊張緩和のためという,おもしろい説があります。チンパンジーは,仲間うちでさかんに「毛づくろい」をしますが,これは,集団の中で生活することからくるストレスを解消するためであるそうな。毛づくろいがないと,集団の中の緊張を緩和できず,争いが生じてしまうんだそうです。
ところが,進化の過程で,「無毛」になってしまったヒトは,毛づくろいができなくなった。おそらくはチンパンジーよりも大きな集団で生活していたであろう古代人類は,毛づくろいのかわりに,仲間とおしゃべりをすることでストレスを解消していたという奇説です。
「ことば」の定義は「しゃべる」の定義よりも複雑です。
ことば:音(オン)が一定の意味と結びつき,自分の考えや気持ちをあらわし,人に伝えるための,また,相手のそれを理解するための,手段として使われるもの。(三省堂国語)
ことば:その社会のメンバーが思想・意志・感情などを伝え合うために伝統的に用いる音声,また,その音声による表現行為。(新明解)
ことばは,まず,
①意味と結びついた音声であって,
②考えや気持ちを表現するもので,
③それを仲間に伝えるもので,さらに
④伝統的に用いられるもの
であるようです。
動物はさまざまな手段で,コミュニケーションをしているようです。たとえば匂い。犬がマーキングをしてなわばりを示したり,昆虫がフェロモンによって異性をひきつけたりするのも,コミュニケーションでしょうけれど,「音声」ではないので「ことば」とはいえない。
犬が猫に向かってほえるのはどうか。「威嚇」の気持ち(?)の伝達ではあるでしょうが,「仲間に向かって」発せられたものではないから「ことば」ではない。
じゃ,仲間同士で発せられる音声はことばか。
鳴き声の役割には,まず「存在」を知らせるという役割があるでしょう。これは,「考え」や「気持ち」といえないので,ことばではない。でも,動物たちの「鳴き声」には,たんに存在を知らせあうだけではなくて,何かしらの情報を交換しているように思えるものがあります。たとえば,危険だったり,空腹だったり,怒りだったり,喜びだったり,悲しみだったり,親愛だったり…。
ここで「伝統的に用いられる」という定義がひっかかってきます。「伝統的に用いられる」というのはどういうことかというと,「その社会の中で古くから使われている」といったことでしょう。そして,ことばは社会によって異なり,その社会のメンバーは,生まれてから成長する過程でことばを身につけていく。
ことばのこの側面が,動物たちが使っていることばらしきものと,ヒトのことばの決定的な違いと思われます。動物の音声(意味を担った鳴き声)は,その種において共通で,生得的に決まっており,成長する過程で習得する必要のない本能的なものでしょう。
ところがヒトの言葉は,ヒトという種に共通なものではなく,それぞれの社会集団ごとに異なっており,社会を異にするメンバー間では通じないというところが特徴的です。
さらに言えば,動物の鳴き声は「気持ち(感情)」を表すことはできても,「考え(思想)」を表せるかは疑問です。
動物のことばは,「コミュニケーションの手段」にはなり得ても,「思考の道具」ではないように思います。
ヒト固有の特徴はいろいろありますが,「思考の道具」としてのことばをもつことこそ,ヒトをその他の動物から区別する,最も重要な特徴でしょう。
で,ヒトがいつからしゃべり始めたのかというと,これがよくわからない。化石に残らないからですね。
ことばは音声である,というところから,発声器官の発達に目をつけた研究によれば,猿人はいうに及ばず,原人段階でも,今の人間のような発声は難しかったということです。現世人類と従兄弟関係にあるネアンデルタール人でさえ,複雑な発声ができたことは疑問視されている。
ただ,ことばの本質を「思考の道具」と考えたとき,論理的・計画的な思考が必要な作業,たとえば工程が複数にわたる複雑な石器の製作などは,はたしてことばなしに可能なのか。私の考えでは,少なくとも原人段階では,ある程度抽象的な思考ができていた,つまりことばをもっていたのではないかと思います。
ことばの発生として,仲間同士の緊張緩和のためという,おもしろい説があります。チンパンジーは,仲間うちでさかんに「毛づくろい」をしますが,これは,集団の中で生活することからくるストレスを解消するためであるそうな。毛づくろいがないと,集団の中の緊張を緩和できず,争いが生じてしまうんだそうです。
ところが,進化の過程で,「無毛」になってしまったヒトは,毛づくろいができなくなった。おそらくはチンパンジーよりも大きな集団で生活していたであろう古代人類は,毛づくろいのかわりに,仲間とおしゃべりをすることでストレスを解消していたという奇説です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます