クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

自由亭喫茶室でダッチコーヒー(クリン家ドライブ長崎旅行・15)

2018-01-15 | 旅行記

ハイカラ気分

まんさい(満載)の、

 いこく(異国)ロマンな、「長崎グラバー園」

その中で

ゆいいつ(唯一)、

 「室内でお茶できる、歴史的建造物がある。」というので、

クリンたち、

 「自由亭喫茶室」ってところに、向かいました

 

ばく(幕)末に、出島のオランダ人のもとで、

西洋料理

学んだ、という

日本人シェフ、

くさのじょうきち(かんじ:草野丈吉)が

はじめた

レストランは、

 ながさき(長崎)で一番・はんじょう(繁盛)し、

 各国のVIPも、おとずれた と、いいます


 そのお店だった・たてものが、今、グラバーえん(園)

いちく・ふくげん(移築復元)

されていて、

 名物の「ダッチ・コーヒー」が、のめる のです


 「ダッチ=オランダ」(の植民地だったインドネシア)が

生んだ、

水出しコーヒーは、

本来、

アイスで のむものだけど、

ホットにしても、風味をそこないません


 ふつうのブレンドコーヒーだって、

「波佐見焼」の

カップ&ソーサーが、

じょうちょ(情緒)ゆたかです


ビフテキや

カレーライスなど、

昔のメニューは

ないけれど・・

 セットの カステラは、おすすめです

 グラバーえん(園)のふもとにある、

「長崎堂」の

カステラなのですが、

 たぶん、できて・まもないカステラを はこんできているのか、

えらく、おいしいのです


はあ~・・・

 このアンティークちょう(調)の インテリア

だけでも、

まんぞくなのに





(その16、「リンガーハットの名前の由来」に、つづく)





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グラバー園と、お土産のマダムバタフライ石鹸(クリン家ドライブ長崎旅行14)

2018-01-14 | 旅行記

ながさき(長崎)の、ド定番スポット

 「グラバー園」に、やってきました


そこには、何があるのか

 クリンが、ざっと・ごあんない(案内)いたします

 まず、「グラバー」というのは、ばく(幕)末に

日本にやってきた、

スコットランド人の 名前です

 ながさき(長崎)で、もっとも・けしき(景色)の

いい場所に

ていたく(邸宅)を かまえた

グラバーは、

 同じように、ぼうえき(貿易)で 成功した・外国人たちと、

ここ、南山手で

くらしました。

 この地に、もとからあった・たてもの(建物)は、

 リーダーの「グラバー」のお家

 グラバーと並ぶ・成功者、「リンガー」のお家

 お茶のゆしゅつ(輸出)で、財を成した「オルト」のお家

の、

3つで、

ここに、さらに、

 ながさき(長崎)市内に 点在していた・洋かん(館)を

6つ、いちく(移築)して、

 「グラバー園」は、つくられています

 「ウォーカー住宅」や、

「旧スチイル記念学校」や、

 「旧三菱第2ドッグハウス」や、

「自由亭・喫茶室」などです。


 ・・・まさに、本当にあった、いこく(異国)の丘

それが、グラバーえん(園)です

 

ながさき(長崎)らしい・石だたみを 歩き

「長崎港」のパノラマを、見下ろし

 みどりや、お花に、かこまれて・・

ドレス・レンタルなんか、しちゃった日には・・

 女子の 気分は、アゲアゲ

 

そんな、レトロ・テーマパーク、「グラバー園」は、

 オペラ「蝶々夫人」のぶたい(舞台)、

ながさき(長崎)の、イメージにも 合っている

ということで、

 プッチーニ(作者)のぞう(像)とかも

あります


 だから、クリン、おもわず・売店で、

「マダム・バタフライ石鹸

3つも、買ってしまいました  

 さくら(東洋の象徴)と、バラ(西洋の象徴)が

ゆう(融)合する、

ロマンチック・ながさき(長崎)

かおり


 品しつ(質)は、たしかな、しせいどう(資生堂)です






(その15、「自由亭・喫茶室で、ダッチコーヒー」に、つづく)

 

 

 








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グラバー園は第2ゲートから入る(クリン家ドライブ長崎旅行・13)

2018-01-13 | 旅行記

 「長崎孔子廟」から「グラバー園

へは、

「石橋」駅(路面電車の駅)を

またいで

 グラバーえん(園)のてっぺんに

のぼれる

エレベーターを

利用すると、

 2ヵ所あるうちの、入り口のひとつ、「第2ゲート」

とうたつ(到達)し、

 そこから中へ、入れます

 この「第2ゲート」から入って、下におりていけば

「グラバー園の顔」である、グラバー住宅

トリに 

もってこれるし

 そのまま、「祈念坂」や「大浦天主堂」にも、

坂を下りながら スムーズに歩いていけます

(つまりラク)


