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Brugge Style
胡蝶の(シナイ半島の)夢
ロンドンで「ビザンチン展」を見てから、ぜひともシナイ半島の聖カテリーナ修道院を訪れたいと思っていた。
今日、シナイ半島で新たな遺跡が発見されたというニュースを見て、今年の旅行計画の中にそのアイデアを盛り込まなかったことを激しく後悔した。
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当時、イスラエルは周辺のアラブ諸国と国交を絶っていたため、イスラエルとエジプト間の交通ルートは存在しないということになっていた。
しかしそれは表向きのハナシで、一般の旅行者が通行可能なルートはごく普通に機能していたし、パスポートに出国入国のスタンプが押されないだけで、誰でも往来は可能だったと思う。
わたしがイスラエルからエジプトへどうしても陸路で渡りたかったのは、イスラエルの民が40年に渡って放浪した半島と、スエズ運河を見たいからであった。
道中、シナイ半島のオアシスに到着した時、すでに日は完全に暮れており、真っ暗闇の中にぽつねんと現れた掘建て小屋カフェはカラフルな提灯で彩られ、アラブの音楽を鳴り響かせていた。
それが世界で唯一の光源であるかのようだった。
手持ち無沙汰だったので瓶入りコカコーラを飲んだ。
人類が絶滅した後でもこんな孤独を感じることはないだろう、と思った。
結局旅の間、日のあるうちは終わりのない砂漠、その後はトンネルの中を走っているような闇が続くだけで、スエズ運河の渡し場(シナイ半島側)に達したのも夜中だったため、そこでも何も、何ひとつも、見えなかった。
裸電気がついているのは当局の小屋だけだったから。
印象に残る物を見て、文章やイラストに残そうと目を凝らしたけれど、何も見えなかった。自分の腕時計の針さえも。
もしかしたらそこには運河の油のように黒い水(光がないゆえ)があるだけで本当に何もなかったのかもしれないけれど。
その後目をさましたらカイロに到着していた。
すべてが夢のようだった。
いや、カイロについてからの方が夢で、わたしはシナイ半島で未だに彷徨い続けているのかも。
それ、想像したらめっちゃ怖い(笑)。
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