3月5日の産能通教出身で各大学大学院MBA修了生の集まりにて・・・
その中の1名は大学院修士課程を修了し、博士課程へと進学していて順当な縦のキャリア形成なのだが、私を含め、横のキャリア形成に走ったつわものが複数いたのだった。
MBA⇒デジハリ大学院修了、MBA⇒高野山大学院(密教学)入学ってキャリア。無論、私のようにMBA⇒教育学修士⇒人間学修士⇒放送大学院入学って横に広げすぎの仲間はいなかったが、縦じゃなく横って意外と人気であることがわかった。
とふっておいて・・・本日、新しくリンクさせていただいた「と~ま君」は武蔵野大学大学院の同期であり、4月から城西国際大学大学院の博士課程に進学される。
「還暦」なのですよ!還暦!それでも、コツコツ生涯学習に取り組まれる姿は、天晴れなこと限りなし。
普通、できない芸当である。このような姿を見ていると、私も「まだ16年も余裕があるじゃん!」って気になってしまう。そうなんだよな~生涯学習って生涯を通じて取り組む学習なのだから、30でも40でも、50でも60でも、あるいは70でも80でもかまわないのだ。学びたいという気持ちを持った瞬間が学習適齢期なのだから。
そして、別に大学院とか大学でなくてもかまわない。昨日、『貧困の現場』(東海林智著 毎日新聞社 2008年)という本を読んだのだが、やはり、軍資金がなければ学校に行きたくても行けないという現実があるのだから。この本にはアルバイトを掛け持ちして定時制高校に通う女子高生の話も含まれていた。p.84に書かれた文章は以下の通りである。
>「遊びたいとか、自分の時間が欲しいとか思わない?」と聞くと、「学校の仲間もみんな忙しく
>働いている。特に遊びたいとかはないですね。ちゃんとした生活がしたいかな」と答えた。
>「ちゃんとした生活って?」と更に問うと、「夜に勉強したり、散らかった部屋や洗濯物を
>きちんと畳んだり・・・かな」と恥ずかしそうに答えた。彼女が普段、どれほど厳しい中で
>働き、生活しているかが伺われる。なんてことのない、ありふれた日常を何より望んでいるのだ。
お金は大切であり、借金してまで大学院や大学に行くことは、よほどの夢や計画がない限りお勧めしない。しかし大切なお金だからこそ、給与の何分の1かは積み立てておいて学びに投資したい。
資格や学位は保険にはならない。それが私の自論である。しかし、全く役に立たないものだとも思っていない。「無用の用」というものであろうか?今、この瞬間には無用なのであるが、長い人生の中では必用になるかもしれない対象。そして、そのやっかいなことは、資格も学位も一朝一夕で取得するのが困難なのである。必用と思われた瞬間に出せなければ、それは人生のワンチャンスを逃したこととなる。とはいえ、必用と思われる瞬間は永遠に来ないかもしれないのだから、どうしようもない。
どうしようもないから諦めるか、それともどうしようもないからとりあえず学び始めるか。
私は後者。とりあえず学んでいるうちに、資格も学位も、それなりに集まってきただけ。そして、予想通り、それらを使うチャンスはめぐってこない。人生そんなもの。でも、後悔はしていない。それが諸行無常であり、人間としての宿命だということを学んだから。
その中の1名は大学院修士課程を修了し、博士課程へと進学していて順当な縦のキャリア形成なのだが、私を含め、横のキャリア形成に走ったつわものが複数いたのだった。
MBA⇒デジハリ大学院修了、MBA⇒高野山大学院(密教学)入学ってキャリア。無論、私のようにMBA⇒教育学修士⇒人間学修士⇒放送大学院入学って横に広げすぎの仲間はいなかったが、縦じゃなく横って意外と人気であることがわかった。
とふっておいて・・・本日、新しくリンクさせていただいた「と~ま君」は武蔵野大学大学院の同期であり、4月から城西国際大学大学院の博士課程に進学される。
「還暦」なのですよ!還暦!それでも、コツコツ生涯学習に取り組まれる姿は、天晴れなこと限りなし。
普通、できない芸当である。このような姿を見ていると、私も「まだ16年も余裕があるじゃん!」って気になってしまう。そうなんだよな~生涯学習って生涯を通じて取り組む学習なのだから、30でも40でも、50でも60でも、あるいは70でも80でもかまわないのだ。学びたいという気持ちを持った瞬間が学習適齢期なのだから。
そして、別に大学院とか大学でなくてもかまわない。昨日、『貧困の現場』(東海林智著 毎日新聞社 2008年)という本を読んだのだが、やはり、軍資金がなければ学校に行きたくても行けないという現実があるのだから。この本にはアルバイトを掛け持ちして定時制高校に通う女子高生の話も含まれていた。p.84に書かれた文章は以下の通りである。
>「遊びたいとか、自分の時間が欲しいとか思わない?」と聞くと、「学校の仲間もみんな忙しく
>働いている。特に遊びたいとかはないですね。ちゃんとした生活がしたいかな」と答えた。
>「ちゃんとした生活って?」と更に問うと、「夜に勉強したり、散らかった部屋や洗濯物を
>きちんと畳んだり・・・かな」と恥ずかしそうに答えた。彼女が普段、どれほど厳しい中で
>働き、生活しているかが伺われる。なんてことのない、ありふれた日常を何より望んでいるのだ。
お金は大切であり、借金してまで大学院や大学に行くことは、よほどの夢や計画がない限りお勧めしない。しかし大切なお金だからこそ、給与の何分の1かは積み立てておいて学びに投資したい。
資格や学位は保険にはならない。それが私の自論である。しかし、全く役に立たないものだとも思っていない。「無用の用」というものであろうか?今、この瞬間には無用なのであるが、長い人生の中では必用になるかもしれない対象。そして、そのやっかいなことは、資格も学位も一朝一夕で取得するのが困難なのである。必用と思われた瞬間に出せなければ、それは人生のワンチャンスを逃したこととなる。とはいえ、必用と思われる瞬間は永遠に来ないかもしれないのだから、どうしようもない。
どうしようもないから諦めるか、それともどうしようもないからとりあえず学び始めるか。
私は後者。とりあえず学んでいるうちに、資格も学位も、それなりに集まってきただけ。そして、予想通り、それらを使うチャンスはめぐってこない。人生そんなもの。でも、後悔はしていない。それが諸行無常であり、人間としての宿命だということを学んだから。