 たいていの人は、下にある入り口(第1ゲート)から

入場するらしいのですが、

そうすると

 えん(園)内は、エスカレーターがあるから 大丈夫だけど、

トータルで見ると、

けっこう

のぼり坂を 

長く歩くことになります(キツイ)


やっぱ、

グラバーえん(園)は、

 「第2ゲート」から入って・下りながら

見るのが、いちばんです







(その14、「グラバー園とお土産(マダムバタフライ石鹸)」に、つづく)






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かんころ大福の食べ方(クリン家ドライブ長崎旅行・12)

2018-01-12 | 旅行記

 


・・・おっ


 「グラバー園」に、向かう・とちゅう(途中)、

たまたま見つけた

もちがし(餅菓子)屋さん

で、

「かんころ餅

というものに、出会いました 


 かんころもち(かんじ:甘古呂餅)とは、

ホシイモ(干芋)と

もち米を

つきあわせた

ながさき(長崎)県・五島列島の 名物

だそうで、


 甘く、コロコロ丸めた・かんころもちに、

あん(餡)を

つつんだ、

初心者向けの「かんころ大福」

というのを、

クリンたち、いただきました (1個88円)


 「噛んでいくと、サツマイモの味が どんどん出てくるな。」(おにいちゃん)


 おばあちゃんのおやつみたいな・風味が 気に入った

おにいちゃんは、

 別のお店でも、「かんころ大福」を 買いました

 

お店のおねえさん

おしえてくれたのですが、

 冷えて・かたくなった「かんころ大福」は、レンジで 

40秒 

あたためると、


ホッカホカで、 「おいしい~~~


(※つきたて餅とふかし芋の、MIXみたいなかんじ





(その13、「孔子廟からグラバー園の入り方」に、つづく)







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孔子廟(クリン家ドライブ長崎旅行・11)

2018-01-11 | 旅行記

さて、ここは、ながさき(長崎)の中の中国、

こうしびょう(孔子廟)です。 

「孔子廟」とは、中国のじゅがく(儒学)の

祖である

こうし(孔子)

を まつる場所で、

ここは、明治時代に、かきょう(華僑)と

中国(清国)政府が

いっしょに 

たてたそうです。

 

 孔子は、中国がほこる、「学問の神様」

 

いわく

 「学んだことが 身につくと、うれしい

 「学友が遠くから、来てくれる。たのしい

「学びつづける・努力をしても、認められないこともあるけど、

不平不満を言わない人こそ、君子だよね

と、さとった人です

 それどころか・・・

「もし朝、真実の道を 知ることができたら、

その日の夜に、死んでも・かまわない

と 言い切り、2500年以上、そんけい(尊敬)され

つづけています

 

ここのメインは、そんな孔子をまつる「大成殿」

 そして、その前庭に、いちどう(一堂)に会する

孔子の弟子、72人が、います。

   (等身大です。)

(・・・あれ?)

 ←73人目のけん(賢)人・おにいちゃん

 

赤・黄・白色が、あざやかに かがやく

 日本じゃあまり・見かけない、ユニークなデザイン

 毎年・冬には、ランタン・フェスティバルが

もよおされる

 

そんな、はなやかで、

 どこもかしこも、フォトジェニックな、「長崎孔子廟」・・

 

ですが、

 ここで、シャシン(写真)を バシバシ

とって、

「中華街」に行くだけじゃ、

定番ながら、あまりに うすっぺらいかな、とも・・。


 中国文化に ふれるきかい(機会)が へってる

今こそ、

ちゃんと

学ぶことを、こころがけたいものです。

 

(※敷地内に、博物館もあります)


 こうしびょう(孔子廟)のかべ(壁)一面に

きざまれた

ろんご(「論語」)を 

よみ、

 その、とく(徳)を、しのびます







(その12、「かんころ餅の食べ方」に、つづく。)




 

 

 

 

 

 

 

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オランダ坂~東山手洋館群~孔子廟を歩く(クリン家ドライブ長崎旅行・10)

