本日の日経新聞13面にあった『通信制大で「一念発起」』という記事・・・
まず、初っ端なに書かれている通信制大学の定義?について「ほとんどの課程を通信添削などの遠隔教育で履修できる大学。」と書かれている。これに違和感を持つ通教生は山のようにいるのではないだろうか。
主な通信制大学の概要として取り上げているのが「放送大」「サイバー大」「ビジネス・ブレークスルー大」なので、この大学に限定すれば、完全ネット卒業もできる大学もあるので許容できる表現かもしれないが、「放送大学」も面接授業の履修が必要である。他の大学では概ね30単位ぐらいのスクーリングが必要となるだが、この記事だけでは、到底、その制約を理解することは不可能となっている。
サイバー大の取得可能学位に「学士(IT総合学)」「学士(世界遺産学)」を併記しているのも気になる。たしか、世界遺産学部の募集を停止したんじゃなかったっけ?それにもかかわらず、「取得可能学位」として記載するのは、読者に対して誠意のある記事といえるだろうか(当然、在学生は取得可能だろうが)。
「時間に縛られず学位取得」がサブタイトルなので、スクーリングなしで卒業できる「サイバー大」と「BBT大」が取り上げられたのだろうが、わずか、在籍1,036人と518人の大学であり、約25万人いる通信制大学群において、この2校のウエイトはあまりにも低すぎる。そのわずかなウエイトを以って、通信制大学を語ってしまっていいのだろうか。
放送大学岡部学長のコメントも掲載されており、「互いの顔が見えないので、試験の点数だけで冷徹に評価する。単位をとるのは通学型の大学より厳しい」と述べられている。これも、個人的にはかなりの違和感を覚えた。とはいえ、学長のコメントの前に、「放送大学は・・・学部学生は8万人超と隠れたマンモス大学だ。入学後10年以内に4割が卒業するという。」とうい記載があり、たった4割しか卒業できないのか・・・と思うと、学長の記事も首肯せざるを得ないのだろう。
通学型の大学で、10年かけても4割しか卒業できない大学はありえないだろうし、そんな大学があったら、経営が成り立たないだろう。学生が集まらないだろうから。そう考えると、「マークシート式」の、情け・温情なしの放送大学の試験は、合格点に至らない限り、絶対に合格しない。論述式は、結構、温情配点もあるかもしれないが、先の論述式の日本政治外交史の試験で、私も不可を頂戴している。
学位を取得することに特化するなら、このようなスクーリングゼロ、あるいは可能な限り少なくすることも意味のあることかもしれないが、どこぞの大学であったように、本人認証が十分なされなければ、別人の力を借りて成りすまして学位を取得する余地が残るだろう。そして、本人以外の第三者の力で取得されたかもしれない疑いの余地の残る学位が、一般の労働市場で通用するものなのだろうか。
それ以前に、先生との交流がないとすれば、一般の社会人向け通信教育と大学通信教育との違いは何なのだろうか。あるは、資格取得の専門学校と大学通信教育との違いは何なのだろうか。
これは私の個人的な思いであり、完全ネット対応の通信制大学は、その活用さえ誤らなければ、「距離的制約」を解決する上で、非常に有効な手段といえる。ただ、やはり放送大学等他の通信制大学のように、少しでいいから先生と学生が対面で学びぶ機会を残して欲しいと願っている。
まず、初っ端なに書かれている通信制大学の定義?について「ほとんどの課程を通信添削などの遠隔教育で履修できる大学。」と書かれている。これに違和感を持つ通教生は山のようにいるのではないだろうか。
主な通信制大学の概要として取り上げているのが「放送大」「サイバー大」「ビジネス・ブレークスルー大」なので、この大学に限定すれば、完全ネット卒業もできる大学もあるので許容できる表現かもしれないが、「放送大学」も面接授業の履修が必要である。他の大学では概ね30単位ぐらいのスクーリングが必要となるだが、この記事だけでは、到底、その制約を理解することは不可能となっている。
サイバー大の取得可能学位に「学士(IT総合学)」「学士(世界遺産学)」を併記しているのも気になる。たしか、世界遺産学部の募集を停止したんじゃなかったっけ?それにもかかわらず、「取得可能学位」として記載するのは、読者に対して誠意のある記事といえるだろうか(当然、在学生は取得可能だろうが)。
「時間に縛られず学位取得」がサブタイトルなので、スクーリングなしで卒業できる「サイバー大」と「BBT大」が取り上げられたのだろうが、わずか、在籍1,036人と518人の大学であり、約25万人いる通信制大学群において、この2校のウエイトはあまりにも低すぎる。そのわずかなウエイトを以って、通信制大学を語ってしまっていいのだろうか。
放送大学岡部学長のコメントも掲載されており、「互いの顔が見えないので、試験の点数だけで冷徹に評価する。単位をとるのは通学型の大学より厳しい」と述べられている。これも、個人的にはかなりの違和感を覚えた。とはいえ、学長のコメントの前に、「放送大学は・・・学部学生は8万人超と隠れたマンモス大学だ。入学後10年以内に4割が卒業するという。」とうい記載があり、たった4割しか卒業できないのか・・・と思うと、学長の記事も首肯せざるを得ないのだろう。
通学型の大学で、10年かけても4割しか卒業できない大学はありえないだろうし、そんな大学があったら、経営が成り立たないだろう。学生が集まらないだろうから。そう考えると、「マークシート式」の、情け・温情なしの放送大学の試験は、合格点に至らない限り、絶対に合格しない。論述式は、結構、温情配点もあるかもしれないが、先の論述式の日本政治外交史の試験で、私も不可を頂戴している。
学位を取得することに特化するなら、このようなスクーリングゼロ、あるいは可能な限り少なくすることも意味のあることかもしれないが、どこぞの大学であったように、本人認証が十分なされなければ、別人の力を借りて成りすまして学位を取得する余地が残るだろう。そして、本人以外の第三者の力で取得されたかもしれない疑いの余地の残る学位が、一般の労働市場で通用するものなのだろうか。
それ以前に、先生との交流がないとすれば、一般の社会人向け通信教育と大学通信教育との違いは何なのだろうか。あるは、資格取得の専門学校と大学通信教育との違いは何なのだろうか。
これは私の個人的な思いであり、完全ネット対応の通信制大学は、その活用さえ誤らなければ、「距離的制約」を解決する上で、非常に有効な手段といえる。ただ、やはり放送大学等他の通信制大学のように、少しでいいから先生と学生が対面で学びぶ機会を残して欲しいと願っている。