生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

比較宗教特論。

2011年09月19日 19時23分24秒 | 武蔵野大学大学院
6号館の1Fエレベーター!

スクーリングはこのエレベーターへ乗り込むところから始まった。比較宗教特論の授業は大正大学の先生が受け持っておられる。授業の内容といえば・・・私の専門分野であった。

ご存知の通り、霊的なものの研究を継続してきている。妖怪なんかも得意分野なのだが、それが、宗教学として授業で出てきた。「河童」や「丑の刻参り」、あるいは「いたこ」なんかも出てきた。「魔女狩り」「錬金術」「百鬼夜行」等々!良く分かる授業でとても為になりました。

来年1月には「日本仏教」と「イスラム教」他。


それはそうと・・・私は知っていたのですが、「ユダヤ教」と「キリスト教」と「イスラム教」の神様が一緒って知っていました?とういか、ユダヤ教からキリスト教が派生したのは、「イエス・キリストはユダヤ教徒だ」という事実から分かると思いますが、そもそも、イスラム教がユダヤ教から派生したのはご存知でしたか?

元は「同じ神」を信じているにもかかわらず、どうして、こうも、いがみ合っているのでしょうね・・・
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青い空!

2011年09月19日 19時22分35秒 | 武蔵野大学大学院
昨日と比べて、やはり、雲が少し多いかな~
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食堂エントランスの像!

2011年09月19日 19時21分28秒 | 武蔵野大学大学院
こんな像が立っています。若いっていいな~
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食堂は・・・

2011年09月19日 19時20分45秒 | 武蔵野大学大学院
相変わらずお休みでした。
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第5薬草園発見!

2011年09月19日 19時16分38秒 | 武蔵野大学大学院
校内を散策していたところ、第5薬草園を発見しました!

以前、第4薬草園を発見したのですが、その後、第1~3薬草園を探すも、未だ発見に至らず・・・

それにしても、この「フジモドキ」右上に「毒」と書かれているが、毒草なのだろうか??

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武蔵野大学前!

2011年09月19日 19時12分05秒 | 生涯学習
都合6日×5コマ(1コマ90分)で4単位を目指す「比較宗教特論」。

9月の3連休最後の日となった。後半は1月の3連休で受講する。それにしても、1日7時間半も良く受講したものだな・・・
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「叩く」社会

2011年09月19日 05時40分34秒 | ちょっと立ち止まって・・・
「JR北海道 不明の社長遺体で発見」という無念なニュースが、本日の日経新聞朝刊31面に掲載されていた。

日本と言う社会は、異常なほど「極端な社会」に思えて仕方がない。完璧で当然、ミスや事故があったら、新聞や週刊誌といったマスコミが、ここぞばかりに叩き始める。恐怖なまでのバッシングである。この重圧に耐え切れず、社長は命をたったのかもしれない。

まるで「死んで詫びろ」といわんがばかり。

同様に、27面には「消防団員減少止まらず」という記事もあった。無念にも、震災時に多くの消防団員が亡くなった。最後に避難しなければという思いから津波に巻き込まれたのだ。こんな考え方をしてはいけないのかもしれないが、消防団員が先に逃げると、後で叩かれるという思いがあったのかもしれない。

しかし、消防団員にのみ、リスクを押し付けていいのだろうか。

あるいは・・・東京電力はまるで魔女狩りにあったがごとく叩かれている。奢り高ぶったがごとく、放射能や計画停電、あるいは節電に苦しむ人々の神経を逆撫でする発言もあった。しかし、それは一部のトップクラスの発言であり、東電の一般社員までが「この機会に電気のありがたみを思い知れ!」と意地悪しているわけではない。

復旧に向け、昼夜を通して懸命に働いている人もいる。それでも、「給与を下げろ」「ボーナスを削れ」と叩かれている。彼らもボランティアではない。ましてや、命を賭して働いているにもかかわらず、無慈悲に叩き続けるのは、我々一般人にも、かならずや、高い代償として返ってくるだろう。


これらは、失敗を許さない社会、あるいは、過度に責任を求める社会であるがため、ミスをすると、つるし上げて、「叩く」社会であることに起因する。

考えようによったら、マスコミや国民の「リンチ」である。

安い電気を求めたのは誰だろう。あるいは、原発を建てようと決めたのは誰だろう。キリストの言葉に、「あなたたちの中で罪を犯したことのないものが、まずこの女に石を投げなさい」というものがあった。この言葉を借りるなら、「あなたたちの中で原子力発電で作られた電気をつかったことのないものが、まず東電に石を投げなさい」ということになるのだろうか。

あるいは、「JRに乗ったことのないものが、JR北海道社長に石を投げなさい」「消防団員になったことのあるものが、逃げた消防団員に石を投げなさい」ともいえるのかもしれない。

完璧に機械化・システム化されても、ヒューマンエラーは発生する。あるいは、そのリスクを包含したとしても、機械化・システム化のために、莫大なコストがかかる。電車1区間10,000円とか、電力1KWH10,000円というコスト高を許容するなら、安全性は、非常に高いレベルまで担保されるかもしれない。それでも、絶対安全とは言い切れない。

「値上げはイヤ」でも「安全性が下がるものイヤ」。といいつつ、例えば、食料品でも「安い商品」に飛びついて、地道に「安全な商品」を提供していた、価格のお高めな企業を廃業に追い込んだのは消費者である。そして、「食中毒」が発生するような企業を選んだのも、残念だが我々なのである・・・

失敗した企業を叩くだけではなく、特に原発については、「叩く」よりどうすればいいか、ともに考え、協力し、電気の安定供給に協力していくことが、一番大切なのではないだろうか。
コメント (2)
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