2018-01-10 | 旅行記

クリンたちが、泊まったホテルの すぐ・まよこが、

 「オランダ坂」でした。 

 「坂の街・長崎」の、キング・オブ・坂といえる、

オランダ坂

 すごい・急こうばい(勾配)なので

、元気なうちに のぼります

こちらは、「東山手」とよばれる・エリア

 ぼうえき(貿易)成功者が かたまっていた、

「南山手」(グラバー園のあたり)

くらべると、

 だいぶ・しずかですが、

 ばく(幕)末の、「居留地時代の面影が、しっかり

のこってて、

かん(観)光地化してないのは、

こちらです


 さて、クリンたち、ここから、「孔子廟」をへて、

「グラバー園」まで 

行きたいのですが、

この辺の地図は 細かく、

きふく(起伏)に とみずぎていて・・

 どっちに、行ったらいいのか 不安でした。。


が、

 ポイントは、3ヶ所

1つ目:おじょうさま大学(※活水女子大学)

しき(敷)地のほうに、

行かないこと

 2つ目:「東山手十二番館」に つきあたったら、

しき(敷)地の、奥まで すすむこと

 ここ、通り抜けられるように なっていて、つきあたりの

かいだん(階段)を おりると・・

 「オランダ坂通り」に つながっています

3つ目:オランダ坂を、おりる・とちゅう(途中)

 「東山手洋館群」を、見下ろせる場所

あるので、

 ここから、「孔子廟」の、山吹色のやね(屋根)を

見つけておくこと

目的地の位置」をかくにん(確認)してから、下におりる

それが、ダイジ(大事)。

 下り坂の中ほどにある「洋館群」は、

けっこうな

奥行きが あるので、

 かくにん(確認)してないと、いっしゅん・方向を、

見失うのです

坂を おりきったら、「孔子廟のレンガ塀」に 沿って、

ぐるりと まわりこむだけ

 

あちこち・見学しながらでも、小一時間で

「孔子廟」に つけます

 

 

 

 

 

 

(その11、「長崎孔子廟」に、つづく)

 

 

 

 








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四海楼のちゃんぽん(クリン家ドライブ長崎旅行・9)

2018-01-09 | 旅行記

ながさき(長崎)市内に

ついた日は、

ちゃんぽんを 食べる

決めていた・クリンたちは、

ちゃんぽん・はっしょう(発祥)の店、

「四海楼(しかいろう)」に

行きました

 (この方のお店です

 九州男児の うちのおにいちゃんは、

ちゃんぽんが

大好き

 昔、九州で食べた、「超うまい・ちゃんぽん」が、本当に

うまかったのか

たしかめたくて、

 今回、ながさき(長崎)まで、来たようなものです



けっか(結果)は、


・・・

  なんだこれ

  う、、うまい

 スープが、、スープが、全然ちがうよ」(おにいちゃん感激


ブタ(豚)と

トリ(鶏)のガラで炊いた

スープに、

ラードで炒めたやさい(野菜)と

魚介を入れた、

というのですが・・

 「ミルク入ってるんじゃないか

くらい

クリーミーで、

なんでこの味になっているのかが、

まったく・わからない・すごさです

(麺は棒状の太麺)


まちがいなく、

いちばんおいしい、ちゃんぽん


 スープ、一滴も のこしたくないよぉ~~

(ズオオォオオオオォオ・・・・)


 ちなみに、しかいろう(四海楼)は、

「皿うどん・発祥の店」

でもあり、

こっちも、おいしいです

 

(※炒めちゃんぽんです


クリンたち、

 お店の人に、ぜっさん(絶賛)のことばを のこし

しあわせな気もちで

ホテルに 

向かいました・・


・・・・・


「創業100周年を機に、建てかえられた

という、

5かいだて(階建)のビル。。

 ちゅうかがい(中華街)と いっせん(一線)をかくし、

この店だけ

ちゃんぽんで

ごうか(豪華)ビルが

たった理由が、

はっきり・わかりました・・・





(その10、「オランダ坂と東山手洋館群」に、つづく)

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稲佐山・駐車場のベストな入り方(クリン家ドライブ長崎旅行・8)

2018-01-08 | 旅行記

夕方、クリンたちは、車でそのまま・いなさやま(稲佐山)

向かいました

 「長崎を一望できる日本屈指の夜景」を

見に 

行くためです


・・・・・


って、


チット・・

「やけい(夜景)には、まだ早すぎない

 「稲佐山は、混むからね。早めに行かないと、

山頂駐車場が とれないよ。」(チット)


