★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

** 乳癌 ** (その10・術後4~6日)

2006年01月14日 | 乳がん

久しぶりの昨日からの雨が、午後には止んだ。
冬の雨は、冷たくて寂しい感じがした・・・。

☆★1997年の日記より★☆
昨日の続きを綴ります。

【1997年6月1日・日】
術後4日目。
今日は日曜日なので、看護師さんの出入りも少なく、
病棟も静か・・・。

ただ、いつもの病院の雰囲気と違って、
家族連れのお見舞い客の出入りが多い。
今日は、私のところにも次々とお見舞いにきてくださり、疲れた。
横になる時間もないほどだった。

癌の告知をうけて、1ヶ月以上が過ぎた。

良性の腫瘍だと思っていたけれど、
転移する可能性が強い癌ということがわかった。

やはり・・・・そんなに長くは生きれないと思っている。

癌に関する医学誌をいろいろ読んでいて、
生存率・・・・・・と書いてある。

私は体力もないし、長くは生きれないだろう。

残された時間を楽しく充実したものにしたい。

そのためには家族に支えてもらいながら、
できるだけ多くの時間を家族と一緒に、幸せにいきたい・・・。 
それが私の一番の願いである。

たった一人の息子を関東の大学に行かせたことを、少し悔やんだ。

夜、夫がお好み焼きをテイクアウトしてもらって、
病室に持参してくれた。
私が昨日頼んでいたからだけど、
ちょっと遠いところのお店まで行って買ってきてくれた。

待望のお好み焼きをいただくことができ、大満足。
そこのお好み焼は、トッピングの種類が多くて、とても美味しい。
私は、いろいろな種類のキノコが
たっぷり上にのっかてるお好み焼きをいつもいただく。

明日はいよいよ妹が関東に帰るため、
広島の味を堪能させてやりたかったし、
3人でおしゃべりしながら、お好み焼きをいただいた。

こんな楽しい時間は、いつまで続くのだろう・・・?


【1997年6月2日・月】
術後5日目。
ガーゼ交換のみ。 喘息もおとなしくなった。

ただ、精神的には寂しい・・・。
(妹が帰ったからか?癌がこわいのか?)

妹にも生活があるのだからガマンしなくては!
そして、癌も今さら悩んでも仕方ないこと、あきらめなくては・・・。
これが、私の人生だから。


【1997年6月3日・火】
術後6日目。
今日は、
手術時に創のところに入れてあった持続吸引チューブ(2本)を抜去された。

これはリンパ液を出すために必要だといわれ、
術後から、ずっとぶらざげて歩いていたのだけど、
リンパ液の性状や量をみて抜去されるそうだ。

こういう治療は大体、研修医のお仕事。

研修医のTDr.は若いし、何でも言いやすく、
こられた時はいつも、不満や質問を十分聞いてもらっているので、
私にとって貴重な存在かもしれない。

今日も抜去される時、痛かったため、
「痛い!痛い!」と何度も言ってしまった。

今日も友人が6人、次々とお見舞いに来てくださり、
嬉しかったけど、結局夕食が食べれなかった。


【1997年6月4日・水】
術後7日目。
今日は、また研修医のTDr.が抜糸をされた。 

痛くて「痛い!!」を12針分連発した。

PM~ 放射線科の診察を初めて受けた。

主治医のHDr.から言われていたので、覚悟はしていたが怖かった。

自分が「癌」であることを、改めて強く感じてしまった。
 
癌は怖い病気なのだ!

放射線科は中央病棟の地下2Fにある。 
エレベーターで地下2Fに下りると異様な雰囲気が漂っていた。 
放射線科に下りて行く人は少ない。 
余計に気味が悪かった。

気晴らしもしたかったので、
14:30~17:30、外出願いを出して、
病院の前のSデパートに一人で行った。  

いつも行っているSデパートなのに、
2週間足らずの入院生活で、周りの空気が違っているように感じた。  
思ったより元気がでなかった。 
精神的なものだと思う。

私の乳癌で、特に母が胸を痛めている。
どのように慰めたらいいのだろう・・・?


☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★


思ってもいなかった「癌」に直面し、
死を覚悟しながらの入院生活でした。

でも、医学の進歩のお陰で、こうして今も生きています。

今、癌で悩んでいる方、
苦しんでいる方、頑張ってください

   希望をもって・・・!!






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