生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

卒業率ってどうやって算出するのだろう?

2010年03月20日 07時12分51秒 | ちょっと立ち止まって・・・
先般、卒業率について、腹を立てたり、納得したりと考えさせられることがあった。

卒業率が低くても卒業する人は卒業するので、あまり気にする必要もないと思うのだが、その比率ってどうやってはじくのか気になってしまった。

いくつも考えられてしまったからだ。そのうちのいくつかを披露します。

1.大学4年次在籍者で卒業者数を割る。
 ⇒この場合、ハードルを設けて3年次から4年次に進級できなくすれば、卒業率は上がる

2.最低在籍年次をクリアーした人数で卒業者数を割る。
 ⇒単位さえ充足すれば卒業できる状態の人数が母数。これで算出すると、難関校や放送大学等は在籍期間が長期化するため、卒業率は当然低くなる。

3.卒業者と退学者を合算した人数で卒業者数を割る。
 ⇒最終的に卒業できた人の割合が算出できるが、理論上退学者がいない年は卒業率100%となる。

卒業生は少ないが、まあ、卒業可能年次後、10年以上学習すれば全員卒業できるよというのは、卒業率100%なのか、10%未満なのか?そのジレンマに悩んでいるわけである。まさに、数字のトリック。何か前提条件を見落としているのだろうか。

昔は、たとえ0.1%でも、卒業している事実があるなら、私はトライして卒業を勝ち取るという考えを持っていた。自分中心の考え方である。しかし、今は、客観的に、その学習システムが生涯学習に適しているかという目で見てしまう。

そもそもA大学は卒業率50%、B大学は3%というので均衡していること自体、「学歴社会」ならぬ「学校歴社会」を如実に表している。大卒だけでは測ることができない、何があることを物語っている。

資格試験の受験のためならどこの大学卒業でも同じ。しかも大学院を受験するのに、大卒は必要でない時代(受験校での判定は必要ですが)。一体、学位とは何なんだろう?


資格についても、200を超えたころから「数の虚しさ」を感じてしまったが、学位についても10を超えたころから「数の虚しさ」には、うすうす気がついていた。マズローの言うところの「承認欲求」の段階を通り越したのだろう。

資格も学位も、今の数に1つ加算されても、傍目からすればたいした変化じゃない。自分が学習したこととして、その履歴証明の代わりに資格や学位を取得しているに過ぎない。では、その努力は何のため?

無論、自己の能力開発を行って仕事に役立てようという気持ちもある。しかし、将来の可能性の種を撒いている気持ちもある。

もし、この世界に自分だけしかいなかったら、あえて学習するだろうか?あるいは、助かる見込みのない無人島に自分だけが取り残されたらどうだろう。もしくは、永遠に牢屋に入れられて出ることができない状態に幽閉されたらどうか?絶望のあまり、学習する気持ちにはなれないと思う。やはり、受け取った知識は、だれかに伝えたい。

そういうチャンスを思いつつ、やはり、私は学び続ける。
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実は・・・

2010年03月20日 06時51分42秒 | 産業能率大学
さて・・・

困ったことを告白しなければならない。

実は・・・

本日、産能大学OB会があり、そこで、30分間発表をしなければならないのだが・・・まだ、その資料ができていない。パワーポイントが完成していないのだ!

7割程度出来上がっているのだが、完成していない上に、発表の準備も手付かずである。

まあ、色々と忙しくて、それに体調も悪かったから。とはいえ、発表会で「実はできてませ~ん」なんていえないから、これから作成しなければならない。

つくづく、ギリギリにならないとできない性格が疎ましい。
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学位授与式の風。

2010年03月20日 06時45分52秒 | ちょっと立ち止まって・・・
昨日、飲み会の会場に向かう途中、駅で袴姿に学位記を持った女性を見つけた。

そうか・・・学位授与式に参加された帰りなんだろうな。卒業のシーズンだから。私も、来週金曜日に学位授与式に出席する。学位記は、先に頂いた明星の布袋に入れて持って帰ろう!

そんなことを考えながら、3回目の学位授与式に思いを馳せる。
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