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Brugge Style
razbliuto
ちょっと今日は気色の悪い話かもしれない(今日に限った話ではない)。
razbliuto という単語がある。
ウェッブ辞書をひくと「あなたがかつて愛していた人で、今はもうそうではない人に抱く感傷的な気持ち」
(the sentimental feeling you have about someone you once loved but no longer do)
と出てくる。
元はロシア語だそうで、それゆえわたしには語源までたどることができないのだが、絶妙な含みがあるために英語にも登録されつつあるのだとか。
タンブラーでも何度かリブリグされたので知った。
もしかしたらSNSの時代の新語なのかもしれない。
語彙の豊富な日本語にも、やはりこの単語と対になるような単語はみつからない。
いや、ここはやっぱり「もののあはれ」でしょうかね!
わたしにもそんな気持ちが残っているのだろうかと心の中を覗いてみると...
馬齢を重ねたせいだろう、すべて人ごとのような気がする。
特にいろいろあった相手のことはもう無関心だ。もう本当にどうでもいい。
一方で、razbliutoが湧いてくるとすれば、当時お気持ちに応えられなかった相手や、あるいは単によく会っていたとか、ちょっと意識した相手などのことになる。
つまり、わたしとあちらの間には何も始まらなかったからこそのrazbliutoしかない。
ということはrazbliutoではないのだろうか、だって「かつて愛していた」が当てはまらないので。
わたしはそのような心の機微を加齢とともに失ってしまったのだろうか。
ところで、1人娘が成長する過程で、まるで自分自身がもう一度生き直しているような気がするこちが何度かあった。
その一環かどうかは分からないが、彼女の最初のボーイフレンドのことを、娘はよく彼の話をしてくれ、それでもわたしは彼がとても礼儀正しい青年であるらしいこと以外はよく知らず、そして(今では別れてしまったがゆえに)もうきっと会うこともないのだろう、話を聞くこともないのだろう、「すごくいい子だったのに...もったいない...」などと、なんとなく忘れられず(というか顔すらもよく知らない)、その彼のことを思い出すと強くもののあはれを誘われるのである。
はあ、つまりすべては妄想ということか。
勝手にしとけという感じですが、わたしがもっと文学的ならば、小説になっていたかもしれない(笑)。
(写真はヴェネツィアの大運河、水の流れる歴史ある街角というのは時間を可視化できるからだろうか、razbliutoな気持ちというのも可視化できるような気がする)
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