夕方の悲劇的な結果通知による動揺から、かなり復調してきました。
冷静になって考えていくと、色々なものが見えてきました。そんな中、これからどうするかをのんびりと考えています。
今回不合格となったのは学芸の学士。分野は比較文化です。この学芸(同一の内容で教養ともなる)の学士には「比較文化」の他に「地域研究」「国際関係」「科学技術研究」の3つの専攻分野があります。で、私は既に「地域研究」と「国際関係」で学芸の学位を取得し、「科学技術研究」で教養の学位を取得しています。
つまり、学士(学芸)は2つ授与されており、学士(学芸)を重複して取得する意義は些少であるともいえます。一方で、「比較文化」を取得することは、学芸(教養)の4専攻をコンプリートできるチャンスでもあります。これは、ひょっとすると、日本で唯一となるかもしれません。
一方で理学(総合理学)については、コツコツ申請書類の作成を行っていました。「住民票」「写真」「成績証明書」「単位修得状況等申告書(総括表・内訳表)」が全て出来上がっています。加えて、レポートに使用する画像も準備できています。
しかし、まだレポートの章立ても完成していませんし、先に受験した方々の話では、レポート外の知識を要求されることも多々あるとのこと。応用が利くほどの理学知識を持ち合わせてはいません。加えて、理系の論文は素人同然なので、どこまで採点していただく先生に受け入れていただけるものが書けるかわかりません。
ただし、先般の工学(社会システム工学)に理学の学位が加われば、確固たる理系人間と認められるかもしれません。
最後に、受験しないという選択肢を考えてみます。そもそも修士での学業だけでも大変なのに、放送大学の選科履修生と並行して、機構の学士をヘトヘトになりながら狙ってきたのは、過去2回成功している「2年間で1修士4学士」の取得を達成するためでした。前回、武蔵野大学大学院で人間学専攻していたときも、挑戦に失敗し、「2年間で1修士2学士」しか取得することができませんでした。今回も、武蔵野大学大学院との相性は悪く、仏教学専攻でも挑戦に失敗してしまいました。
なら、今回も仏教学専攻での学びを優先し「2年間で1修士2学士」でフィニッシュしてもいいのではないか。逆に、まだ修士論文を1文字も書いていないなら、そちらを優先すべきではないかと思えてなりません。いわば、今回の不合格は、仏のご加護による「悟りのきっかけ」ではなかろうかと。野望に執着するあまり、大学院での学びを忘れることなかれという戒めではないだろうか・・・
既に、4修士・15学士・1短期大学士と合計20の学位を保有しており、今、このタイミングで学士に執着するべきなのだろうか。
とりあえず、今の時点で思いつくことを整理してみました。また、1週間ぐらいしたら読み直して、次への対応を決断することといたしましょう。
冷静になって考えていくと、色々なものが見えてきました。そんな中、これからどうするかをのんびりと考えています。
今回不合格となったのは学芸の学士。分野は比較文化です。この学芸(同一の内容で教養ともなる)の学士には「比較文化」の他に「地域研究」「国際関係」「科学技術研究」の3つの専攻分野があります。で、私は既に「地域研究」と「国際関係」で学芸の学位を取得し、「科学技術研究」で教養の学位を取得しています。
つまり、学士(学芸)は2つ授与されており、学士(学芸)を重複して取得する意義は些少であるともいえます。一方で、「比較文化」を取得することは、学芸(教養)の4専攻をコンプリートできるチャンスでもあります。これは、ひょっとすると、日本で唯一となるかもしれません。
一方で理学(総合理学)については、コツコツ申請書類の作成を行っていました。「住民票」「写真」「成績証明書」「単位修得状況等申告書(総括表・内訳表)」が全て出来上がっています。加えて、レポートに使用する画像も準備できています。
しかし、まだレポートの章立ても完成していませんし、先に受験した方々の話では、レポート外の知識を要求されることも多々あるとのこと。応用が利くほどの理学知識を持ち合わせてはいません。加えて、理系の論文は素人同然なので、どこまで採点していただく先生に受け入れていただけるものが書けるかわかりません。
ただし、先般の工学(社会システム工学)に理学の学位が加われば、確固たる理系人間と認められるかもしれません。
最後に、受験しないという選択肢を考えてみます。そもそも修士での学業だけでも大変なのに、放送大学の選科履修生と並行して、機構の学士をヘトヘトになりながら狙ってきたのは、過去2回成功している「2年間で1修士4学士」の取得を達成するためでした。前回、武蔵野大学大学院で人間学専攻していたときも、挑戦に失敗し、「2年間で1修士2学士」しか取得することができませんでした。今回も、武蔵野大学大学院との相性は悪く、仏教学専攻でも挑戦に失敗してしまいました。
なら、今回も仏教学専攻での学びを優先し「2年間で1修士2学士」でフィニッシュしてもいいのではないか。逆に、まだ修士論文を1文字も書いていないなら、そちらを優先すべきではないかと思えてなりません。いわば、今回の不合格は、仏のご加護による「悟りのきっかけ」ではなかろうかと。野望に執着するあまり、大学院での学びを忘れることなかれという戒めではないだろうか・・・
既に、4修士・15学士・1短期大学士と合計20の学位を保有しており、今、このタイミングで学士に執着するべきなのだろうか。
とりあえず、今の時点で思いつくことを整理してみました。また、1週間ぐらいしたら読み直して、次への対応を決断することといたしましょう。