ちょっと古い本だが、大学院関連の本を読み返してみた。
そこには、当時気がつかなかった、あるいは、気がついていたが気にも留めなかった記述があった。
①「学歴ロンダリング」 光文社
私の大嫌いな「学歴ロンダリング」という言葉。だから、奥にしまっておいたのだが、ちょっと、読み直してみた。すると、p.39に「逆学歴ロンダリング」という言葉があった。内容は、「学歴ロンダリング」とは逆に、相対的に大学よりも格下の大学院に進学することだそうな。一方で、大学と大学院が同じ場合は「内部進学」らしい。
ちょっと違うな・・・
例えば、私の場合、通信制の産能大学(現産業能率大学)から通学制の産業能率大学大学院に進学したけど、内部進学といった感じは皆無であった。推薦もなければ、入試情報もなし。同じ大学でも、内部進学っぽくないケースもある。しかし、この内部進学という言葉を「ロンダリング本」で取り上げたのは立派である。
また、最初の通学制の大学と産業能率大学大学院、明星大学大学院、武蔵野大学大学院を比較した場合、偏差値的に言えば、3つの大学院は「格下」となってしまう。でも、自分自身、3つの大学院で学んだことより、最初の大学で学んだことが劣っているとは、全然思っていない。こんなことに対して、真剣に「逆学歴ロンダ」と名付けることの方が愚かしい・・・
なら、早稲田大出身者が慶應の大学院に進学したら何と呼ぶのか?この答えが出ない時点で、この本に書かれていることは、MECEではないと証明できる。その場の雰囲気だけで、造語してしまうのは、言葉遊びに過ぎない。
あるいは、私のように、大学の偏差値に影響されず、自由に大学院を渡りあるく人間を何と呼ぶのか?その答えはこの本には存在しない。
だが、東大大学院を目指している人には「おもしろ、おかしく」読める1冊なのかもしれない。ちなみに・・・私も「おもしろ、おかしく」読ませていただいた(笑)。「学歴ロンダリング」とか言っているものの、この本の筆者たちは、確かに東大大学院を修了している。その点については、「さすが!」と賞賛してしまう。動機はともあれ、大学院で学んだ経験は、何ものにも代えがたい「成果」であり、それを否定することは、私にはできない所業である。
②「社会人のための大学院案内」 PHP研究所
山田礼子先生の本である。私が、一時期、桜美林大学大学院に行きたく思ったのも、山田先生の講義があるからであった。無論、舘先生や岩永先生他、私の研究分野にかぶっている先生方が充実しているのも理由である。しかし、主に経済的理由を中心とした、諸々の事情により断念にいたる。何せ、桜美林大学大学院の2年間の費用で、放送大学大学院が5回修了できるのだから・・・
とはいえ、産能MBAでかかったコストより、桜美林大学大学院の方が安いのですが。。。
さて、この本のp.90に書かれている名文!
「最近の傾向として、大学院修了後に別の大学院に入ったり、結局大学院をハシゴする社会人が増加していると指摘されている。」
なんと、1997年に出版された本において、既に、「大学院ハシゴ族」について言及されているとは!確かに、修士課程⇒博士課程ってのは、当然ありえる話なのだが、そうではないのだ。私のような「ジプシー型院生」のことを述べているのだ!アッパレといわざるを得ない。
③「価値ある挑戦 社会人よ、大学院へ行こう!」 中経出版
この本も1994年に出版された古い本なので、取り上げている大学院が「青山学院大学大学院」と「筑波大学大学院」に集中している。とはいえ、p.71では「修士号は国際的なビジネスマンの条件」として取り上げており、国連事務局における、経済的支出に対する日本人の少なさは、「博士・修士の学位取得者が外国比少ないこと」が理由として挙げている。
確かにそうなのかもしれない。日本社会は学士で十分だし、逆に、文系で修士とかとっても邪魔なだけ。博士だと、高学歴ワーキングプアとなってしまう確率が高いから・・・
これら3冊の本、色々評価はあるだろうが、私自身、「未だ手放していない」ということが、その本の価値を証明していると思っている。図書館においてあるかもしれないので、興味のある方は読んでみてくださいな。
