★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

** 乳癌 ** (その7・入院)

2006年01月11日 | 乳がん

私にとって、乳癌の宣告から8年9ヶ月という月日が過ぎた。

右乳房温存療法手術
右乳房に再発2回(3年目と4年目)
右乳房全切除(4年目)
という経過である。

しかし4年目の全切除の入院時のCT検査では、
肺癌(非小細胞癌・腺癌)も見つかり、
乳癌の宣告よりもっと深刻な苦しみを味わったこともある。

乳癌は2.2cmで<ステージⅡ>
肺癌は早期発見で<ステージⅠA>

その後、乳癌は半年に1回定期検診、
肺癌は3ヶ月に1回定期検診で、
再発、転移もなく今日まで生きている。


これまで6回にわたって、
1997年の日記から乳癌の経過を書き綴ってきた。

その1.乳癌の告知 (Blog 12/10)> 
 
その2.穿刺細胞検査 (Blog 12/11)> 

その3.手術の段取り (Blog 12/13)

その4.乳房温存療法 (Blog 12/14)

その5.転移しやすい癌 (Blog 12/16)

その6.乳癌との闘い (Blog 12/21)



☆★1997年の日記から★☆ 
 
今日は<その5>の続きを綴っていこうと思う

【1997年5月23日・金】
昨日抜糸のため、H病院を受診した。
その時H医師から告げられた言葉は、
「温存療法で取り除いた癌を詳しく顕微鏡で検査した結果、
たちが悪く転移しやすい癌である」ということ。
「腋窩リンパ節郭清手術をした方がいいので入院して、
手術をしましょう」ということだった。

思ってもいなかった入院→手術ということになり、
急にあわただしくなった。
(このとき初めて自分の癌に対しての甘さを感じた!)

昨日聞いて今日入院・・・、
何とか、午後2時、南病棟201号室に入院することができた。

この病院は入院待ちをしている方も多いと聞いているが、
昨日入院が決まった時点で丁度この個室が空いていてよかった。

このお部屋は、
冷蔵庫・テレビ・クローゼット・バス・トイレ・流し台・電話・・・と、
すべて整っていてすごく気に入っている。(喜んでいる場合ではないのだけど)

早速胸部レントゲン、心電図、肺活量の検査があった。

病院は市内の中心部にあり、
病院の前にRホテル、Sデパートがある。

妹がデパートでいろいろ揃えて、
お部屋を生活しやすく綺麗に整えてくれた。
お花も飾ってくれて、殺風景だった病室が明るくなった。

さすがに妹!感謝してるよ・・・!
(妹は関東に住んでいるが、
17日からたまたま帰ってきていて、
17日~19日は母と私も一緒にRホテルに宿泊していた。
そして、22日の抜糸の時も病院についてきてくれた)

夜は、母、姉、夫が顔をみせてくれた。

【1997年5月24日・土】
病室で第一日目の朝を迎えた。 
個室なので、住み心地がよい。
こんなお部屋で、静かに入院生活を送れることに感謝する。

今日は土曜日で検査の予定もなく、
外出の許可が出たので
妹と2人でSデパートに買い物にいき、
お隣のRホテルの6Fの和食のお店で、お夕食をいただいた。 
嬉しかった。
そして美味しかった! 

昨日入院して、
1日しかたっていないのにホテルでのお食事が新鮮だった!

16:00~19:00まで外出して、
お部屋に帰ってみると、夫がきていた。

夜、病院のお風呂にはじめて入った。

【1997年5月25日・日】
昨日もよく眠れた。 
入院して2日ともよく眠れている。
何故? 喘息もでない。

今日は、9:00~明朝9:00までの蓄尿(24時間の尿を一つの容器にためる)で
大変だった。
14:00~16:00に自宅に帰った時も、我慢していた。

午前10時から、インフォームドコンセントがあった。(30分くらい)
H医師とT医師から、姉、妹、夫と私に説明があった。

病棟のナースステーションで、
マンモブラフィのフィルムやその他の資料のもとで、
図を書きながら丁寧に説明された。

一番印象的で頭にガーンときたのは、

私の癌が「comedo(コメド)癌であること

「comedo癌は悪性度が高くて広範囲に拡がる」という医師の言葉。

手術は全身麻酔で、
腋窩リンパ節摘出が目的であることを告げられた。

手術後の治療としては、
残された乳房に放射線をあてる、
そして2~3年ホルモン剤を服用すること、など。
とてもいい先生なので、すべてをお任せしようと思う。

【1997年5月26日・月】
今日は、朝から採血、検尿、検便があった。
私が転移を恐れるため、
マンモグラフィもしていただいたけど、大丈夫だった。

入院して4日目・・・。
このお部屋は生活しやすく気に入っているけど、
28日の手術がやはり心配なので憂鬱!!

全身麻酔ということだけど、喘息もありイヤだ。
早くOpeが終わり、生きていることの実感を味わいたい。
長生きしいたいとは思わないけど・・・。


☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★ー☆★    

この頃の私は悲壮感が漂っていることを、日記から感じる
この続き(5月27日からの日記)は、明日書く予定 

この頃、いろいろな人から、
「乳癌は、癌の中でも簡単になおるよ・・・」
「自分が知っている人も乳癌の手術をして元気で生活しておられるから・・・」と、
慰めの言葉をたくさんいただいた。

でもそのときの私には、
どんな言葉も素直に受け入れられなかった。
「自分だけは違う・・・」と、
何故か、重く重く考えることしかできなかった

8年数ヶ月経った今、
私はブログを通して11月から必死で自分の体験を書いている

「乳癌、肺癌の手術をうけた私も今、生きています」と。
「日進月歩の今の医学を信じて頑張ってください」と。

でも今癌の宣告を受けたばかりの人にとっては、
私の慰めもまた無意味なのかな・・・と、
ちょっとむなしくなった・・・




Comments (2)
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