クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

平戸観光ハイライト(クリン家ドライブ長崎旅行・2)

2018-01-02 | 旅行記

ながさき・かんこう(長崎観光)、1日目は、

ひらど(平戸)です

 クリン、ぜんぜん・知らなかったのですが、

平戸とは、日本の 西のはし(端)にある、

 「遣唐使時代」から栄える

古き、

みなとまち(港町) 


 せん(戦)国時代には、ヨーロッパ人との「南蛮貿易」が まっさきに

行われ、

キリスト教・ふきょう(布教)も、ここからはじまった

かなりの「重要地」だった・らしいのです

 

当時の 世界地図にも、「Firando」って

記され、

 はっきりいって、ながさき(長崎)より・目立っていた

平戸・・

それなのに、なぜ 今は、こんなに

ながさき(長崎)のかげに かくれちゃったの


・・・・・


冷たい・海風が ふきつける、さきがた(崎方)こうえん(公園)

立ち

 クリンは、さびしく なりました・・。

れきし(歴史)にくわしい・チットいわく、

 日本は ひでよし(豊臣秀吉)の時代になると、

キリスト教を きんし(禁止)し

江戸時代には、とうとう・さこく(鎖国)したので

外国人は、次々・きこく(帰国)・・

ゆいいつ・ぼうえき(貿易)が ゆるされた・オランダ人は

「出島」に うつされ、

 北九州の、さいじゅうよう(最重要)地は、

「長崎ってことに、なったそうです。

 (だから今、平戸は、ほっこりした・観光地切りかわって

がんばっています


 市の中心部には、はん(藩)主・「松浦氏」の

ひらどじょう(平戸城)

ともに、

 そんな、平戸の「国際都市」時代の おもかげを

つたえる、

 オランダしょうかん(商館)(※東インド会社の支店)

 フランシスコ=ザビエルが 来たことを 記念した、

けんしょうひ(顕彰碑)

 

などなどが、そう広くない・はんい(範囲)に、

コンパクトに まとまっています

さて、平戸を おとずれた人が、かならず・目指すという

教会があるので、

クリンたちも

行ってみます

 この先の、丘の上にある、「平戸ザビエル教会」です

昭和6年、あらためて・たてられた、という、

この モスグリーン色の 教会は、

 その手前に たつ、「仏教寺院」との たいひ(対比)で、

 すばらしく・めずらしい、エキゾチックな ながめ(眺め)

生み出し

 「寺院と教会の見える風景」と 名づけられて、

 平戸を 代表する・けいかん(景観)

たたえられています


しかし・・・


 この、いこくじょうちょ(異国情緒)にとむ、「東西ロマン

交錯的」な

ながめが、

 その昔、江戸ばくふ(幕府)から・かけられた、「キリシタン嫌疑

はらすために たてられた、

 お寺のりんりつ(林立)からなるものだ、

と 

知ってしまうと、

 とてもじゃないけど、「絵葉書みた~い

なんて、

よろこんでは いられない、クリンでした。。

 

うちの歴女・チットは、いいます。(写真の男性は おにいちゃん)

 「平戸のあちこちに、隠れるように 教会が建っているけどさ、

あれって

美しい以上に、

どれも、禁制下の平戸の苦闘の歴史を 物語る、

遺跡なんだよね

 さあ 英国商館通りにあった・喫茶店で

お茶して、


さらなる・平戸の

信仰と、歴史の重みを、体感しましょ


 (・・・・・え。) 


 あの、ガチめな

かんじの

きっさ店で


・・・・・・


クリン家の

ながさき旅行。


 またも、チット中心の れきしたび(歴史旅)に

なってしまう・よかん(予感)






(その3、「松浦静山と『甲子夜話』」に、つづく)


 

 

 


 

 




 


 

 

 

 

 

コメント (2)
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