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あのころ、湾岸戦争




最近、更新が滞っているのは...


わたしは80年代後半から中東に遊学していた。

あのころはまだガザ地区を囲む壁もなかった。


あ、またかと思われましたか。


あの時は湾岸戦争(90−91年)をきっかけに帰国を強いられたのだった。

湾岸戦争では、イラクがクウェートに侵攻。
イラクの侵略の背後には、クエートの石油生産量問題、イスラムの宗派問題、およびイラクの領土的野心などが絡んでいた。
国際社会は「当然」イラクの侵略行動を非難し、多国籍軍がクウェート解放を目指して介入した。
(その後、中東ではクルド人蜂起、イラク戦争、ISISの台頭、シリア内戦などが続く)

湾岸戦争から30年が経つ。


10月7日以降、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの「報復」に関して、イスラエルをひたすら擁護し続ける米英、米国に追随してイスラエルの攻撃は国際法違反であると言えない日本(を代表している国会議員)、ユダヤ人に遠慮して強いことが言えないドイツ...のダブルスタンダードには開いた口がふがらない。

一方、もっとびっくりなのはロシアのプーチンが「イスラエルのガザ侵攻は国際人道法違反」だと平然と言ってのけたこと。
この点に限ってはわたしもプーチンに賛成するが、一体どの口が...と、開いた口はふさがらない。

イスラエル側は、紀元前から散々迫害されてきた民族として、自分たちがなんとしても生きのびること、ガザからパレスチナ人を追い払い、ユダヤ人だけの国家をつくることが、安全保障上最優先との考えである。
新生児や子供、病人、医療従事者、国連職員虐殺という戦争犯罪を国際社会に非難されることも、米国の圧力も、自国の人質の存在も、吹いて飛ぶようなものなのである。


結局、はっきりしたのは、アメリカにしろ英国にしろ、普段は民主主義の守護神をきどっている国家が、「国際人道法」とか「法の支配」とか、人権、民主主義の守護者、平和、正義、平等といったフレーズを持ち出してくるのは、単なる政治のご都合主義、それが自分たちに利する場合に限られているのだということだ。

フランスも当初はG7と足並みを合わせてイスラエルの自衛権を言い立て、ハマスを非難、パレスティナ連帯を禁止していたが、人々はデモで民意を示すのをやめなかった。

ちなみにロンドンでも11日の第一次大戦戦没者記念日に、イスラエル軍のガザ地区への軍事作戦に反対する抗議デモに30万人以上が参加した。
(ここで注意したいのは多くの人々は反ユダヤではなく、イスラエルのジェノサイドに反対しているという点)
これを受け、デモを「ヘイトマーチだ」と批判した主要閣僚のブレーバーマン内相を、スナク首相は13日に更迭した。

明らかに、これは反ユダヤとか、テロを支援するのかとか、一神教や宗派の違いや、人種や貧富や政治や移民の問題ではない。
実際、「国民国家」という理念が入ってくるまでは、人々はここで隣人同士として共存してきたのだ。


そしてついに10日になって、フランスの首相マクロンは、イスラエル軍によるガザへの空爆について、民間人の殺害には「正当性がない」として停止するよう求めた。

もちろん、イスラエル軍が病院や学校、避難所などへの攻撃をエスカレートしたこともあるが、世論が政府に及ぼした影響が多分にあるのではないかと。

つまり、法の支配、国連憲章の理念、人間の権利を実現するのは国家ではなく、われわれひとりひとりが構成する市民社会である。

「殺すのはやめて」。

デモに参加した人もおられるだろう。
その他、Xでリツイートしたり、ニュースサイトを読んでシェアしたり、できることは全部しよう、と思ったのだった。

デモは迷惑とか、リツイートで世の中は動かせないとか、政治は変えられないなどと冷笑的になるのはやめよう。

だから今日は多少なりとも読んでくださる方がおられるこちらに書こうと思った。
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金曜日の停電




17時前がもうこんなに暗い。

先週11月5日のガイ・フォークスの日を終え、いよいよクリスマスに向かって暴走馬車のように走る英国...

と、停電っ!

黄昏時、うちの通りから灯がふっとすべて消え、その向こうのブルーグレーの空が広がるばかりに...


家の中で一番明るいのはマックブックのスクリーンだ。
今夜の夕食はお刺身だから準備が楽だ、などと思いながら、ブラック・フライデーのオンラインセール(早!)を見ていたのだ...

電気が家庭に普及する前は、冬は5時前にはできることが相当限られていただろう。ろうそくだって贅沢品だったのだ。


ろうそくの火で、最近買った&もらった写真集を眺めた。

こういう時にほんものの暖炉があればいいのに(ブルージュの家の巨大暖炉が恋しい)、うちの今の暖炉、電気制御...


45分ほど停電は続き、夫はその間「ロマンティックだ!」を繰り返していた。

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ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ




ふくろう!

12世紀の遺跡の壁のなかで。

擬態しているよね?

まだこどもかしら
夜行性だもんね
しかし無防備な...

この場を離れられなかった。
かわいさに見惚れて、だけではなくて...

2頭のこれまた愛らしい犬がリードなしで走り回っており、ふくろうは地面から高さ30センチくらいの壁の窪みでお休み中だったからだ。
夫が犬の飼い主さんたちにふくろうがそこで眠っていると伝えると、「教えてくれてありがとう!」と、一件落着。

わたしは鳥類が好きだ。
犬族も。




ギリシャ神話において、ふくろうは女神アテーナーの象徴である(ローマ神話ではミネルヴァのふくろう)。

民話や童話においても、森の長老や知恵袋の役割としてのフクロウがしばしば登場し、西洋世界全体で知識、知恵、洞察力、博識の象徴となっている。

実際に知能は高そうなふくろうだが、「暗闇で見る能力」が知恵に結びつけられたのだとか。





さて、ふくろうが眠るこちらの場所はうちから車で30分ほどのご近所、ウェイバリー修道院の遺跡。

ウィンチェスター司教ウィリアム・ギファードによって1128年に設立されたイングランドで最初のシトー会修道院だった。
1128年というから、1066年のノルマン・コンクエスト(侵攻)の50年後である。
当然というか、最初の修道院長と12人の僧侶はフランスのノルマンディーから連れてこられたという。

修道院はしばしば飢餓や洪水に襲われ、貧しく、13世紀には無能な欠地王ジョン(リチャード獅子心王の弟ね)によって弾圧される。

1536年にヘンリー8世(奥さんを6人取り換えた王ね)の修道院解散の一環として解体され、その後徐々に建物が取り壊され、大部分の石材は地元の建物で再利用された。

一時期はこんなに(下写真)巨大な修道院複合施設だったらしい...




「ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」ヘーゲル『法の哲学』

歴史的なできごとを適切に評価するのには時間がかかる、と。




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