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バベル



Cildo Meireles Babel 2001 1948


アメリカ大統領選挙を追って朝5時まで起きていたので、英国時間の正午前に起きた。

もううちには世話が必要な子供もいないし、夫もずっと家で仕事をしているし、ロンドンへ観劇に行くこともなく、曜日感覚も薄れ、ロックダウン2回目のヤケクソで好きな時間に寝て好きな時間に起きるのである。


ずっとBBCの特別番組を見ていると、少し前に見たテイト・モダンの「バベル2001」(上写真)を思い出す。
古いものは1920年代ラジオも組み込まれており、

"a tower of radios playing at once, addresses ideas of information overload and failed communication"「ラジオは一斉にかかっており(好き勝手なことを喋っている)、情報を氾濫させ(るだけで)、コミュニケーションは成り立っていない」のである。


テレビではアメリカ大統領自身がデマや憶測や希望や想像や妄想を垂れ流しにしている。

シンプルに「賛成か反対か」の一点で有権者を分断し、過半数を取りさえすればそれは「正しかったからだ」などとすべてを善悪で考える。
一方、彼らは、自分たちにとっての反対派は、既得権益を持ち、「普通の人」を搾取する、「敵」なのだと見なす。
まあこういった考え方もアメリカ独特の平等主義=反知性主義の変形なのだが。

ポピュリストと議論することが難しいのは、ポピュリズムにはもともとイデオロギーなんぞないからである。政治ビジョンもなく、長いスパンでものを見ることも、外と協調することもせず、自分だけがよければいい、今がよければいいと、ある時は国粋主義になり、ある時はグローバリストになるからである。

さらにポピュリストはまたやたらと偉そうで権威的である。それはなにごとも勝ち負けでしか考えられないからだと思う。
彼らは、おそらく、自分たちは、善の立場から悪を懲らしめているのだと思っている。

つまりトランプ大統領とも(安倍前首相とも)共通点は全くないにもかかわらず、比較的社会の隅に追いやられている人の支持を彼らが多く受けているのは、ポピュリズムがこういった人に「自分は正しい側にいる」意識を持たせ、有能な気持ちや安心感を与えるからだろう。

大統領選、どうなるでしょうか。
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