生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と19の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

明星つながり!

2012年03月03日 23時06分47秒 | 明星大学大学院
放送大学からの郵便物に機関紙の「ON AIR」も含まれていた。

放送大学通信オン・エアを風呂に入ってパラパラめくっていると、どこぞでお会いしたことのある先生の写真が・・・そうそう、この先生は明星大学大学院でお目にかかったのを思い出した。

確か、授業か何かで特別に出席されており、私の隣に座っていて、わが指導教官に指導を受けていたような思い出がある。

そもそも、放送大学で教授をしているこの先生自身、明星の修了生である。ここが、本学の非常にすばらしいところなのだが、色々な方々が授業に飛び入りで参加するし、それを許容する空気があるのだ。

博士後期課程の学生はすべての授業を聴講することができる。自分の指導教官だけでなく、ちょっと受けてみたいと思う講義だけ参加できる。べったり3日間いることもあれば、1日だけ、あるいは1コマだけというのもある。

博士課程の学生だけでなく、学部の学生が一緒に受講していることもある。あるいは、既に先生と呼ばれる立場の方が、オブザーバーとして聴講することもある。

本当に自由であり、その校風は、私が所属した大学・大学院の中でもピカイチだと感じている。きっと、修了した今でも、SCに行って顔見知りの先生に「受講させていただけませんか?」とお願いすれば、ウエルカムと言ってもらえる気がする。そんな校風。

湯船につかりながら、そんなことを思い出していた。やはり、私は心底明星に行ってよかったと思っている。
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生きるとはまなぶこと (放送大学学歌より)

2012年03月03日 21時31分38秒 | ちょっと立ち止まって・・・
放送大学の「博物館経営・情報論」の課題。

じっくり学ぶはずだったのだが、目の前に課題がある以上、それを完成させたいという思いに苛まれる。

人とはそういったもの。取り立てて課題がなければ、そのまま、現状維持の「易い生活」を慣性の法則のごとく続けててしまう。「忙しいから」「疲れているから」「お金がないから」「時間がないから」・・・できない理由はいくらでも作り出すことができる。それほど、人とは「小賢しい動物」なのである。

現在の自分に必要な学びを見つけだせないうちに、人生という砂時計は刻一刻と残りの砂を減らしてゆく。今朝、私の伯父さんが天国に召された。人の生と死は常に隣り合わせであり、死は例外を認めない。辛いことなのだが、人として生まれたからには受け入れなければならない摂理である。

「必ず死ぬのなら学びは必要ない」と思うのなら、そのような思想も尊重されるべきであろう。しかし、少なくとも、私のブログをたずねてくれる同志には、そのような輩はいないものと信じている。死ぬからこそ、その死の訪れるときまで、そう、それこそ生涯にピリオドが打たれるまで学び続けるからこそ、「生涯学習」なのである。

「命の始まりから命の終わりまで学び続ける」

人として生きた証として、ただ、ひたすら、己を信じ、師を信じ、友を信じ、学び続ける。残念ながら、私は学ぶこと以外に人が人として生きてゆくすべを知らない。だから学ぶことしか出来ない。

>生きるとはまなぶこと

放送大学学歌のフレーズである。まさに、「生きる」とは「まなぶこと」であり、学び抜きの人生は、ただ単なる時間の消費なのかもしれない。それこそ、人生という時間に「魂」を入れることが、「生涯学習」なのである。

すべての人に受け入れてほしいとは思わない。しかし、このことが私の中心であり、揺るがない思いの軸なのである。
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「博物館経営・情報論」の課題完成~♪

2012年03月03日 20時58分39秒 | 放送大学
早速、課題の作成に取り掛かり、先ほど完成しました!

今期はこの1科目。あとは、提出期間を待って、ネットで提出するだけです。
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「生涯学習とは何か」を理解する上で珠玉の1冊。

2012年03月03日 10時39分22秒 | 生涯学習
学習するモチベーションがあがらないので、今は読書でリハビリを行っている。

拙ブログの記事では、「学位なんてポンポン取れるんだ、楽勝、楽勝!」って感じで見えるかもしれないが、意外と、体力や精神力を侵食し、修了が確定した後、一時は前向きなことは何もできず、ただ、ひたすら、朝も、昼も、夜も眠るだけって生活だった。

