ネットでいろいろ見ていると、勝手な資格が雨後のたけのこのようにたくさんあふれていることに気付かされる。
論文にも書いたのだが、玉石混交の資格があふれており、資格取得が正当に評価されない恐れがある。
逆に言えば、ディプロマ・ミルのように学位商法、あるいは資格商法が横行する原因にもなっている。資格も、数がおおけりゃ凄い!みたいな風潮は危険だと思うのだがどうだろう?
正当に学習し、それが評価されるならよい。しかし、カネを払えば誰でも取れるような資格ばかり横行すると、学習するのがバカらしく思う人も増えよう。また、資格制度の存続にも赤信号がともってしまう。
規制緩和の流れに反するようだが、資格については国家の関与がなければ、信用の基準を維持することは困難である。
ちょっとした勝手な解釈で、民間資格を除いた国家資格・公的資格の数を補記してはどうか?国家資格は法律上にその資格名が書かれているもの。公的資格は省庁あるいは法律にその成立の根拠を求めることができるもの、あるいは、合格証書に省庁名が書かれているもの(××省後援や○○大臣認定等)とし、それ以外は民間資格とする。
そうした場合、私の資格の内訳は以下の通りである。
国家資格・・・34(含む教育資格1)
公的資格・・・109
民間資格・・・82(これには銀行業務検定や語学の資格が含まれる)
学位も入れていいなら、学校教育法に準拠だから公的資格が11増えることとなる。つまり、154が私の資格件数となる。
このカウント方法なら、わけのわからぬ民間資格が排除できる。一方でTOEICなどがカウント外となってしまうが、怪しげな業者の資格を助長するといった反社会的な動きを牽制することにも繋がる。
資格商法の被害者を増やさぬためにも、資格教育が必要であろう。実際、高い金を払って取得した資格や学位が詐欺まがいのものならどうだろう。悔しくないだろうか。というより、××○○士とかいう変な名称の資格だと、詐欺と誤認されたり、弁護士法や税理士法等、業務独占資格まがいのことをすると逮捕される恐れすらある。
加えて、資格の品質保証が可能とならない限り、資格社会は担保されない絵空事の社会となってしまう。かといって、難関資格だけが尊重される社会も私としてはNGである。
社会人が各々の経験に即した、グレードの識別ができる資格制度が確立することが、資格社旗到来の大きな前提条件となる。
それにしても、本当に、わけのわからぬ資格が多数できている。また、実施取りやめとなる資格も続出している。私も、昔はそんな資格すらあこがれていたときがあったが、資格と生涯学習をリンクさせる考えに至った瞬間より、そんなわけのわからぬ資格をカウントしてまで、数を増やしたいという欲望は失せてしまった。
自分の伸ばしたい分野の、全うな資格を取得していくことが、自分のスキル向上と能力開発を実現していく手段だと思う。また、社会的にも評価されるものだと考える。
民間資格にも、私の取得した「銀行業務検定」「金融業務検定」「語学検定」「證券外務員」「産業カウンセラー」「キャリアコンサルタント」「認定心理士」等々、結構、しっかりした資格もあるのだが、全てがうまくいくような基準はつくりづらい。
あくまで、勝手な解釈であるので真剣に反論するのはご遠慮願います。どちらかといえば、私は資格マニアの方を尊重するスタンスなので。
というより、私の懸念しているのは「資格商法をいかにして排除するか」と「資格の信頼性向上にはどうすればいいか」という問題点に対する対処法をどうするかという点です。資格道に精進している人も、金さえ払えば取得できる資格が、いかに無意味かというのがわかっていただけるものと信じています。その線引きをどこにするかというのが、この記事のテーマです。
論文にも書いたのだが、玉石混交の資格があふれており、資格取得が正当に評価されない恐れがある。
逆に言えば、ディプロマ・ミルのように学位商法、あるいは資格商法が横行する原因にもなっている。資格も、数がおおけりゃ凄い!みたいな風潮は危険だと思うのだがどうだろう?
正当に学習し、それが評価されるならよい。しかし、カネを払えば誰でも取れるような資格ばかり横行すると、学習するのがバカらしく思う人も増えよう。また、資格制度の存続にも赤信号がともってしまう。
規制緩和の流れに反するようだが、資格については国家の関与がなければ、信用の基準を維持することは困難である。
ちょっとした勝手な解釈で、民間資格を除いた国家資格・公的資格の数を補記してはどうか?国家資格は法律上にその資格名が書かれているもの。公的資格は省庁あるいは法律にその成立の根拠を求めることができるもの、あるいは、合格証書に省庁名が書かれているもの(××省後援や○○大臣認定等)とし、それ以外は民間資格とする。
そうした場合、私の資格の内訳は以下の通りである。
国家資格・・・34(含む教育資格1)
公的資格・・・109
民間資格・・・82(これには銀行業務検定や語学の資格が含まれる)
学位も入れていいなら、学校教育法に準拠だから公的資格が11増えることとなる。つまり、154が私の資格件数となる。
このカウント方法なら、わけのわからぬ民間資格が排除できる。一方でTOEICなどがカウント外となってしまうが、怪しげな業者の資格を助長するといった反社会的な動きを牽制することにも繋がる。
資格商法の被害者を増やさぬためにも、資格教育が必要であろう。実際、高い金を払って取得した資格や学位が詐欺まがいのものならどうだろう。悔しくないだろうか。というより、××○○士とかいう変な名称の資格だと、詐欺と誤認されたり、弁護士法や税理士法等、業務独占資格まがいのことをすると逮捕される恐れすらある。
加えて、資格の品質保証が可能とならない限り、資格社会は担保されない絵空事の社会となってしまう。かといって、難関資格だけが尊重される社会も私としてはNGである。
社会人が各々の経験に即した、グレードの識別ができる資格制度が確立することが、資格社旗到来の大きな前提条件となる。
それにしても、本当に、わけのわからぬ資格が多数できている。また、実施取りやめとなる資格も続出している。私も、昔はそんな資格すらあこがれていたときがあったが、資格と生涯学習をリンクさせる考えに至った瞬間より、そんなわけのわからぬ資格をカウントしてまで、数を増やしたいという欲望は失せてしまった。
自分の伸ばしたい分野の、全うな資格を取得していくことが、自分のスキル向上と能力開発を実現していく手段だと思う。また、社会的にも評価されるものだと考える。
民間資格にも、私の取得した「銀行業務検定」「金融業務検定」「語学検定」「證券外務員」「産業カウンセラー」「キャリアコンサルタント」「認定心理士」等々、結構、しっかりした資格もあるのだが、全てがうまくいくような基準はつくりづらい。
あくまで、勝手な解釈であるので真剣に反論するのはご遠慮願います。どちらかといえば、私は資格マニアの方を尊重するスタンスなので。
というより、私の懸念しているのは「資格商法をいかにして排除するか」と「資格の信頼性向上にはどうすればいいか」という問題点に対する対処法をどうするかという点です。資格道に精進している人も、金さえ払えば取得できる資格が、いかに無意味かというのがわかっていただけるものと信じています。その線引きをどこにするかというのが、この記事のテーマです。