部屋の整理が今日の課題。
といいつつ、3時間ほど昼寝をしてしまい、ぐうたらな生活を送っている。学校の先生でもないため、そんなに日々学習・研究・勉強漬けの生活を送ることはできない。なんせ、本業は研究者ではなく、銀行員なのだから。
机の上で山積みになっていた学位記を並べてみると画像のようになる。
上段左から産能大学院(修士)、明星大学院(修士)、武蔵野大学院(修士)、産能大学(学士)であり、下段が機構の学士の学位10枚である。
「3つの修士と12の学士」のはずだが、1つは経済学士であり、学位ではなく称号である。
日本の「学位」の歴史をざっと言うと、戦前は博士のみ学位。戦後(1953年)になって修士も学位。1991年から学士も学位となり、2005年からは短期大学士も学位となった。そして、1991年に学位授与機構もスタートし、学位の授与を開始する。他には修士(専門職)なども加わったのが今の学位制度のざっくりしたところである。
故に、1990年に経済学部を卒業した際は、卒業証書に「経済学士の称号」が与えられただけであり、学位は未保有だったわけだ。
初めて学位を手にしたのが「産能大学」を卒業した1996年のことである。それから怒涛の学位取得が始まる。資格の道を捨て、そのエネルギーが学位取得に置き換わっただけかもしれないが、産能大学院2年間+明星大学院2年間+武蔵野大学院2年間=6年間の学びで、3修士10学士を取得したこととなる。
そう、大学院とうい高度専門教育機関で学んでいたのは、たった6年間だけ。産能大学の2年間を加えたとしても8年間の学びに過ぎないのである。
仕事をしながら、家庭を持ちながら、日常生活もさほど切り詰めず、できる学習の分量なんて、たかがしれている。しかし、そんなちっぽけな学習の差が、わずか6年間で3修士10学士となるのだから、不思議なものである。
勝手にたとえるなら、3打席で1本ヒットを打てば首位打者も狙えるが、4打席で1本のヒットを打つなら戦力外通告されるのと同じようなものだろうか。わずか1打席の差だが、その積み重ねが期間を重ねるごとに「実績」として大きくなってくる。
考えようによれば、この3修士+11学士=14の学位は、日本でもトップクラスの学位数と考えている。理由は簡単。学士が学位になって、まだ、21年しか経過していないからである。学士入学を使うと1年で学位が取得できる通信制大学も数校あるのだが、概ね2年が一般的である。ストレートにすべての大学を2年で卒業しても、10学士が限界となってくる。そして、学士を目指している機関は機構の学位は申請できない。
無論、戦後から、修士や博士を取得し続けた方がいれば、太刀打ちできないのだが、よほどの生涯学習マニアでなければ、このような愚行に身を投じることはないだろう。
でも、愚行は愚行なのだが、その愚行の履歴として、学位記が残っている。学位をたくさん集めても給与がアップするわけでも、転職のお誘いが増えるわけでもない。少なくとも、今の日本の社会では、修士や学士を重ねても市場価値があがるシステムにはなっていないし、むしろ、学歴社会を是正せよという風潮なのだから。
ただ、運命に身をゆだね、研究を積み重ねていくだけである。それこそ、神の見えざる手に導かれ、思い至った研究テーマと、受け入れてくれる学校と、偶然にも出会った指導教官とともに、一歩ずつ、前に進んでいくだけである。それが、私が、今、ここに生きている証であり、生かされている意味であることを信じて。
といいつつ、3時間ほど昼寝をしてしまい、ぐうたらな生活を送っている。学校の先生でもないため、そんなに日々学習・研究・勉強漬けの生活を送ることはできない。なんせ、本業は研究者ではなく、銀行員なのだから。
机の上で山積みになっていた学位記を並べてみると画像のようになる。
上段左から産能大学院(修士)、明星大学院(修士)、武蔵野大学院(修士)、産能大学(学士)であり、下段が機構の学士の学位10枚である。
「3つの修士と12の学士」のはずだが、1つは経済学士であり、学位ではなく称号である。
日本の「学位」の歴史をざっと言うと、戦前は博士のみ学位。戦後(1953年)になって修士も学位。1991年から学士も学位となり、2005年からは短期大学士も学位となった。そして、1991年に学位授与機構もスタートし、学位の授与を開始する。他には修士(専門職)なども加わったのが今の学位制度のざっくりしたところである。
故に、1990年に経済学部を卒業した際は、卒業証書に「経済学士の称号」が与えられただけであり、学位は未保有だったわけだ。
初めて学位を手にしたのが「産能大学」を卒業した1996年のことである。それから怒涛の学位取得が始まる。資格の道を捨て、そのエネルギーが学位取得に置き換わっただけかもしれないが、産能大学院2年間+明星大学院2年間+武蔵野大学院2年間=6年間の学びで、3修士10学士を取得したこととなる。
そう、大学院とうい高度専門教育機関で学んでいたのは、たった6年間だけ。産能大学の2年間を加えたとしても8年間の学びに過ぎないのである。
仕事をしながら、家庭を持ちながら、日常生活もさほど切り詰めず、できる学習の分量なんて、たかがしれている。しかし、そんなちっぽけな学習の差が、わずか6年間で3修士10学士となるのだから、不思議なものである。
勝手にたとえるなら、3打席で1本ヒットを打てば首位打者も狙えるが、4打席で1本のヒットを打つなら戦力外通告されるのと同じようなものだろうか。わずか1打席の差だが、その積み重ねが期間を重ねるごとに「実績」として大きくなってくる。
考えようによれば、この3修士+11学士=14の学位は、日本でもトップクラスの学位数と考えている。理由は簡単。学士が学位になって、まだ、21年しか経過していないからである。学士入学を使うと1年で学位が取得できる通信制大学も数校あるのだが、概ね2年が一般的である。ストレートにすべての大学を2年で卒業しても、10学士が限界となってくる。そして、学士を目指している機関は機構の学位は申請できない。
無論、戦後から、修士や博士を取得し続けた方がいれば、太刀打ちできないのだが、よほどの生涯学習マニアでなければ、このような愚行に身を投じることはないだろう。
でも、愚行は愚行なのだが、その愚行の履歴として、学位記が残っている。学位をたくさん集めても給与がアップするわけでも、転職のお誘いが増えるわけでもない。少なくとも、今の日本の社会では、修士や学士を重ねても市場価値があがるシステムにはなっていないし、むしろ、学歴社会を是正せよという風潮なのだから。
ただ、運命に身をゆだね、研究を積み重ねていくだけである。それこそ、神の見えざる手に導かれ、思い至った研究テーマと、受け入れてくれる学校と、偶然にも出会った指導教官とともに、一歩ずつ、前に進んでいくだけである。それが、私が、今、ここに生きている証であり、生かされている意味であることを信じて。