『ユンボギの日記』を読んでから数年後、『ユンボギが逝って―青年ユンボギと遺稿集』(白帝社、1993年刊)という本が出ました。
『ユンボギの日記』よりも、ある意味でショッキングな内容でした。
その本によれば、『ユンボギの日記』(韓国語版原題は『あの空にも悲しみが』)の著者、李潤福は、1990年に38歳という若さで亡くなり、その長くない生涯がけっして幸せなものではなかったということなのです。
本書の著者は許英燮(ホ・ヨンソプ)という京郷新聞の記者。「プリキップンナム」という雑誌の編集者だったとき、ユンボギを取材し、その後も長らく親交が続いていたそうです。
訳者は『ユンボギの日記』の訳者でもある塚本勲と、在日コリアンの金容権(キム・ヨンゴン)。
本は5部構成。
第1部は訳者の回想、第2部は許英燮による伝記、第3部はユンボギの第二作『あの空の星となって』からの抜粋、第4部は読者からの手紙からの抜粋、第5部はユンボギの妻の追悼文。
ユンボギは、第一作に続いて、その後の日記が『あの空の星となって』という書名で刊行されました。
第1作が1963年6月から64年1月まで、第2作は1964年12月から66年11月までの日記で、68年に刊行されました。日本でも『ユンボギの詩(うた)-あの空にこの便りを』として1988年に海風社より出版されたそうですが、私は読んでいません。
第3部に抜粋された部分から、『ユンボギの日記』発刊直後の様子がわかります。
本が売れてお金が入ったので、新しい家を買った。
家出していたスンナ(妹)が見つかった。
6歳の時から行方不明だった母の消息がわかったが、母は別の男との間に息子がいるということだった。
本を読んだ女学生が突然やってきて、しばらく家で面倒をみてくれた(その後父と喧嘩して出て行った)。
担任の柳英子(ユ・ヨンジャ)先生が転勤した。
「模範青少年」に選ばれ国から表彰されたり、当時の朴正煕大統領に会ったりした。
映画を見たら、柳英子先生が悪く描かれていて憤慨した。
知らないところで、自分について書かれた本が出て、内容がでたらめだった。
7年ぶりに母に会いに行った。
日記の最後には、「この世の父、母を告発する」という文章があります。
この世の父、母!
息子、娘を可愛がって下さい。愛してあげて下さい。
…
幼子たちを叱らないで下さい。
言うことを聞かないからといって、幼子を追い出さないでください。
…
この世の父よ、父たちよ。
酒を飲まないでください。
酒を飲むと金を使い、よくけんかをします。
母さんとけんかしないで下さい。
母さんをぶたないで下さい。
…
この世の母よ、母たちよ。
幼子たちを産んだまま逃げないで下さい。
育てられないなら産まないで下さい。
…
この世の父よ、母よ。
町に捨てられた命たちをごらんになりましたか。
彼らは誰が生んだ子どもたちですか。
彼らはどうして町に出てきましたか。
遊んで酔っぱらう父さんのせいでしょう。
産んでおいて出て行った母さんのせいでしょう。
息子、娘を憎む無情な父さんたち、
母さんをぶって追い出す父さんたち、
遊んで酔っぱらう父さんたち、
子を産んで逃げていく無情な母さんたちを、
ぼくは告発します。
ユンボギが生きた13年の苦労と怨みが凝縮された文章です。
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