2番目に大きな課題が終了し、まったりとした状況に浸っている。
最近、見てなかった、拙ブログの過去の検索ワードなんぞを見ている。月々数百円払って、「gooブログアドバンス」に入っているからできるサービスである。
この中で、おとといの検索ワードに立ち止まってしまった。
①「放送大学大学院卒業は高学歴か」
②「生涯学習での学歴は有効か」
同じ方かどうかわからないが、逆に、このような検索ワードで、このブログがヒットすることの方が不思議に思ってしまう。でも、凄く気になるので、その思いを吹っ切るためにも私の考えを書いてみたい。無論、これは私個人の勝手な考えなので、皆さん独自の考えを尊重いたします。
①「放送大学大学院卒業は高学歴か」について、まず気になったのが、「卒業」という言葉。私が修了した大学院の指導教官から頂戴した一言が忘れられない。「大学院を卒業」と言った時、「大学院は修了ですね」とたしなめられた。それ以後、私は、やむなく相手の方に話をあわさざるを得ない場合を除いて、「卒業」という言葉を使わず、「修了」という言葉で通している。
そう、大学院は修了ってことも知らずに、勢いで大学院生になったことが非常に恥ずかしかった。本当に、つまらぬことだが、発言した内容を指摘されるのではなく、それ以前のところで院生の水準に届いていないことを悔いたわけだ。
さて、本題に戻って・・・放送大学大学院修了生は高学歴だと思います。院修了生が高学歴でなければ、高学歴の人は博士しかいなくなってしまうので。ひょっとしたら、「偏差値の高い大学卒=高学歴:偏差値の低い大学卒=低学歴」という認識があるのかもしれませんが、同じ大学卒というカテゴリー内で「高学歴」or「低学歴」って考えは私は存在しないと思っています。
放送大学の教養学部は基本的には無試験で全員入学できるから、「偏差値のない大学」=「低学歴」という考え方は、私には受け入れられない話です。学歴としては大卒。それ以上でもそれ以下でもない。
加えて、放送大学大学院は試験もあるし、全員入学できるわけではない。臨床心理は競争率2桁台の超難関大学院である。500人も入学者がいるマンモス大学院であるが、修了生の成果物は「OPEN FORUM」として販売されているので、一読してみるといい。すばらしい内容である。
大学卒も院修了も、その価値を決めるのは学生生活をどのように送ってきたかである。そして、結論として大学より高い研究のステージとして設置されている大学院修了生は高学歴といわざるを得ないと考える。
②次に「生涯学習での学歴は有効か」というテーマであるが、これは「学歴」という言葉の取り方で「有効」ともいえるし、「無効」ともいえる。そもそも、生涯学習における「有効性」とはなんだろう。生涯学習を有効にすべきものは、学習を継続する「テーマの設定」や「継続性の維持」や「効率性の上昇」や「モチベーションの高揚」などが考えられる。
ただ「学歴」を取得しただけなら、有効性は皆無と考えていいだろう。しかし、生涯学習を続ける上で、大学や大学院に入学し、更なる「学歴」を追加するのなら、それは当然有効ということとなる。
実際、私がやっている「大学院での学習」「通信制大学での科目履修・選科履修」「学位授与機構での学位取得」等は、すべて「学歴」が更新されるものであるが、生涯学習に効果があると考えている。
まあ、個人の勝手な考えなので、正解・不正解は問わないでほしい。ただ、いずれにせよ、「学習することは尊い」ということだけは、確かだと思っている。
※そうそう、偶然だが、本日「学歴分断社会」という本をこうにゅうしました。読むのが楽しみな1冊です。なんせ、私の教育学分野における専攻に深くかかわる本ですので。
最近、見てなかった、拙ブログの過去の検索ワードなんぞを見ている。月々数百円払って、「gooブログアドバンス」に入っているからできるサービスである。
この中で、おとといの検索ワードに立ち止まってしまった。
①「放送大学大学院卒業は高学歴か」
②「生涯学習での学歴は有効か」
同じ方かどうかわからないが、逆に、このような検索ワードで、このブログがヒットすることの方が不思議に思ってしまう。でも、凄く気になるので、その思いを吹っ切るためにも私の考えを書いてみたい。無論、これは私個人の勝手な考えなので、皆さん独自の考えを尊重いたします。
①「放送大学大学院卒業は高学歴か」について、まず気になったのが、「卒業」という言葉。私が修了した大学院の指導教官から頂戴した一言が忘れられない。「大学院を卒業」と言った時、「大学院は修了ですね」とたしなめられた。それ以後、私は、やむなく相手の方に話をあわさざるを得ない場合を除いて、「卒業」という言葉を使わず、「修了」という言葉で通している。
そう、大学院は修了ってことも知らずに、勢いで大学院生になったことが非常に恥ずかしかった。本当に、つまらぬことだが、発言した内容を指摘されるのではなく、それ以前のところで院生の水準に届いていないことを悔いたわけだ。
さて、本題に戻って・・・放送大学大学院修了生は高学歴だと思います。院修了生が高学歴でなければ、高学歴の人は博士しかいなくなってしまうので。ひょっとしたら、「偏差値の高い大学卒=高学歴:偏差値の低い大学卒=低学歴」という認識があるのかもしれませんが、同じ大学卒というカテゴリー内で「高学歴」or「低学歴」って考えは私は存在しないと思っています。
放送大学の教養学部は基本的には無試験で全員入学できるから、「偏差値のない大学」=「低学歴」という考え方は、私には受け入れられない話です。学歴としては大卒。それ以上でもそれ以下でもない。
加えて、放送大学大学院は試験もあるし、全員入学できるわけではない。臨床心理は競争率2桁台の超難関大学院である。500人も入学者がいるマンモス大学院であるが、修了生の成果物は「OPEN FORUM」として販売されているので、一読してみるといい。すばらしい内容である。
大学卒も院修了も、その価値を決めるのは学生生活をどのように送ってきたかである。そして、結論として大学より高い研究のステージとして設置されている大学院修了生は高学歴といわざるを得ないと考える。
②次に「生涯学習での学歴は有効か」というテーマであるが、これは「学歴」という言葉の取り方で「有効」ともいえるし、「無効」ともいえる。そもそも、生涯学習における「有効性」とはなんだろう。生涯学習を有効にすべきものは、学習を継続する「テーマの設定」や「継続性の維持」や「効率性の上昇」や「モチベーションの高揚」などが考えられる。
ただ「学歴」を取得しただけなら、有効性は皆無と考えていいだろう。しかし、生涯学習を続ける上で、大学や大学院に入学し、更なる「学歴」を追加するのなら、それは当然有効ということとなる。
実際、私がやっている「大学院での学習」「通信制大学での科目履修・選科履修」「学位授与機構での学位取得」等は、すべて「学歴」が更新されるものであるが、生涯学習に効果があると考えている。
まあ、個人の勝手な考えなので、正解・不正解は問わないでほしい。ただ、いずれにせよ、「学習することは尊い」ということだけは、確かだと思っている。
※そうそう、偶然だが、本日「学歴分断社会」という本をこうにゅうしました。読むのが楽しみな1冊です。なんせ、私の教育学分野における専攻に深くかかわる本ですので。