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ガイ・フォークスの日
11月5日は英国では「ガイ・フォークスの日」だ。
ハッカー集団アノニマスが流用しているあのお面がガイ・フォークスだといえば、イメージしていただけるだろうか。
日に日に暗くなっていくこの時期、主な街や村の広場に大焚き火(ボン・ファイヤー)が組まれ、移動式遊園地が来、花火を上げ、人々は松明をかかげてガイ・フォークス(の人形)を引き回しつつ、行進するのだ。
このお祭りの起源までさかのぼってみよう。
1605年にイングランドで政府転覆未遂事件が起こった。
英国国教会優遇政策で弾圧されていたカトリック過激派によって計画されたのだ。
ロンドンの上院議場(ビッグベンのあるところね)の地下に大量の火薬 を仕掛け、11月5日の開院式に出席する国王ジェームズ一世らを殺害する陰謀だったが、実行直前に露見して未遂に終わった。
カトリックの殉教者といわれた母親メアリー・スチュアートを母親に持つジェームズ一世は、カトリック教徒を優遇するだろうと期待されていたものの、彼はヘンリー八世が始めた英国国教会を引き続き優遇する宣言を出し、カトリックもプロテスタントにも不利な状況は変わらなかったのである。
ものすごく簡単にいうと、カトリックとプロテスタントと英国国教会のいさかいの中で、カトリック過激派が起こした事件。
もちろん転覆罪は重大な罪だが、英国の歴史上に犯罪者は他にもたくさんいる。
なぜガイ・フォークスだけが、21世紀の今日になっても毎年毎年、市中引き回しの刑を受け、最後は大焚き火(ボンファイヤー)で火刑にされるのか。
わたしは11月5日というのが鍵の一つだと思っている。
この時期はちょうど長く暗い「冬」の始まりで、「死者と生者という、より根源的な対立の構造をあらわにしている」のだ。
古代ローマに農耕神サトゥルヌスの祭があった。農耕神は死と再生を司る神である。
そのお祭りの間には、若者の中から「偽王」が選ばれる。偽王に選ばれた若者は「サトゥルヌスの王を演じて、一ヶ月の間ありとあらゆる過激な行為をおこなった後は、おごそかに、神の祭壇に生贄として捧げられ」るのである。
「中世の『喜びの司祭』や『サトゥルヌス司祭』ないしは『混乱司祭』(中略)これらの名前はいずれも、英語の『混乱王(ロード・オブ・ミスルール)』のほとんど直訳である」。彼らは短い期間だけ「『王様』になることを認められた者たちで、ローマ時代のサトゥルヌス祭の『偽王』の性格を、正しく受け継いでいる」。
興味深いのは、英国において、「混乱王(ロード・オブ・ミスルール)」を最初に廃止したのはヘンリー八世である。
その後、何度も復活しては廃止され、廃止しては復活した。
ジェイムズ一世は祖父(ジェームズ五世)がヘンリー八世の姉マーガレット・テューダーの息子という、とても近い関係だ。
「混乱王(ロード・オブ・ミスルール)」を廃止した後、ガイ・フォークスが混乱王の衣をまとって登場した、というのは考えすぎだろうか。それだけ民衆の生活と密着した祭りだったのである。
さて、なぜわざわざ「偽王」を立てて王様のように好き放題させた後、人身御供にするかかというと、「偽王」や「ガイ・フォークス」に迫りくる闇と死の役回りをさせ、やがてそれらを象徴的にいためつけ、生命の季節の勝利の到来を確実にするのである。
これは日本で人形(形代)に穢れを形代に移し、水に流す、そういう行為に近いと言えばいいだろうか。
「秋のはじまりから、光と生命の救出を意味する冬至の日にいたるまで、秋という季節は、儀礼のレベルでは、弁証法的なあゆみをともないながら、進行していく。そのうちの重要な段階は、つぎのようなものである。まず、生者の世界に、死者がもどってくる。死者は生者を脅したり、責め立て、聖者からの奉仕や贈与を受け取ることによって、両者の間に「蘇りの世界(モンド・ヴィヴェンティ)」が、つくりあげられる。そしてついに冬至がやってくる。生命が勝利するのだ」
「アングロサクソンの国々は、秋の祭りの内部を、極端で対照的な、二つの形態に分割し、関係性にはでな表現をあたえてきたのだ」
「秋から冬にかけて、三ヶ月もの間、聖者の世界への死者の訪問は、しだいにしつこく、威圧的なものになっていく。休暇をもらって生者の世界を訪問中の死者のために、生者たちは死者にお祭りを催してやり、自由に姿を表してもよい最後のチャンスをあたえてやる」
もしも上の解説がお気に召さないなら、ジェイムス・フレイザーが「金枝篇」の中で記述した「森の王」はどうだろう。
大昔、王の力(徳)が、その共同体存続の命運をかけた収穫の高低や、自然災害、疫災の有無に直接結びつけられていた時代があった。
天下が太平し、実りが豊かで、疫病や災害が避けられるのは、自然界とリンクしている王の力がよく機能しているからだと考えられていたのだ。
裏返すと、治安が乱れ、飢饉が起り、疫病や自然災害が起こるのは、王が老いたり弱ったりして力を失ったからだと解釈された。
つまり共同体にとって一番避けたい状況は、王の力が弱ること、さらには王の死、である。
自然界とリンクしたその力が途切れないよう、王の力の不変には心が砕かれた。王が力を失った場合は、その王を殺害して新しい力を持つものが王の位に就かねばならなかった。
このサイクルは自然界のサイクル、「秋の収穫の後に死に、春蘇る植物の死と再生」とオーバーラップ(これが穀物神信仰や農耕神信仰)する...
「混乱王」「森の王」の代わりに、「形代(かたしろ」(人形)にななったのがガイ・フォークスなのではあるまいか。
冬を前に収穫を感謝し、再生の季節がまた巡ってくるよう生贄を捧げ、汚れを払う、象徴的な役回り。
新型コロナ禍でロックダウンを導入する国々が続く欧州で、今年こそ「混乱王」に穢れを着せて焼くべきだと思うのだが...
もちろん今年は中止です。
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