機構のレポートを書くために、旧石器時代の研究をしている。
国分寺には野川が流れている。ちょうど、日立の研究所からスタートして、小金井、三鷹、調布等を経て多摩川に流れ込む。この川の流域には旧石器時代の遺跡が集中している。
一方、小平には鈴木遺跡という遺跡があった。これは石神井川の源流に位置する遺跡であった。しかし、鈴木遺跡周辺の石神井川が枯れてしまったと同時に、人々はいなくなってしまった。
そう、古代では、川が重要な位置づけなのである。川の恵みがあれば、そこに人々が住みつくのである。川は水を供給する。水を求めて動物も集まる。河原の石は石器の原材料となる。川がなければ、石器を作るのは困難なのである。とはいえ、国分寺の場合は野川が石器を供給するのではなく、多摩川の上流から流れてくる石が石器の原料になるのだが。(無論、他の地域から持ち込まれた黒曜石も石器の原料となっている)
そんな古代人の生活は自然に大きく左右されていた。それが、文明が進むにつれ、人間が自然を制御し始め、自然を変形させ、破壊する時代がやってきた。
原子力のような「神の領域」にも踏み込もうとする。人間は手に入れた「膨大な力」を振りかざすようになった。しかし、結局、その力を扱い切れず、大きな代償を支払うこととなる・・・
あるいは、「地震」「津波」「台風」「洪水」「暴雨」といった自然の力叩きのめされてしまうこととなった。無力な人間。自然がひとたび牙を剥くと、何もできず、多大な被害に天を仰ぐしかなかった・・・
たまたま、自分は罹災しなかったが、明日も無事とは断言できない。今まで運がよかっただけで、被害を受ける可能性は、今、この瞬間にもありえるのだ。100年もしないうちに私は死ぬ。そういいつつも、命が明日までだったとしたら、本当に残念に思うだろう。でも、明日、命が終わりを告げる可能性はゼロではないのだ。
だからこそ、一日、一日、生かされていることを感謝し、ゆめゆめ与えられた人生を無駄にせず、生きていきたいものである。そして、死を迎えるときが来たなら、その運命を受容したいと思っている。
国分寺には野川が流れている。ちょうど、日立の研究所からスタートして、小金井、三鷹、調布等を経て多摩川に流れ込む。この川の流域には旧石器時代の遺跡が集中している。
一方、小平には鈴木遺跡という遺跡があった。これは石神井川の源流に位置する遺跡であった。しかし、鈴木遺跡周辺の石神井川が枯れてしまったと同時に、人々はいなくなってしまった。
そう、古代では、川が重要な位置づけなのである。川の恵みがあれば、そこに人々が住みつくのである。川は水を供給する。水を求めて動物も集まる。河原の石は石器の原材料となる。川がなければ、石器を作るのは困難なのである。とはいえ、国分寺の場合は野川が石器を供給するのではなく、多摩川の上流から流れてくる石が石器の原料になるのだが。(無論、他の地域から持ち込まれた黒曜石も石器の原料となっている)
そんな古代人の生活は自然に大きく左右されていた。それが、文明が進むにつれ、人間が自然を制御し始め、自然を変形させ、破壊する時代がやってきた。
原子力のような「神の領域」にも踏み込もうとする。人間は手に入れた「膨大な力」を振りかざすようになった。しかし、結局、その力を扱い切れず、大きな代償を支払うこととなる・・・
あるいは、「地震」「津波」「台風」「洪水」「暴雨」といった自然の力叩きのめされてしまうこととなった。無力な人間。自然がひとたび牙を剥くと、何もできず、多大な被害に天を仰ぐしかなかった・・・
たまたま、自分は罹災しなかったが、明日も無事とは断言できない。今まで運がよかっただけで、被害を受ける可能性は、今、この瞬間にもありえるのだ。100年もしないうちに私は死ぬ。そういいつつも、命が明日までだったとしたら、本当に残念に思うだろう。でも、明日、命が終わりを告げる可能性はゼロではないのだ。
だからこそ、一日、一日、生かされていることを感謝し、ゆめゆめ与えられた人生を無駄にせず、生きていきたいものである。そして、死を迎えるときが来たなら、その運命を受容したいと思っている。