その期間の長短はあるかもしれぬが、社会人で大学院を修了した方なら、きっと、経験があることだろう。いわゆる、「燃え尽き症候群」ってものである。要は疲労・過労・精神的負担等により、消耗してしまったのである。車で言えば、「ガソリンがエンプティ」なのである。

3回目ともなると、その復旧作業も手馴れたもので、読むことがリカバーの手段であることと認識している。既に100冊ほど読んだと思うが、やはり、一番読み応えのある本は「行政関係者のための新訂入門・生涯学習政策」であろう。

なぜ、「行政関係者のための」という一文をいれるのか。行政関係者だけでなく、生涯学習とは何かを知りたい人は、絶対に読むべき必読書である。行政関係者の方々は「バイブル」と呼んでいるそうだが、私にとっても、「バイブル」であり、この「生涯学習の部屋」の理念も、この本を読めば理解いただけると思っている。

そもそも、私の目指す「生涯学習」と多くの方々が思い描く「生涯学習」とは、かなりのズレが発生しているはずである。それは、私の生涯学習は、途中でHRM(人的資源管理)というMBA的要素が深く関与したため、日本的ではなく、西欧的な生涯学習に立脚しているからである。

>「心の豊かさ」や「生きがい」などを特に重視する「生涯学習への日本的アプローチ」は、
>生涯学習に関するさまざまな概念について、ある種の混乱をもたらしている場合もありま
>す・・・このような部分が強調されるあまり、「心の豊かさや生きがいを目的とする学習
>活動のみが生涯学習に含まれ、経済的利益や職業技能の向上などを目的とする学習活動は
>生涯学習の一部ではない」という誤解をしている人がまだ多いようです。(P30)

誤解していませんか?

>ヨーロッパでは最近、行政による「生涯学習の振興」には次の3つのモデルがあると言わ
>れているようです。
>①西欧モデル(労働者の継続教育訓練の推進が中心)
>②途上国モデル(基礎教育の普及率・修了率の低さを補うことが中心)
>③日本モデル(精神的な面での生活の質の向上にも重点を置くもの) (P32)

どれが良いとは断言できませんが、西欧と日本では生涯学習に対する意味あいがズレていることがわかります。

>「生涯学習国際セミナー」が開催され・・・フランスからの参加者は「フランスでは、『教育
>や学習は、つらいもの』というイメージがあり、日本人の『学習を楽しむ』という発送は、
>我々には驚くべきものだ」と述べていました。 (P27)

そう、生涯学習は辛いのです。楽して資格や学位が取れるわけがないのと同様、多くの生涯学習は辛いものなのです。その点が、日本モデルを学習してきた方と、私の目指す生涯学習の「違和感」であり、「仕事を抱えるホワイトカラーや社会人こそ、生涯学習を目指すべき」という主張に他ならないのです。

体重が減り、胃にポリープができ、頭髪が抜ける・・・命を削って学んでいるのがわかるほど辛い学習。だから、よく「逃げたい、放り出したい・・・」といった泣き言も出てくる。でも、西欧の生涯学習ならそれが当然なのです。みんな必死で時間を捻出し、コストを投下し、喰らいついて学習する。無論、それは結果を評価する体制がある程度整っているからなのですが、まあ、その点を言い出すと、評価体制が整うまで何も学習しないという選択につながるので、不問としておきましょう。

一般の方が読むと、「えぇ~!」ってことばかり書かれていますが、私にはよく腑に落ちます。なんせ、学校教育も生涯学習に包含されるというコンセプトですから。私の恩師も「生涯学習は何でもあり」と言っていましたが、偶発的学習も含めて生涯学習とする日本では、「何でもあり」という考え方も首肯できます。

この本を書かれた岡本先生は文部省の生涯学習企画官、学習情報課長という経歴に加え、文化庁の著作権課長も歴任しておられ、著作権のオーソリティとしても著名な先生です。

この本だけでなく、講談社現代新書にも「日本を滅ぼす教育論議」という名著もあります。
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「大学院に通い仕事の壁克服」

2012年03月03日 08時44分56秒 | ちょっと立ち止まって・・・
2012年2月27日の日経新聞朝刊15面に掲載されていた記事である。

>通勤しながら慈悲で大学院に通い、仕事上の壁を乗り越えようとする社会人が最近目立つ

このような文章から始まる紙面。文部科学省のデータも掲載されており、2011年5月1日の時点では、大学院生272,566人中、社会人大学院生は54,994人であり、約2割を占めているとのこと。以前、拙ブログにもコメントをいただいた「社会人&学生のための大学・大学院選び」(リクルート)の乾喜一郎編集長の分析も掲載されている。