 いなさやま(稲佐山)の「山頂展望台」には、

30分100円という

良心的な、

有料P(駐車場)が、あります。

(でも、たったの40台分


てんぼう(展望)台に もっとも近い

そこは

人気があり、

夜6時すぎなんかに行っても、

まず・とめる場所なんか、あいてないのです


 あいてない場合は、中ふく(腹)の「無料駐車場(500台)」

とめ、

 そこから「無料バス」または、山を15分歩く

ことに

なります・・

 

 このさむいのに、うすぐらい中、山を歩くなんて・・

クリンたち

ムリ・・

 

(子連れやデートでも、つらいと思います

 

 「山頂駐車場」は、7月~9月の間と、

それ以外の土日祝日、

マイカーでの入場を 

きせい(規制)しています(中腹までしかいけない)。


でも、夏以外の平日に行くなら、

ぜったい「山頂駐車場」を、

利用すべきです


ちょっと早めに ついちゃっても・・


てんぼう(展望)台からは

リアルな「長崎風景」が 

見え

さっきおとずれた、「平和公園の祈念像」だって

さがすことが できます

 

 かいろう(回廊)のガラスごしにも、夜になったら

まっ暗になってしまう、

 「沈黙」(遠藤周作)に出てきそうな、海が

キレイに

ながめられます

この時間なら、ぐんかんじま(軍艦島)だって、

目をこらせば、かすかに 見えるのです


 てんぼう(展望)台内部には、すわるところが けっこうあるし、

カフェレストランも 

あるし

 「夜景写真コンテスト」の作品とか・見ていれば、

あっという間に

一時間くらい・たっちゃう



1000万ドルのやけい(夜景)は、


 

1時間早くついて、ラクチンに ながめるのが、ベストです








(その9、「四海樓のちゃんぽん」に、つづく)

 

 




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永井隆「長崎の鐘」と、原子力(クリン家ドライブ長崎旅行・7)

2018-01-07 | 旅行記

「あっ うらかみてんしゅどう(浦上天主堂)が

見えるよ

 平和こうえん(公園)のうらから、ゆるい坂道を

行くと、

 ながさき(長崎)で、もっとも・有名な「原爆犠牲者」、

ながいたかし(永井隆)の、記念かん(館)に、

つきます

 

 永井たかし(隆)は、「被爆文学の頂点」に立つ、『長崎の鐘』

書いたことで知られる、

クリスチャンの 

お医者さん

 タイトルの「長崎の鐘」とは、永井さんもくらしてた、

このあたりの

シンボル

 「浦上天主堂」の かね(鐘)のことです。

 (※爆心地近くなのに壊れなかった、長崎復活のシンボルです


 さて・・、げんばく(原子爆弾)が、おとされた時

 永井さんは、「長崎大学の放射線科」に、つとめて

いました。

原子力を けんきゅう(研究)していた・医者が、

みずから、ひばく(被爆)してしまう という、

うんめい(運命)の

皮肉


 さらに、このげんばく(原爆)で、妻を亡くし、

自分も

じゅう(重)症を 負ったにも

かかわらず

 まわりの「被爆者」を、必死で 救おうとした

医者としての

正しきこうどう(行動)

そして、

 うらかみ(浦上)クリスチャンを 代表する、

ふっかつ(復活)への 

ちかい(誓い)・・


 そういうものが、合わさった、彼のエッセイ『長崎の鐘』

は、

戦後ながらく、

世界的な 反きょう(響)を 

よびました


 うちのチットは、かつて、ここ・「如己堂

(にょこどう)」

来たことが あります

 「己の如く、隣人を愛せよ」と、ネーミングされた、

 たった・2じょう(畳)の、ついのすみか(終の棲家)・・


 勝つために 負傷した筈だったのに、

今は

負けるために 負傷したことになっている

この人々こそ、

最も残酷な悲歎の淵に 

投げ込まれたのである。

 これを慰め救いあげる者は、吾をおいて

他にない。」

という、

『長崎の鐘』の一せつ(節)が、ひびきます


 しかし・・ このたび、20年ぶりの再ほう(訪)を

前に、

永井さんの本を

いろいろ・読みなおした

チットは、

 「昔、あまり気にならなかった、彼の『科学者』としての面が

今回

ずいぶん目についた・・」


語りはじめたのです。。


 それは、げんばく(原爆)のさん(惨)状

みまわれながらも、

 原子力のいりょく(威力)に こうふん(興奮)を おさえきれない、

「学者・永井隆」の 

 

