マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

残念!!

2015年06月12日 | 喜働
前回の京都旅行で驚いたこと。
それは東寺、とりわけ講堂でした。
圧倒されました。
大日如来を四如来が囲む。
右に金剛波羅蜜多を四菩薩が囲み、左に不動明王を四明王が。
周囲は四天王と梵天・帝釈天が守る。
悟りを開いた如来。
仏になるべく修行している菩薩。
如来と菩薩を守る明王。
そして四天王とヒンズー教の神様(梵天・帝釈天)。
仏の世界。立体的な曼陀羅。
二十一体のうち十五体が平安時代からの仏像。
千年以上も残ったことは奇跡です。
で、残念なのは。
京都で4年間も生活していながら初めて見たということ。
東寺には何度も来ていました。
九州から遊びに来た友人を連れて。
ところが!
一度も講堂には入っていなかったのです!!
東寺のみならず、仏像に興味がなかったから。
あぁ残念!! なんて勿体ないことを!
近くの〇〇東寺には行っていたのにね

2015年06月11日 | 喜働
『奇縁』を書いた続きとして『縁』について少し。
親鸞は『歎異抄』でこう言います。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
天地にあまねくみちみちる阿弥陀仏の救いの前では、善人であるとか悪人であるとかは問題ではない。本願(意志)は全ての人を漏れなく救ってくださるものだ。
世間の物差しでは、個々人が善人なのか悪人なのかは重要なこと。しかし、仏法では『どうだっていい』こと。縁によって悪人になっているのだから。
いたし方の無い縁によって悪を為す。
いたし方の無い縁によって善を為す。
悪をするのが縁であれば善をするのも縁である。
さらに人間とは、悪を働きながら良いことをする。
これも『歎異抄』から。
「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」
絶対的な善は無く絶対的な善も無い。
縁によって悪にも全にもなる。
司馬遼太郎さんの随筆などを読みながら『縁』について考えました。
妙な解釈があれば、当然に私の理解不足です。

奇縁

2015年06月10日 | PTA
高校の文化祭ではPTAバザーの出展。
ここでは恒例の焼きそば作り。
ということで今年も行きました。
懲りませんねぇ
次男の卒業から8年。
今では知人もめっきり少なくなったのに。
ぼちぼち引退か?
そう考えはじめた矢先。
4月に今春着任の校長と会ったら20年来の知人!
坊主達がお世話になったソフトボールクラブ。
そこで同時期の保護者でした。
昨年中学校に着任した校長。
こちらは教頭時代から深く関わった仲です。
何かの縁でしょうか。
いつまで続くことやら。
不思議な巡り合わせです。

地域で一人暮らし交歓会

2015年06月09日 | 民生委員
昨年に続き。
一人暮らし御高齢者の交歓会に出席。
12地区から参加された御高齢者は約100名。
社協や福祉協力員など関係スタッフ70名。


私もGWを挟んで対象家庭を訪問。
担当地区からは 14名が御参加されました。
幼稚園児と交流。
大学生のイベント。
弁当を食べながらの楽しい時間を過ごして頂きました。
もっとも。
私は予定が重なり途中退席。
焼きそばを作りに高校へ向かいました。

眼科検診

2015年06月05日 | 家族
近視が強く乱視もあります。
それで定期的に眼科検診に行っています。
ところが眼科医に どうも親身さを感じないのです。
そんな話を家人にしたら
「私が行っているところは説明が丁寧よ」
と言います。
しかも「女医さん」だそうです。
迷わず、そこに行きました。
なるほど。
診察も説明も丁寧で、きちんと答えてくれます。
夜、家人に良かったと話しますと。
「誰の紹介か尋ねられた?」
「うん、あなたの事を言ったら」
「何か言った?」
「あぁ『あの美しい女性ですね』と」
「またまた、ウソばっかし!」
そう言いながら単純だから嬉しそう。
「そう心の中で言っているような気がした」
この最後の言葉は飲みこみました