「何のために学ぶか?」
この問いかけに対する解答は非常に難しいものだろう。しかし、「どのように学ぶか?」という点については、私は基本的なスタンスを持ち合わせている。
「できるだけ対面で学ぶこと」
それが私の基本的な学びのスタンスである。
産能大学の通信教育課程で学習する中で、私は、この結論に行き着いた。ただ、単位を取得して、学位を得るだけなら、わざわざ既に大学を卒業しているのだから、再入学する必要はない。「学士」は1つでも、2つでも、3つでも、「学士」以上のなにものにも変わらないのだから。
それこそ、自分の好きな科目だけ科目履修するほうがコスト的にもお得であろう。
にもかかわらず、大学に再入学したのは、正科生でなければ受講できなかったカウンセリング演習を受けたいという思いもあった。そして、カウンセリング演習Ⅰ・Ⅱだけでなく、多くの科目をスクーリングで受講したことにより、普通のサラリーマンでは、決して学ぶことのできなかったであろう、アカデミックにおいて、新しい分野の知識を習得するという機会に恵まれた。
産能の大学院は夜間の大学院だったので、すべて対面の授業だった。先生も実務家の方々が多くて、自分の意見を試すのにベストの環境だった。日本を代表する企業の経営陣と対等に意見を交える経験をすることで、たとえ自分が平凡なサラリーマンでも、誰であろうと物怖じせず、そして互角に、渡り合うことができるようになった。
明星、武蔵野と通信が続いたが、可能な限りSCを履修するようにした。それは、安易な手段で学位を目指すのではなく、つとめて、困難な途を選択し、己の能力を磨きたいが故である。
その結果、数多くの素晴らしい師に恵まれ、複数の専門分野を開拓することができた。また、多くの友を得ることができた。
仕事上、あるいはキャリアを切り開くために、学士や修士の学位が必要となることもあるだろう。その場合は、可能な限り、効果的に学位を目指すこともやむをえないと思っている。
しかし、既に学位を保有している上で、縦ではなく、横の学位を目指すのなら、「効率的」とか「楽して」とか「省エネで」といった、易い途を選択するようなことがあってはならない。それを選ぶのは「学位マニア」であり、その瞬間から、「生涯学習の徒」ではなくなってしまう。
通信制大学や通信制大学院だからといって、通信にのみ頼っていると、本来見つけなければならない「何か」を見落としてしまうだろう。そう、人間、すべてひとりで学びつくせるほど、高性能に生まれてきてはいないのだから。だから、メンターというか、師というか、案内人というか・・・導いてくれる導師が必要なのである。
自戒を込めて言うのだが、深く学びたいのなら、決して安易な途を選択してはならない。そして、安易な途を選ぶために高い授業料を払って学校に入学したのか?ということを常に問いかけてほしい。学位は自分の履歴書の飾り道具ではない。学位とは自分の学びの履歴であり、同じ学位であったとしても、その学びが深いほど、より輝きを増すものだと信じている。
この問いかけに対する解答は非常に難しいものだろう。しかし、「どのように学ぶか?」という点については、私は基本的なスタンスを持ち合わせている。
「できるだけ対面で学ぶこと」
それが私の基本的な学びのスタンスである。
産能大学の通信教育課程で学習する中で、私は、この結論に行き着いた。ただ、単位を取得して、学位を得るだけなら、わざわざ既に大学を卒業しているのだから、再入学する必要はない。「学士」は1つでも、2つでも、3つでも、「学士」以上のなにものにも変わらないのだから。
それこそ、自分の好きな科目だけ科目履修するほうがコスト的にもお得であろう。
にもかかわらず、大学に再入学したのは、正科生でなければ受講できなかったカウンセリング演習を受けたいという思いもあった。そして、カウンセリング演習Ⅰ・Ⅱだけでなく、多くの科目をスクーリングで受講したことにより、普通のサラリーマンでは、決して学ぶことのできなかったであろう、アカデミックにおいて、新しい分野の知識を習得するという機会に恵まれた。
産能の大学院は夜間の大学院だったので、すべて対面の授業だった。先生も実務家の方々が多くて、自分の意見を試すのにベストの環境だった。日本を代表する企業の経営陣と対等に意見を交える経験をすることで、たとえ自分が平凡なサラリーマンでも、誰であろうと物怖じせず、そして互角に、渡り合うことができるようになった。
明星、武蔵野と通信が続いたが、可能な限りSCを履修するようにした。それは、安易な手段で学位を目指すのではなく、つとめて、困難な途を選択し、己の能力を磨きたいが故である。
その結果、数多くの素晴らしい師に恵まれ、複数の専門分野を開拓することができた。また、多くの友を得ることができた。
仕事上、あるいはキャリアを切り開くために、学士や修士の学位が必要となることもあるだろう。その場合は、可能な限り、効果的に学位を目指すこともやむをえないと思っている。
しかし、既に学位を保有している上で、縦ではなく、横の学位を目指すのなら、「効率的」とか「楽して」とか「省エネで」といった、易い途を選択するようなことがあってはならない。それを選ぶのは「学位マニア」であり、その瞬間から、「生涯学習の徒」ではなくなってしまう。
通信制大学や通信制大学院だからといって、通信にのみ頼っていると、本来見つけなければならない「何か」を見落としてしまうだろう。そう、人間、すべてひとりで学びつくせるほど、高性能に生まれてきてはいないのだから。だから、メンターというか、師というか、案内人というか・・・導いてくれる導師が必要なのである。
自戒を込めて言うのだが、深く学びたいのなら、決して安易な途を選択してはならない。そして、安易な途を選ぶために高い授業料を払って学校に入学したのか?ということを常に問いかけてほしい。学位は自分の履歴書の飾り道具ではない。学位とは自分の学びの履歴であり、同じ学位であったとしても、その学びが深いほど、より輝きを増すものだと信じている。