ながさき・かんこう(長崎観光)、1日目は、
ひらど(平戸)です
クリン、ぜんぜん・知らなかったのですが、
平戸とは、日本の 西のはし(端)にある、
「遣唐使時代」から栄える
古き、
みなとまち(港町)
せん(戦)国時代には、ヨーロッパ人との「南蛮貿易」が まっさきに
行われ、
キリスト教・ふきょう(布教)も、ここからはじまった、
かなりの「重要地」だった・らしいのです
当時の 世界地図にも、「Firando」って
記され、
はっきりいって、ながさき(長崎)より・目立っていた、
平戸・・
それなのに、なぜ 今は、こんなに
ながさき(長崎)のかげに かくれちゃったの
・・・・・
冷たい・海風が ふきつける、さきがた(崎方)こうえん(公園)
に
立ち、
クリンは、さびしく なりました・・。
れきし(歴史)にくわしい・チットいわく、
日本は ひでよし(豊臣秀吉)の時代になると、
キリスト教を きんし(禁止)し、
江戸時代には、とうとう・さこく(鎖国)したので、
外国人は、次々・きこく(帰国)・・
ゆいいつ・ぼうえき(貿易)が ゆるされた・オランダ人は
「出島」に うつされ、
北九州の、さいじゅうよう(最重要)地は、
「長崎」ってことに、なったそうです。
(だから今、平戸は、ほっこりした・観光地に切りかわって
がんばっています)
市の中心部には、はん(藩)主・「松浦氏」の
ひらどじょう(平戸城)
と
ともに、
そんな、平戸の「国際都市」時代の おもかげを
つたえる、
オランダしょうかん(商館)(※東インド会社の支店)
フランシスコ=ザビエルが 来たことを 記念した、
けんしょうひ(顕彰碑)
などなどが、そう広くない・はんい(範囲)に、
コンパクトに まとまっています
さて、平戸を おとずれた人が、かならず・目指すという
教会があるので、
クリンたちも
行ってみます
この先の、丘の上にある、「平戸ザビエル教会」です
昭和6年、あらためて・たてられた、という、
この モスグリーン色の 教会は、
その手前に たつ、「仏教寺院」との たいひ(対比)で、
すばらしく・めずらしい、エキゾチックな ながめ(眺め)を
生み出し、
「寺院と教会の見える風景」と 名づけられて、
平戸を 代表する・けいかん(景観)
と
たたえられています
しかし・・・
この、いこくじょうちょ(異国情緒)にとむ、「東西ロマン
交錯的」な
ながめが、
その昔、江戸ばくふ(幕府)から・かけられた、「キリシタン嫌疑」
を
はらすために たてられた、
お寺のりんりつ(林立)からなるものだ、
と
知ってしまうと、
とてもじゃないけど、「絵葉書みた~い」
なんて、
よろこんでは いられない、クリンでした。。
うちの歴女・チットは、いいます。(写真の男性は おにいちゃん)
「平戸のあちこちに、隠れるように 教会が建っているけどさ、
あれって
美しい以上に、
どれも、禁制下の平戸の苦闘の歴史を 物語る、
遺跡なんだよね
さあ 英国商館通りにあった・喫茶店で
お茶して、
さらなる・平戸の
信仰と、歴史の重みを、体感しましょ」
(・・・・・え。)
あの、ガチめな
かんじの
きっさ店で
・・・・・・
クリン家の
ながさき旅行。
またも、チット中心の れきしたび(歴史旅)に
なってしまう・よかん(予感)
(その3、「松浦静山と『甲子夜話』」に、つづく)