気が付いたら、今まで書き綴った記事が11,111件を突破していた!
それどころか、この記事が11,119件目となっている。思い返せば、よくここまで書き続けてきたものである。10年と3ヵ月。非常に長いようで、大変短いようにも思える。初期のころからお付き合いの方もいれば、最近知り合ったばかりの方もいる。ご縁とは、本当に不思議なものである。
11,111件ものくだらない記事を書き続けていると、時には、誰かの心に響く記事も書けてしまうこともある。本当に偶然なのだが、そのような記事が、誰かに届いてほしいと願いながら、「質より量」と言わんがばかりに更新し続けてきたのかもしれない。
そろそろ大学院生を続けていくことに精神的・経済的に限界を感じているので、今回の武蔵野でいったん院生を辞めるか、もう一回、放送大学大学院に行くのが精一杯かな・・・と思い始めている。
何故、こんなに苦しまねばならぬのか・・・レポート地獄をさまようあまり、自分で選択した自己責任の学びが、辛くて辛くて仕方がない。無論、その辛さの中で、己の知識や学習度合いは驚異的に進歩しているのだが、時に、涙が止まらないのである。「そこまでして学ぶ必要が本当にあるのか?」という自問自答である。
何度も、この苦しみを味わい、乗り越えてきたことで、短期間のうちにたぐいまれなる学習歴を得ることができた。しかし、それを活用することもなければ、嘘をついてまで隠しはしないものの、滅多なことがなければ自分からさらけ出すことも控えている。そのような学習歴を、何故求めてしまうのか、自分自身でも理解に苦しんでしまう。
今日も家族と買い物に行ったのだが、楽しいはずのショッピングの間も、折に触れ、レポートの構想を思いつき「帰ったら書き直そう!」と考えてしまうのだからどうしようもない。
今月で47歳となり、もう50歳に手の届きそうなところにまで生きながらえてしまった。なかなか、タイトな学習生活についていくことが難しくなりつつあるのである。
そんな弱気な自分を振り返るのだが、次に12,000件更新の際には、前向きで積極的な記事を書きたいものである。
それどころか、この記事が11,119件目となっている。思い返せば、よくここまで書き続けてきたものである。10年と3ヵ月。非常に長いようで、大変短いようにも思える。初期のころからお付き合いの方もいれば、最近知り合ったばかりの方もいる。ご縁とは、本当に不思議なものである。
11,111件ものくだらない記事を書き続けていると、時には、誰かの心に響く記事も書けてしまうこともある。本当に偶然なのだが、そのような記事が、誰かに届いてほしいと願いながら、「質より量」と言わんがばかりに更新し続けてきたのかもしれない。
そろそろ大学院生を続けていくことに精神的・経済的に限界を感じているので、今回の武蔵野でいったん院生を辞めるか、もう一回、放送大学大学院に行くのが精一杯かな・・・と思い始めている。
何故、こんなに苦しまねばならぬのか・・・レポート地獄をさまようあまり、自分で選択した自己責任の学びが、辛くて辛くて仕方がない。無論、その辛さの中で、己の知識や学習度合いは驚異的に進歩しているのだが、時に、涙が止まらないのである。「そこまでして学ぶ必要が本当にあるのか?」という自問自答である。
何度も、この苦しみを味わい、乗り越えてきたことで、短期間のうちにたぐいまれなる学習歴を得ることができた。しかし、それを活用することもなければ、嘘をついてまで隠しはしないものの、滅多なことがなければ自分からさらけ出すことも控えている。そのような学習歴を、何故求めてしまうのか、自分自身でも理解に苦しんでしまう。
今日も家族と買い物に行ったのだが、楽しいはずのショッピングの間も、折に触れ、レポートの構想を思いつき「帰ったら書き直そう!」と考えてしまうのだからどうしようもない。
今月で47歳となり、もう50歳に手の届きそうなところにまで生きながらえてしまった。なかなか、タイトな学習生活についていくことが難しくなりつつあるのである。
そんな弱気な自分を振り返るのだが、次に12,000件更新の際には、前向きで積極的な記事を書きたいものである。