『長崎の鐘』前半、永井さんは、こくめい(克明)に

ひがい(被害)状況を

記し

 じょうほう(情報)なんて、ほとんど・入ってこない

ながさき(長崎)で、

 今後、世にもおそろしいことになる、と、「放射能の影響」

かなり・高度に

よそく(予測)しています


 <『長崎の鐘』より、一部・抜粋>


「 かねて 原子物理学に興味をもち、

  その一部面の研究に従っていた

  私達数名の教室員が、

 今ここに その原子物理学の学理の結晶たる原子爆弾の

被害者となって

防空壕の中に倒れておるということ、

 身をもってその実験台に乗せられて 親しくその状態を

観測し得たということ、

 そして 今後の変化を 観察し続けるということ、

まことに 稀有のことでなければならぬ。

 私達はやられたという悲嘆、憤慨、無念の胸の底から

新たなる真理探究の本能が 胎動を始めたのを覚えた。

 勃然として新鮮なる興味が、荒涼たる原子野に湧きあがる。」



 ・・・・ みんなが知っているのは、命つきるまで

「戦争反対」と平和を

うったえつづけた

永井さん。。

 でも、「悪用すれば、地球を破滅せしめる」と けいかい(警戒)

しながらも、

 じんるい(人類)のはってん(発展)と、文化向上

のため、

原子力そのものに、

 きたい(期待)をかけていたらしい・永井さんが、

 「平和利用」が あやうくだれも・コントロールできない

わかった、

今の、原子力をとりまく状況を

見たら、

いったい、どう・考えるのだろう・・? 


 「あーあ、、『長崎の鐘』を、昔みたいに

純粋に読めないよ


福島原発事故が起きた

2011年、

もし永井隆が生きていれば

103歳か・・。

永井さん、『戦争で、原子力など進歩もあったけど、

これだけの人命と、お金とを 平和文化の方へ使ったら、

原子力より

もっと先の学問が、

私たちの手の中に入っていたでしょう』

って

言ってるんだよね


なんという、頭脳・・


 長生きして、「もっと先の学問」を 導いて

ほしかったわ・・。


でも、、

 あの人と、『長崎の鐘』に、これ以上の試練は

与えられないよね


やっぱり、

永井さんが

生きてなくて

よかったか・・。」


と、

 チットが、天国のほうを見て、つぶやきました。。








(その8、「稲佐山駐車場のベストな時間帯」に、つづく)



































 

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長崎の平和祈念像~クリン家ドライブ長崎旅行・6

2018-01-06 | 旅行記

夕方、ながさき(長崎)市内に 入りました

クリンたちが、まず・向かったのは、

 げんばく(原子爆弾)が おとされた場所

うらかみ(浦上)です。  (←片足鳥居)

 昭和20年、8月9日。ながさきの人々を、

 いっしゅんにして じごく(地獄)につきおとした

げんばく(原爆)が、

この地の 上空で、さくれつ(炸裂)しました

 (←被爆クスノキ)

 今、この うらかみ(浦上)には、「平和公園」が

たち、

 せんそう(戦争)のさんか(惨禍)と、ちんこん(鎮魂)の

祈りとを、

ついでいく場に なっています


 一歩・ふみ入れれば、かん(観光)光客でも

はっきり

かんじる、

ながさき(長崎)の、

重み・・

 その重さを、どっしりと、受け止めているのが

中央にたつ、「平和祈念像」です


・・・・


お・・

おお・・

おおおおお

おおきいーーー


毎年、テレビの「平和祈念式典」で 目にする


大きくて、

たくましい、男性のぞう(像)

天をさす右手は、げんばく(原爆)のきょうい(脅威)

あらわし、

ゾクッと しますが、

平和をいみ(意味)する左手は、まっすぐ

横に のばされて、

どこまでも

力強い・・


クリンたち、かよわき・にんげんを、守ってくれる、大きな

ほうよう(包容)力・・


おもわず、


すがりつきたくなるような、ひざ(膝)です


  この、きたむらせいぼう(北村西望)の

けっさく(傑作)とともに、

水を欲して

亡くなっていった人たちの

ために、


こうえん(公園)内には、

つねに

 水がひたひたに みたされていて・・


 かならず、おとずれるべき、こうえん(公園)だ

って

思いました







(その7、「永井隆『長崎の鐘』と、原子力」に、つづく)










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佐世保バーガー認定店・山本コーヒー(クリン家ドライブ長崎旅行・5)

2018-01-05 | 旅行記

平戸から、ながさき(長崎)市内に 向かう ルート上に、

させぼ(長崎県佐世保市)が、あります

「佐世保」といえば、米軍きち(基地)と、

「佐世保バーガー」の

まち(街)