そこには、当時気がつかなかった、あるいは、気がついていたが気にも留めなかった記述があった。
①「学歴ロンダリング」 光文社
私の大嫌いな「学歴ロンダリング」という言葉。だから、奥にしまっておいたのだが、ちょっと、読み直してみた。すると、p.39に「逆学歴ロンダリング」という言葉があった。内容は、「学歴ロンダリング」とは逆に、相対的に大学よりも格下の大学院に進学することだそうな。一方で、大学と大学院が同じ場合は「内部進学」らしい。
ちょっと違うな・・・
例えば、私の場合、通信制の産能大学(現産業能率大学)から通学制の産業能率大学大学院に進学したけど、内部進学といった感じは皆無であった。推薦もなければ、入試情報もなし。同じ大学でも、内部進学っぽくないケースもある。しかし、この内部進学という言葉を「ロンダリング本」で取り上げたのは立派である。
また、最初の通学制の大学と産業能率大学大学院、明星大学大学院、武蔵野大学大学院を比較した場合、偏差値的に言えば、3つの大学院は「格下」となってしまう。でも、自分自身、3つの大学院で学んだことより、最初の大学で学んだことが劣っているとは、全然思っていない。こんなことに対して、真剣に「逆学歴ロンダ」と名付けることの方が愚かしい・・・
なら、早稲田大出身者が慶應の大学院に進学したら何と呼ぶのか?この答えが出ない時点で、この本に書かれていることは、MECEではないと証明できる。その場の雰囲気だけで、造語してしまうのは、言葉遊びに過ぎない。
あるいは、私のように、大学の偏差値に影響されず、自由に大学院を渡りあるく人間を何と呼ぶのか?その答えはこの本には存在しない。
だが、東大大学院を目指している人には「おもしろ、おかしく」読める1冊なのかもしれない。ちなみに・・・私も「おもしろ、おかしく」読ませていただいた(笑)。「学歴ロンダリング」とか言っているものの、この本の筆者たちは、確かに東大大学院を修了している。その点については、「さすが!」と賞賛してしまう。動機はともあれ、大学院で学んだ経験は、何ものにも代えがたい「成果」であり、それを否定することは、私にはできない所業である。
②「社会人のための大学院案内」 PHP研究所
山田礼子先生の本である。私が、一時期、桜美林大学大学院に行きたく思ったのも、山田先生の講義があるからであった。無論、舘先生や岩永先生他、私の研究分野にかぶっている先生方が充実しているのも理由である。しかし、主に経済的理由を中心とした、諸々の事情により断念にいたる。何せ、桜美林大学大学院の2年間の費用で、放送大学大学院が5回修了できるのだから・・・
とはいえ、産能MBAでかかったコストより、桜美林大学大学院の方が安いのですが。。。
さて、この本のp.90に書かれている名文!
「最近の傾向として、大学院修了後に別の大学院に入ったり、結局大学院をハシゴする社会人が増加していると指摘されている。」
なんと、1997年に出版された本において、既に、「大学院ハシゴ族」について言及されているとは!確かに、修士課程⇒博士課程ってのは、当然ありえる話なのだが、そうではないのだ。私のような「ジプシー型院生」のことを述べているのだ!アッパレといわざるを得ない。
③「価値ある挑戦 社会人よ、大学院へ行こう!」 中経出版
この本も1994年に出版された古い本なので、取り上げている大学院が「青山学院大学大学院」と「筑波大学大学院」に集中している。とはいえ、p.71では「修士号は国際的なビジネスマンの条件」として取り上げており、国連事務局における、経済的支出に対する日本人の少なさは、「博士・修士の学位取得者が外国比少ないこと」が理由として挙げている。
確かにそうなのかもしれない。日本社会は学士で十分だし、逆に、文系で修士とかとっても邪魔なだけ。博士だと、高学歴ワーキングプアとなってしまう確率が高いから・・・
これら3冊の本、色々評価はあるだろうが、私自身、「未だ手放していない」ということが、その本の価値を証明していると思っている。図書館においてあるかもしれないので、興味のある方は読んでみてくださいな。