武蔵野大学の図書館で借りた『仏教発見!』と言う本。
この本のp.222に東大寺の「整肢園」というのがあったので、ふと、懐かしく思った次第である。整肢園は聖武天皇と光明皇后の御心を建学の精神とし「すべての人に等しくすべての人が幸せに」をめざす東大寺の関連施設である。
整肢園には「体の障害だけではなく、重度の知的障害をもつ子どもがいる。言葉を理解しない子どもがいる。目の見えない子どもがいる。」と書かれているのであるが、私が奈良にいたとき、長男も次男も、この整肢園にお世話になったのだった。長男は言葉を話さなかった。次男は歩けなかった。定期的に子ども達を車で整肢園に連れていくのが、休日の私の主要業務の一つ。そのケアしなければいけなかった長男が大学生になり、次男が剣道で入賞するとは・・・当時からすれば、想像できないくらい成長してくれたものである。
宗派は違えど、御仏の慈悲に助けられたといえるのかもしれない。そんなことを、「仏教発見!」という本を読みつつ、発見したのであった。
この本のp.222に東大寺の「整肢園」というのがあったので、ふと、懐かしく思った次第である。整肢園は聖武天皇と光明皇后の御心を建学の精神とし「すべての人に等しくすべての人が幸せに」をめざす東大寺の関連施設である。
整肢園には「体の障害だけではなく、重度の知的障害をもつ子どもがいる。言葉を理解しない子どもがいる。目の見えない子どもがいる。」と書かれているのであるが、私が奈良にいたとき、長男も次男も、この整肢園にお世話になったのだった。長男は言葉を話さなかった。次男は歩けなかった。定期的に子ども達を車で整肢園に連れていくのが、休日の私の主要業務の一つ。そのケアしなければいけなかった長男が大学生になり、次男が剣道で入賞するとは・・・当時からすれば、想像できないくらい成長してくれたものである。
宗派は違えど、御仏の慈悲に助けられたといえるのかもしれない。そんなことを、「仏教発見!」という本を読みつつ、発見したのであった。