 アメリカ海軍・仕込みの 手作りハンバーガーは、

いったい・よそのバーガーと、何がちがうのか

 たしかめたくて、市内の有名店「ビッグマン」

向かった

クリンたちでした

「さ・せ・ぼさ・せ・ぼ(たのしみです


 しかし・・・

ビッグマンの前には、

30人ちかい

行列が

できていて、


とほうに くれかかる、クリンたちでした

 が そのとき


道一本はさんだ・通りに、


 「佐世保バーガー認定店(和牛100%)」という、かんばん(看板)が

高々

かかげられているのを

ハッケンしたのです(天の助け


 「コーヒー・軽食 山本」・・


・・・・


どう見ても

レトロきっさ(喫茶)に

見えるけど・・

 公式に にんてい(認定)されているなら、ここのも

味は 

おすみ(墨)付き

はず。

 

 と、信じて、このお店で、単品(650円)を テイクアウト 

してみました。


(ガサガサ・・)


「・・・おおお、ぶあつい


 お、おいしそうです


 「お、おいしいよ


バンズ(パン)は 

サクッとしてて

パティ(ハンバーグ)は

肉汁が出そうほど やわらか


 そこに てっぱんやき(鉄板焼き)な タマネギ、

ブワッとレタス、

わ(輪)切りトマト

はさまって・・


ちょっと甘い・ソース

マヨネーズが 

いいかんじに かかってます(イエーイ


 


・・・・・


クリン、

都内の

高級バーガーも

食べたこと ありますが、

 あっちは、ひとつひとつのリッパな 具材を、

ナイフとフォークで

がっつり・食べて

むねやけ(胸焼け)するのが 

うれしいかんじ・・


一方、

こっち(佐世保バーガー)は、

お口の中で、

全部が 一体化して・・

やさしく・ハーモニーしてるかんじです「2個目がいけちゃうよぉ


 こ・これが、いわゆる、本場仕込みの、手で食べる

ハンバーガーの 原点なの

 

 

あまりの おいしさに、

しばし、

ボウゼンと してしまいました。。


 すいてるお店の バーガーが、こんなに

ハイレベルなら・・



有名店のは、もっと おいしいってわけ

 「おにいちゃん もどって、行列にならぼうよ」 

もう、長崎に入るけど

 

 

 

 

 

 

 

 

(その6、「長崎の平和祈念像」に、つづく)











 

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平戸銘菓・カスドース(クリン家ドライブ長崎旅行・4)

2018-01-04 | 旅行記

 大名・まつら(松浦)氏の じょう(城)下町、

ひらど(長崎県平戸市)


そこは、

 16世紀から はじまった、「南蛮貿易」に

より、

 当時、「日本で最も、砂糖が持ち込まれた地」でもある

という

れきし(歴史)的・はいけい(背景)から、

 ご当地ならではの、さとう(砂糖)たっぷり・

かし(菓子)

がある

というので、

 クリンたち、「平戸物産館」に、よりました

お目当ては、「カスドース」です  (湖月堂老舗の

 カス(カステラの略)+ドース(ポルトガル語で「甘い」)

ネーミングされた、

カステラの上を行く・甘さ

「カスドース」は、

 カステラ(小カット)を、卵黄にくぐらせて、とうみつ(糖蜜)で 

あげ

仕上げは「グラニュー糖」をまぶす

という、

ふわふわ・ざらざらした、

黄金色の 

おかし(菓子)です

 長い間、とのさま(殿様)のおやつ、もしくは、「皇室献上」でしか

作られなかった、

平戸のセレブカステラ、

「カスドース」・・


 今は、しょみん(庶民)の口にも入り

平戸の栄光を つたえます

(いい時代~






(その5、「佐世保バーガー認定店・山本コーヒー』」に、つづく)




 

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松浦静山と「甲子夜話」(クリン家ドライブ長崎旅行・3)

2018-01-03 | 旅行記

ひらど(長崎県平戸市)は、大名・まつら(松浦)氏

じょう(城)下町

 まちの中心には、代々、「松浦の殿様」がくらした、

平戸じょう(城)が、たってます

 クリンたちが、今回、平戸を おとずれた理由は、

うちのチットが、まつらせいざん(松浦静山)

という

ここの・とのさまの、

ファンだからです

チットは 学生時代、「平戸藩主・松浦静山

日記をよみ、

 (いつか、平戸に行ってみたい)と、思うように

なりました

 

