友ちゃんブログ

適当で、いい加減・・・それが理想

昔話~〇城編(1)~

2008年08月08日 13時48分07秒 | ブログ

先日、見積もりに伺ったお宅から蝦蛄(シャコ)を頂きました。

Dsc03140

ここらでは“シャッカ”または“シャッパ”と呼んでますね。ご実家が漁師町の“〇城”だそうです。

“〇城”で必ず思い出すことをブログネタに。

 

市内の某建築会社に勤めていた頃の話です。ここに勤務してた頃の面白話しは結構ありますので、笑い話、昔話として今後シリーズ化してもいいかも知れません。

 

まず、第1話
今となっては「昔話~〇城編~」 

 

長崎県のみならず、日本中が大被害を受けた平成3年の台風19号。凄かったですよね。この19号台風の時は長崎店勤務でした。その後、平成4年4月に大村本社に左遷?されたのですが・・・その辺については後日また。
何がきっかけだったのかは分かりませんが、19号台風から一年半ほど経過したある日のこと、社長より「台風修繕工事の未収金を調べ直せ!」と指示が出ました。殆どを部長2名で処理してたらしく、思い出しながらの作業を数日。まとめ役を私が担当。出た結果は件数数十件(かなりの数でした)、金額が「チリも積もれば山となる」じゃないけど、驚くなかれ2千万を超えていたのです。
これには社長も“キレた!!”「請求書を出して集金せろ!集金できんやったらお前の給料から引くぞ!(こう言ったかは未確認、ただし、これくらいは普段からでしたから)」
さあ、それからが大変。社員全員で集金作業を行う事となりました。詳しくは知りませんが「請求の効力は1年とか、それよりも何も、請求を1年半もしてなかったのですから、本来、お客様が支払う義務はない」らしく、女性事務員の方に「台風修繕工事の業務混乱から、お宅様のみ請求書の発行をしてなかったので、お支払いの程、よろしくお願いします」みたいな内容の手紙を手書きしてもらい、それを添えて請求書を送付したのです。未収金台帳も作られ、未収金一覧表が事務所の一番目のつく所にデーンと貼られ、いやがおうにも毎日「集金!集金!」って感じでした。まあ、私の方は19号台風当時は設計でしたので特に関わった物件がなく、少し気楽ではあったんですが。

 

さて、請求書の発送も一段落したある日の夕刻、事務所に一本の電話がありました。(多少の脚色がありますがご了承ください。)
「はい、○○○○でございます。・・・はい。・・・はい。・・・はい。すみません、すぐに替わります。お待ちください」
「部長(総務か経理の)、台風の請求書の件でお電話です。ひどくご立腹ですが」
「?! そうね。わかった。 んっ(咳払い) お電話替わりました。総務の〇○です」
私も同じ部屋に居ました。クレームの電話となるとフロアー内が静まり返ります。
「申し訳ございません。・・・はい。・・・はい。~」としばらくやり取りの後、受話器を置いた部長が私の方に向かって
「友○君、〇城のT海〇○さんに請求書を送ったのは誰ね?」
「私ですが・・・」請求書の宛名住所をすべて書いたのは私でした。
「『お前ん所は、工事もしとらんとに請求書ば送りつけるちゃ何事か!ヤ〇ザより酷かぞ!直ぐに責任者ば連れてこい!』ってすごい剣幕バイ」といつになく真剣な顔。 「えっ」
 

実は未収金台帳に書いてあった「T海〇○」さんは顧客では無かったので、台帳を書いた常務に確認したところ「〇城の人よ」という事だったんです。電話帳で調べたところ、同姓同名の家が1軒あったので、その住所を書き込んで送ったのでした。言ってみれば「俺のミスというより、台帳書いた常務のミスやん」と思いながらも、さすがにその事は云えませんでした。その後も台帳の事には誰も触れませんでした。運が悪かったのはたまたま〇城にはT海という名字の家が多かったことと間違って書かれたかも知れない名前の方が居たこと。そしてなによりも、知る人ぞ知る“漁師町 〇城”であるという事だったのです。じげもんならお分かりかと思います。おまけにお酒も入っている様子。
「これで何か買うて直ぐ行ってくれんね」と部長が財布から2,000円を渡してくれました。しかし、私としては「俺より責任者がいかんばやろ?」と。「そいでも、書いたとは俺やし、誰っちゃ、行きとなかバイね。〇城やもんね」と諦めました。女性事務員さん達が「お気の毒に」という視線を感じながら「わかりました。行ってきます」と言ったけれど、何せ私1人で行けとの指示、1人と2人じゃ全然違います。正直、心細く、身震い状態でした。

つづく。

コメント (2)
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