基本的に一度読んだ本は読み直さない私。
記憶力がいいとかではなく、読んだ後、机の下とか書棚の奥に本をしまいこむからである。本の上に本が積み重なり、再び読もうとする意欲がそがれてしまう。
それに、何度も読みたいという本が少ない。難しい本は何度も手がでないし、簡単な本は読んだらそれまでである。
しかし、そんな偏った読書癖がある私がバイブルにしている1冊がこれである。「大学通信教育は卒業できる!」である。
以前にもご紹介させていただいた。当時のブログの記事を見ると、「若さ」というか、「尻の青さ」がアリアリと垣間見ることができる。とはいえ、この2006年3月から、何度、この本を参照させていただいたことだろう。
この当時、私は明星大学大学院を意識し始めていたのだが、ちょっと、産業能率大学大学院へ寄り道してしまった。しかし、初志貫徹、明星大学大学院に入りなおし、彼女の後輩となることができた。
彼女が01年度入学で、私が08年度入学だから7年遅れとなったわけです。著書にかかれていることは7年経っても同じ内容もあれば、個人情報保護法等、法令所規則の変更により変わった点もあります。それでも、先達はありがたいもので、迷ったり、困ったときは何度もこの本に還って模索したものです。
まさに、明星大学通信制大学院に行く人は一読しておかれるほうがよいでしょう。口頭試問も、書いてあるとおりの内容でしたから。
振り返って思うのは、私のブログも、これから大学院を目指す人の参考になっているかという点である。できる限り具体的に、また、画像も交えて書いたつもりである。しかし、前人未到の単位修得試験3科目×3回や、1週間でレポートを山のように仕上げる荒業は、できれば真似しないで欲しい。同期は年5回の試験を、余裕を持って1科目~2科目程度、ちゃんと学習して受験していた。
このような受験方法やレポート提出方法ができたのも、過去、通信制大学他で単位修得の試験を100回以上受験し、レポートも100通以上提出した経験則からなしえたものであり、普通のやり方ではない。というか、試験慣れ、レポート慣れしているはずの私ですら、荒行の後は燃え尽きていましたから・・・
とはいえ、スクーリングは楽しかったし、先生は皆さん気さくで、同期他学生の皆さんも先生方が多いせいか、クセのある人は少なかった。飲み会もスクーリングの後、開催され、自分の履修していない授業の飲み会にも呼んでもらえた。それでいて、「明星」という絆だけで、みんなわけへだてなく、大いに楽しく語りあったものだ。
私が参加したスクーリングは6回(×3日)のみ。スクーリングはMAXでも8回しか受講できない貴重な学生交流の場であり、先生から直接指導を受けることができるチャンスでもある。会社さえ休めれば、MAXの8回、参加できたのだが、6回行かせていただいただけでも、幸運この上ない。
加えて、論文指導においては、指導教官から論文以外の、貴重なお話も聞かせていただいた。「暗黙知」としかいえないような、文献では絶対に知ることのできない内容である。
何故、突然、こんなことを書くかというと、無論、口頭試問が終了して書きたいという気持ちがあったのと、実は、本日、明星大学大学院の第2期の入学試験であったことが影響している。
つまり、2年前、特殊な理由で第1期試験で受験できなくて、第2回期の試験に回ることとなったのだが、それが幸いして、過去最低の競争率1.3倍での受験が叶った。しかも、昨年は第1期1.6倍、第2期2.1倍と極端に競争率が上昇した。
人生何が幸運するかわからない。その低い競争率のおかげで、私は教育学とは無縁の立場にもかかわらず、入学が許可された。しかも、その翌年から、指導教官は多忙のため、ゼミ生を取らなくなった。
私が、本学を修了することができるのも、偶然の積み重ねといえる。しかし、その偶然とは、偶然を強く願う人の前にしか現れない。卑近な例だが、宝くじを買わないと当たらないのと少し似ている。ただ、それ以上に、「強く希望する」、あるいは、「大きな夢を持つ」ことで、その未来の実現性は、可能性が高くなることが宝くじとはちょっと違うところである。
「興味」「夢」「希望」「なりたい自分」「好きなこと」「憧れの人の行動」「尊敬する人の凄いところ」等々、常日頃思っていることがあるはずです。まずは、それを整理する。忘れないうちに書き上げる。そして、その書いた内容に自分が近づくためにしなければならないことを書いてみる。
「書くこと」「声に出すこと」で、自分にとって必要なことが認知される。あとは、それに向かってアクションを起こすのみ。資料請求するとか、電話するとか、何でもいいから、その理想に近づくためのアクションを1つ、2つと起こしていく。
それをやっている内に、運命の歯車は回り始め、神の見えざる手のごとく、一つの到達点への誘いが現れる。あとは、勇気を持って、それを掴み取ればいいだけなのだ。後から振り返れば偶然と思えることでも、その過程では必然なのである。
アクションは火打石のようなもので、モチベーションが高く上がっていれば、自然と火がつくものである。そのモチベーションを挙げる作業が「紙に書く」「声に出す」「壁に貼る」といった行動なのだが、視覚や聴覚に訴えることで、自分の深層心理から、なりたい自分、やりたい自分などが呼び起こされるのだ。
何かしら、行動しない限り、現状の自分とは訣別できない。ルーチンワークの中で、昨日と同じ自分を演じるしかないのだ。逆に、何でもいいから、最初の一歩を踏み出してみる。その一歩が、新しい自分の羅針盤となるはずである。最初の一歩が一番難しい。しかし、その一歩こそが、将来、振り返ったとき、人生のターニングポイントとなっているはずである。
アクションなくして、現状の自分の変化はない。幸運の女神は、自ら望まない者には、その姿は見えないものである。