まつらせいざん(松浦静山)とは、江戸後期、

「博覧強記な、切れ者・老公」として、いんきょ(隠居)してから

有名になった、

とのさまです


  

彼の日記は、

62~82さいまで、毎夜・書きつづけられた

その名も

「甲子夜話(かっしやわ)」

 

内容は、せいざん(静山)が、見聞きした、政治どうこう(動向)、

対外じょうせい(情勢)、

 「大塩平八郎の乱」「ねずみ小僧」などの

大小事件・・、

世相や、ふうぞく(風俗)・・などが、

 じゅうおうむじん(縦横無尽)に つづられており

てんけい(典型)的な「学芸大名」の、知的レベルが

うかがえるものです

 

せいざん(静山)は、後の世に のこすことを そうてい(想定)し、

まじめに

この日記を 書きました

ひじょうに細かく、正しく、きろく(記録)しようと、

努力したので、

 はからずも、その「史料的価値」は 高まり

現代の 時代小説家たちに、数々のネタを 与えました

 チットいわく、 

この日記の、一番の 醍醐味は、静山が、心のうちを

さらしていることかな

 ふつう、殿様が 何を考えているか?なんて わからないけど・・

 この人、けっこう ストレートに、心情をさらすのよ

 若いころから 才気もやる気もあった自分が、

外様大名ゆえに出世できないそのくやしさ。

 大名の本音なんて、そうそう聞けないよ 

でも、

くすぶりながらも、

老いてなお、

一定の存在感を 示さずにおかない

 こんな日本の西の端に、そんな気骨をもった

大名がいたという

事実が、

わくわくするの」(チット)


・・・・・


 公開されると、はずかしいこともある

せきらら(赤裸々)な

きろく(記録)・・。

 しかし、そこにこそ 息の通った、にんげんの

れきし(歴史)が

立ち上がる


 それが、きちょう(貴重)なのだと、チットは 

力説するのでした


・・・・・


 (そういえば、チットも、学生時代から十数年、

日記つけてたな


思い出したクリンは、

 家にかえってから、チットの昔の日記を 引っぱり出して、

こっそり

よんでみました



(どれどれ・・)


<1999年>

 「25歳を迎え、今の自分を納得させられるような、

そして今後の自分の生き方に 申し訳が立つようなことがしたい。

こう思って、

今日は一日かけて、小論文を書いてみる。四苦八苦。」



お~っと


 いきなり、こっぱずかしい・せいうんのこころざし

(青雲の志)(ププっ


 「やだあ 何読んでるのよお もう~~、こんなの、

全部捨てる」(チット)


 くらしに追われる・シュフ(主婦)チットも、

若いころは

それなりに、

ギラギラしていた


と、わかると、

 日記って、やっぱり、その時々のセキララが

あらわれる、

きちょう(貴重)な

にんげんの 史料だと、

かくにん(確認)できたり・するのでした


ぜったいに、

すてないで

とっておいて・・


チットを いじるのに、使おう 






(その4、「平戸銘菓・カスドース」に、つづく)







 

 

 

 

 

 

 

 

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平戸観光ハイライト(クリン家ドライブ長崎旅行・2)

2018-01-02 | 旅行記

ながさき・かんこう(長崎観光)、1日目は、

ひらど(平戸)です

 クリン、ぜんぜん・知らなかったのですが、

平戸とは、日本の 西のはし(端)にある、

 「遣唐使時代」から栄える

古き、

みなとまち(港町) 


 せん(戦)国時代には、ヨーロッパ人との「南蛮貿易」が まっさきに

行われ、

キリスト教・ふきょう(布教)も、ここからはじまった

かなりの「重要地」だった・らしいのです

 

当時の 世界地図にも、「Firando」って

記され、

 はっきりいって、ながさき(長崎)より・目立っていた

平戸・・

それなのに、なぜ 今は、こんなに

ながさき(長崎)のかげに かくれちゃったの


・・・・・


冷たい・海風が ふきつける、さきがた(崎方)こうえん(公園)

立ち

 クリンは、さびしく なりました・・。

れきし(歴史)にくわしい・チットいわく、

 日本は ひでよし(豊臣秀吉)の時代になると、

キリスト教を きんし(禁止)し

江戸時代には、とうとう・さこく(鎖国)したので

外国人は、次々・きこく(帰国)・・

ゆいいつ・ぼうえき(貿易)が ゆるされた・オランダ人は

「出島」に うつされ、

 北九州の、さいじゅうよう(最重要)地は、

「長崎ってことに、なったそうです。

 (だから今、平戸は、ほっこりした・観光地切りかわって

がんばっています


 市の中心部には、はん(藩)主・「松浦氏」の

ひらどじょう(平戸城)

