哲学者、西田幾多郎の自作漢詩です。
全体:60.3㎝x192.6㎝、本紙(紙本):47.8㎝x129.5㎝。昭和10年。
青山連海盡潮水接
天流落日烟雲外只
看富岳浮 寸心
青山連海盡
潮水接天流
落日烟雲外
只看富岳浮
青山、海に連なりて盡き、
潮水、天に接(つづ)きて流る。
落日、烟雲の外、
只看る、富岳の浮かべるを。
昭和10年春、西田幾多郎、65歳の時の漢詩です。先日紹介した作品と同様、独特のほねホネ書体で書かれています。
西田は、哲学の研究のかたわら、短歌、俳句、漢詩をつくっていました。
今回の作品は、京大を定年退官した後、哲学論集を纏めていた頃につくられたものです。
移り住んだ鎌倉の情景を詠んだのでしょうか。壮大な世界が広がっていますね。
ps.『西田幾多郎遺墨集』(昭和58年、一灯燈園 燈影舎)に未掲載の作品です。
どうやら当たりのようですね。
ハズレ続きの蒐集j人生、この辺で、おおっという品物に当たりたいものです(^.^)
寸心荘っていうんですね!クリン家、湘南・かまくら・横浜が好きで昔から年中ドライブに繰り出していたものですが🚙西田邸にはついぞ気づきませんでした💦(歌碑もあるんですね!)行ってみたく存じます⤴✨
不思議な味わいがありますね。
こういう作品を頭にうかべながら哲学の道を歩けば、何かがピンと閃くかもしれません。
でも、今や観光客と外人さんでごった返しているので、とても無理ですね(^^;
教養の形としては、漢詩と和歌ですね。NHK大河ドラマ「光る君へを」見ると、平安時代には、両方の素養がないと、異性に取り合ってもらえないことがわかります。
今は両方とも影がうすくなっていますから、気が楽ですね(^.^)
骨董道の最終到達点は、『品物をじっと見ただけで、ゲットした心境になる』のだそうです(^.^)
肉筆作品は、石川県西田幾多郎記念哲学館にあります。こちらは短冊に書かれています。書体は同じですが、走り書きに近いです。
今回の作品は、掛軸の大きさですから、その意味では新発見かもしれません。結構しっかりした筆使いです。装丁も古く、おそらく昭和十年代のものでしょう。西田幾多郎の掛軸は、新しい表装の物が多いです。以前のブログで紹介した品もそうです。恐らく、見表装の作品を戦後、掛軸にしたのでしょう。
なんというか独自の書体故に不思議な存在感が感じられます。
故玩館にふさわしい品ではないでしょうか。
迫力がある書ですね!(^^)
自作の漢詩で掛け軸ですか!
昔は漢詩が教養として日本文化に根を張っていたことをここ最近のブログで教えていただきました。(^^)
話しは変わりますが、遅生は最近は書を集めているとおっしゃっていましたよね??
コレクターが最終的に行き着く先は書なのか!?と感じています笑(^^)
印刷物が多いということですが、何点も本物をお持ちの方は、自筆か印刷かの区分判定が出来るでしょうから、これも大丈夫なようですね(^-^*)
『西田幾多郎遺墨集』(昭和58年、一灯燈園 燈影舎)に未掲載の作品ということですが、それは、『西田幾多郎遺墨集』には載っていない、新発見の作品ということでしょうか、、、。