「新しい学士をめざして」という本が最近の愛読書である。
この本には「学士が何たるか」が書かれている良書である。私のように、生涯学習の一環として「学位の取得」を考えているものにとっては、読んでしかるべき1冊といえよう。
この本のすばらしいところは、大学評価・学位授与機構学位審査研究部が編集したにもかかわらず、機構の学位を絶対視していないところにある。
P.84にこのようにある。
>学士の学位が定着していないところで、いくら「学位授与機構が授与する学位は、大学
>が授与する学位と同等です」といってもナンセンスなことはいうまでもありません。
>ただし、学士の学位が定着すれば問題が解決するかといえばそうともいえません。
>現状の日本の学歴社会の特徴を考えれば、「どこで学位を取得したか」が問われるわけで、
>今度は学位授与機構の知名度が問題になるからです。
このとおり、やはり新卒で企業に就職する際は、どこの大学で、どのような学習や活動を行って学位を取得したかが問われることがほとんどである。それは、学位だけでなく、学生生活で体験したこと、培った人脈、困難なケースに直面したときの臨機応変な応対力等々、実社会で築きあげたことを含めて、社会経験のない新卒者の力量を判断するからである。いわば、今後の成長の可能性ともいえる「伸びしろ」を計っているといえるだろう。
そして、圧巻のP.89にはこのようにかかれている。
>学歴としての価値だけを求めるのではなく、自己を高める手段として、当機構の
>学士の学位授与制度を活用していただければと思います。
そう、この本に明確に書かれているように、学位授与機構には、明示的・具体的な「学習過程」が存在しない。その部分については、単位を積み上げる学生に一任されているといえよう。つまり、就職に当たって、その点での到達水準については、自己で証明しなければなないことになる。学士としての水準をクリアしているのは証明できるが、それ以外の点で「大学卒業程度」であることを証明するのは、かなり、難易度が高いと言えよう。
そして、圧巻のページには<補遺>がつけられている。
>本章を最後まで読んでいただいた方の中には、当機構で学士の学位を取得しても
>「あまり役に立たないないのか・・・」とがっかりされた方もいるかもしれません。
>もとより、こうした事実を提示することによって・・・
>・・・「なぜ、機構の学士は大卒と同等に扱われないのか」という点が私にとって
>常に重大な問題意識として存在していました。この「問い」に対する私なりの回答を
>試みたのが本章です。
あまりに正直にかかれていて、むしろ、胸に込み上げてくるものがある。機構サイドの立場としては、書かなくてもいい文章であろう。しかし、これを掲載することで、「機構の学士」はどこに価値をもってくるべきかということが明らかになる。
機構の学士は、「4年生大学を卒業した者」を求めるところではあまり真価を発揮しないが、「学校教育法第104条の規定により学士の学位を授与されたもの」を含めて求める場面では、十分、その価値を発揮することができるということである。
また、私のように、「生涯学習の横串」(縦に深くではなく、横に広く学習すること)についても追求するものにとっては、各分野のマイルストーンとして非常に効果的に機能している。
学位を活かすも、殺すも、その人の力量であり、自己責任である。私にとって、機構の学位は無駄ではないし、むしろ、励みであり、誇りでもある。
この本には「学士が何たるか」が書かれている良書である。私のように、生涯学習の一環として「学位の取得」を考えているものにとっては、読んでしかるべき1冊といえよう。
この本のすばらしいところは、大学評価・学位授与機構学位審査研究部が編集したにもかかわらず、機構の学位を絶対視していないところにある。
P.84にこのようにある。
>学士の学位が定着していないところで、いくら「学位授与機構が授与する学位は、大学
>が授与する学位と同等です」といってもナンセンスなことはいうまでもありません。
>ただし、学士の学位が定着すれば問題が解決するかといえばそうともいえません。
>現状の日本の学歴社会の特徴を考えれば、「どこで学位を取得したか」が問われるわけで、
>今度は学位授与機構の知名度が問題になるからです。
このとおり、やはり新卒で企業に就職する際は、どこの大学で、どのような学習や活動を行って学位を取得したかが問われることがほとんどである。それは、学位だけでなく、学生生活で体験したこと、培った人脈、困難なケースに直面したときの臨機応変な応対力等々、実社会で築きあげたことを含めて、社会経験のない新卒者の力量を判断するからである。いわば、今後の成長の可能性ともいえる「伸びしろ」を計っているといえるだろう。
そして、圧巻のP.89にはこのようにかかれている。
>学歴としての価値だけを求めるのではなく、自己を高める手段として、当機構の
>学士の学位授与制度を活用していただければと思います。
そう、この本に明確に書かれているように、学位授与機構には、明示的・具体的な「学習過程」が存在しない。その部分については、単位を積み上げる学生に一任されているといえよう。つまり、就職に当たって、その点での到達水準については、自己で証明しなければなないことになる。学士としての水準をクリアしているのは証明できるが、それ以外の点で「大学卒業程度」であることを証明するのは、かなり、難易度が高いと言えよう。
そして、圧巻のページには<補遺>がつけられている。
>本章を最後まで読んでいただいた方の中には、当機構で学士の学位を取得しても
>「あまり役に立たないないのか・・・」とがっかりされた方もいるかもしれません。
>もとより、こうした事実を提示することによって・・・
>・・・「なぜ、機構の学士は大卒と同等に扱われないのか」という点が私にとって
>常に重大な問題意識として存在していました。この「問い」に対する私なりの回答を
>試みたのが本章です。
あまりに正直にかかれていて、むしろ、胸に込み上げてくるものがある。機構サイドの立場としては、書かなくてもいい文章であろう。しかし、これを掲載することで、「機構の学士」はどこに価値をもってくるべきかということが明らかになる。
機構の学士は、「4年生大学を卒業した者」を求めるところではあまり真価を発揮しないが、「学校教育法第104条の規定により学士の学位を授与されたもの」を含めて求める場面では、十分、その価値を発揮することができるということである。
また、私のように、「生涯学習の横串」(縦に深くではなく、横に広く学習すること)についても追求するものにとっては、各分野のマイルストーンとして非常に効果的に機能している。
学位を活かすも、殺すも、その人の力量であり、自己責任である。私にとって、機構の学位は無駄ではないし、むしろ、励みであり、誇りでもある。