ともに、

 そんな、平戸の「国際都市」時代の おもかげを

つたえる、

 オランダしょうかん(商館)(※東インド会社の支店)

 フランシスコ=ザビエルが 来たことを 記念した、

けんしょうひ(顕彰碑)

 

などなどが、そう広くない・はんい(範囲)に、

コンパクトに まとまっています

さて、平戸を おとずれた人が、かならず・目指すという

教会があるので、

クリンたちも

行ってみます

 この先の、丘の上にある、「平戸ザビエル教会」です

昭和6年、あらためて・たてられた、という、

この モスグリーン色の 教会は、

 その手前に たつ、「仏教寺院」との たいひ(対比)で、

 すばらしく・めずらしい、エキゾチックな ながめ(眺め)

生み出し

 「寺院と教会の見える風景」と 名づけられて、

 平戸を 代表する・けいかん(景観)

たたえられています


しかし・・・


 この、いこくじょうちょ(異国情緒)にとむ、「東西ロマン

交錯的」な

ながめが、

 その昔、江戸ばくふ(幕府)から・かけられた、「キリシタン嫌疑

はらすために たてられた、

 お寺のりんりつ(林立)からなるものだ、

と 

知ってしまうと、

 とてもじゃないけど、「絵葉書みた~い

なんて、

よろこんでは いられない、クリンでした。。

 

うちの歴女・チットは、いいます。(写真の男性は おにいちゃん)

 「平戸のあちこちに、隠れるように 教会が建っているけどさ、

あれって

美しい以上に、

どれも、禁制下の平戸の苦闘の歴史を 物語る、

遺跡なんだよね

 さあ 英国商館通りにあった・喫茶店で

お茶して、


さらなる・平戸の

信仰と、歴史の重みを、体感しましょ


 (・・・・・え。) 


 あの、ガチめな

かんじの

きっさ店で


・・・・・・


クリン家の

ながさき旅行。


 またも、チット中心の れきしたび(歴史旅)に

なってしまう・よかん(予感)






(その3、「松浦静山と『甲子夜話』」に、つづく)


 

 

 


 

 




 


 

 

 

 

 

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車で東京~平戸(クリン家ドライブ長崎旅行・1)

2018-01-01 | 旅行記

クリン家の 冬休みは、家ぞくで ながさき(長崎)旅行

 

今日から 

しばらく、

旅日記を つづりますが、

その手始めに、「東京~長崎」の 交通手だん(段)

お知らせします

 ながさき(長崎)は とおいので、当初は ひこうき(飛行機)を

けんとう(検討)して

いましたが、

 それだと、いどう(移動)中、とうせい(陶製)の

ゲンサイが

われちゃうかも・・

という

しんぱい(心配)が もちあがり

 クリンたち、家ぞくの安全を ゆうせん(優先)すべく

やっぱり

いつもどおり、

お車で行くことに 決めました


 旅のメインは「長崎市内観光」なのですが、先に ひらど(長崎県平戸市)

よるので、

ドライブのほうが、都合いいかな?

ってのも

あります。


 たま(東京都多摩市)からだと、ながさきの

平戸市までは

きょり(距離)、

1220km

です

 

 都内からなら 首都高からですが、クリンたちが

さいしょに

高速に のるのは、

「圏央道の相模原愛川」

 ついで、「厚木ジャンクション」から、東名高速に

合流

 「新東名」→「伊勢湾岸自動車道」

「東名阪」→「新名神」→「名神」

 「山陽自動車道」→「中国自動車道」

「九州自動車道」→「長崎自動車道」 ときて、

 「武雄ジャンクション」で、いっぱんどう(一般道)に

おりる

 高速料金は、しんやわり(深夜割)がついて、「16650円」

 そのあとは、県道や国道を 走って、1時間くらいで、

平戸に とうちゃく(到着)

15時半出発で、よく(翌)日の午前10時に

つきました

 とちゅう(途中)、トイレ3回・計30分

30分の、ネンネきゅうけい(休憩)

はさみ、

 たったの、19時間で、日本の西のはし(端)、

平戸に 

ついたのです


 なお、かえりは、ながさき(長崎)市内から

だったため、

走行きょり(距離)は、

10km少ない

「1210km」に・・



すごい近くて、


あっという間です


※感想には、個人差があります。)





(その2「平戸市内観光ハイライト」に、つづく)












 

 

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