通学制の大学院だと2年間でざっと200万円の学費がかかるそうだ。加えて、平日の夜間と土日を勉強に充てることになるため、家族の理解が必要とのことだ。まったくそのとおりである。家族の理解なくして、院生は務まらないし、家族の理解を得るためのネゴシエーションすらできないなら、そもそも院生になる資格はないのかもしれない。一番身近な味方すら説得できないなら、大学院でのディベートに対応することは、なおさら不可能だろうから。

できれば、職場の理解も得てほしい。通信制の大学院ですら、SCや研究指導のために仕事にしわ寄せがくるケースがある。ましてや、通学制の大学院で職場に知られず、ゴールまで到達するのは並大抵のことではない。「人付き合いの悪いやつ・・・」と周囲の信頼を失ってしまい、何のために大学院に行くのかわからない。本末転倒である。

とはいえ、5万人以上も社会人大学院生がいるのだから、大学院を修了したくらいで転職できるとか、給与倍増なんて考えは持たないほうが無難である。あくまでも、今ある仕事の問題解決や自分のスキルアップ、あるいは、私のように生涯学習orリカレント教育の一環と考えるくらいがちょうどいい。

「200万円+2年間という時間も投下したんだから、それに見合う見返りを!」な~んて、天狗になってしまうと、自分の首を絞めることとなる。5万人はあくまでも社会人大学院生の在籍者。本当の在籍者が30万人弱なのだから、過去に大学院を修了した人数を考えると、数百万人はいるんじゃないかしら?こんなにホルダーがいるとなると、修士なんぞ希少価値は全くありはしない。ましてや、今の日本では大学院の学歴が評価される風潮にないため、よほどの幸運でもないかぎり、学位単体が評価の対象となることはありえない。

とはいえ、仕事に直結した分野の修士や博士を取得することで、見事に自分の新しいキャリアを切り開いた方もいるのは事実。看護専門学校を修了し、努力の末に大学院に進学し、現在、教授として働いている方も本当にいるのです。

「努力の芽がでる」「努力の花が咲く」「努力が実を結ぶ」といった農耕民族特有の言い回しがありますが、努力の種を撒かない限り、芽も出ないし、花も咲かないし、実を結ぶこともないのです。

だから、損得抜きで、学びというものと対峙してほしい。そんな思いから、お手本にはならないものの、44歳のオヤジが自分の学びの醜態をさらけだす。
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放送大学のテキストが到着!

2012年03月03日 08時36分51秒 | 放送大学
今回の履修科目は1科目。

子どもも私立高校に行くかもしれなかったし、大学院との二重学籍生活に突入することもあり、できるだけ、学費を圧縮しなければ・・・と思った結果です。あと、最近、無茶をしすぎて、学びが雑になっていたので、少ない科目を真剣に学ぼうという方針もあり、極力、履修科目を圧縮しました。

なんせ、入学した時点で卒業が確定する上、大学評価・学位授与機構の学士の試験も受験できないため、無闇に単位を増やす必要性がありません。

加えて、放送大学の単位認定試験では、毎回、真剣に学習していない状況で受験していることを常々心苦しく思っており、気を引き締めて学びたいと反省した次第です。

ここまで言い切った以上は、A以上の成績で単位を修得する旨、ここに宣言したいと思います(笑)。

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明星大学大学院からの郵便物!

2012年03月03日 08時27分50秒 | 明星大学大学院
明星大学大学院から紀要が届きました!

昨年修了した方々の論文がまとめられたものです。修士だけでなく、博士の方々の論文の概要も掲載されていました。そう、明星大学大学院では通信の博士後期課程があり、既に何名もの博士が誕生しております。

私も学びなおしたいと思っていますが、今は放送大学大学院と放送大学教養学部に専念したいと思っています。

さて、この紀要を送っていただけるサービスですが、今回で終了となるようです。やはり、既に、数百名にも及ぶ修了生がいるわけで、送付するだけでもかなりのコストとなります。やむをえないとは思いますが、有料でもかまわないので、入手できないものかと考えています。
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